バス憧れの大地へ

雑記ブログ

第9回「チベットの歴史と文化学習会」

いつも東京・春日で開催されている「チベットの歴史と文化学習会」に参加してきました。

今回の特別講義のテーマは「チベット“解放”の言説をめぐって」というもの。私が当サイトの「中国官製『チベットの50年』の虚構」で疑問を投げかけた中国共産党の「農奴解放言説」について社会人類学者の大川謙作氏が語って下さいました。

要点を言いますと、

  • 「農奴解放言説」とは、1959年の動乱後の「民主改革」の強行=ダライ・ラマ政権解体とチベット旧社会の崩壊 を指す用法
  • 中国共産党の言う「解放」とは1950~1959年の間は「海外帝国主義の解放」だったのが1959年以降は「封建農奴制からの解放」に変わり、1959年から意味が変化・混乱した。
  • 1951年の「17か条協約」(1959年に解消)では「チベットの現行政治体制に変更を加えない」「チベットに関する各種の改革は、中央は強制しない」と定められていて、1951年~1959年の間は今日の香港のような「チベット版一国家二制度」とも言うべき共存が存在していた

つまりは、中国共産党の言う「封建農奴制からの解放」という口実はチベット侵略当初から言われていたものではなく、完全な後付けだった、ということです。

では、「農奴」をめぐって

  • チベット語で「農奴」は「zhing bran(シンテン)」。但し、これは新しい造語で、「農奴」という漢字にチベット語の発音を当てはめたものにすぎない。
  • 旧社会で使われていた言葉は「ミセー」。これは人口の80~90%を占める貴族でも僧侶でもない平民を指していたが、中国共産党の理解ではこれが「農奴」だった。
  • ミセーは少額の現金を支払うことで好きな場所に赴いて好きな職業を選択することが可能だった
  • 当時のチベットは中央集権的で、封建制=分権的状況と見れば不適当。

ということ。即ち、従来言われている「農奴制」「封建制」とは異質なものだったということになります。

その後は、イギリスBBSが作成した1949年~1980年代のチベットの様子を映し出した映像を見たり、チベット漫談テカルや民族楽器の演奏でちょっと一息ついたり。

最後に、ジェクンド大地震の被災地映像を見ながら私たちに何ができるかについて考えました。
「現地で支援をしたい」と勢いで行ってしまっても結局は何もできずに足手まといになることも少なからずあるようです(阪神大震災の時にもそういうことがあったらしい)。現状で自分ができることと言えば、現地で救援活動をしている方々に送られる募金に力を貸すぐらいのことしか無いのだろうか――そう思うと、無力感に打ちひしがれもします。

現在のチベット本土の様子

チベット本土に行った知人がその時の様子をブログに書いています。

http://ameblo.jp/dream-for-children/entry-10588498434.html

ここに書かれている大体のことは既に耳に入ってきていますが、知人の現地レポートということで生々しさを感じました。

私が2007年に訪れた時には、コピーも自由にできたし、セラ僧院にも個人で行くことができたことを考えると、かなり締め付けは強くなってきているようです。

ダライ・ラマ法王75歳のご生誕の日

ダライ・ラマ法王

本日はダライ・ラマ14世猊下75歳のお誕生日。
75歳ともなるとどうしても○○(不謹慎なので伏字)が気になってしまう。昨年の両国国技館の講演ではいつものお元気さが感じられず、途中でお薬をのまれていたりもして本気で心配してしまった。
しかし、今年の長野横浜での講演会でそんな懸念は払拭! 今年の法王様はすこぶるお元気でした。

来年も、再来年も、その先もずっと、そのお元気さをどうか保ってください。

チベットが自由が取り戻すその時を
どうぞお見届けになってください。

Long Live, Dalai Lama !!

※写真は、2010年2月27日のロサル・パーティーの時のもの

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演 2010

平日の出勤時間よりも早いペースで、日本橋にて東京メトロ東西線から銀座線に乗り換える。銀座線の車内では、台湾のお坊さんの集団が瞑想するかのように静かに座っていた。

渋谷で東急東横線―みなとみらい線に乗り換え、横浜のみなとみらいへ。海辺にでんと横たわるパシフィコ横浜展示会場が・・・

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演

の会場だ。前回予告した通り、2週連続でダライ・ラマ14世猊下のお話を拝聴する。今回は午前の部・午後の部2回に分けて10:00~16:00という長丁場の法話・講演会だ。

10:00。司会・進行役の進藤晶子さんの紹介のあいさつで、ダライ・ラマ法王がご入場。万雷の拍手で出迎えられる。

午前の部は仏教法話「20世紀までは科学・技術の発展が重視されたが、それだけでは人の心を育むことができない、ということに皆気づき始めた※1。今の時代は心を高めることが重視されるようになり、その上で宗教が重要な役割を果たすことになる」という話をされた後、ツォンカパ(チベット仏教ゲルク派の創始者)の「縁起賛と発菩提心」について解説された(詳しい内容は省略――と言うか・・・今の私には書けないT_T)。

休憩を挟んで13:00。法王様のお話第2部――の前に、世界各国のお坊さんたちによる声明(しょうみょう)・お祈りが行われた。

インド
いでたちが仏教っぽくなく、声明の声の響きもインドそのものなのだが、何を言っているか分からない言葉の内容を聞けばきっと仏教なのだろう。

中華民国・台湾
って・・・

さっき銀座線で一緒になったお坊さんたちじゃん!!

今度は私の中で確立されている仏教のイメージぴったりの声明・お祈りだった。

韓国
こちらも、スタイルは極めてオーソドックス。
客席の応援団の人数・熱気の方が印象に残っていたりする。

モンゴル
こちらは音楽の披露。歌手の方がモンゴルのガンタン寺で法王様にお会いした時等の映像を流しながら2曲演奏してくれた。

チベット
これもオーソドックスな声明・お祈りだったが、チベット語だったのでダライ・ラマ法王も一緒に唱えられていたのが印象に残った。

日本
激しい和太鼓のリズムに合わせてシャープに唱えられる般若心経!!
あんなに熱い般若心経は初めてだ――日本仏教のともすれば暗いイメージを完全に覆してくれたぞ。

渡辺貞夫
高校時代ブラスバンドでアルトサックスをやっていた私にとっては嬉しいサプライズだったが・・・
なぜ、ナベサダ?※2
なぜ、サックス?

14:00。今度こそ法王様のお話第2部が始まった。
今回は比較的平易な内容なので、チベット語ではなく英語で話し始めるが、どうしたことか、第1部ほどの勢いが感じられない。心なしか、声もかすれて聞こえる。
[1週間で3回の講演というタイトなスケジュールでお疲れなのかな? 今回は更にロングランの講演だし・・・]
などと思っていたところ、法王様は最初の一節が終わるとすぐに
「今回は(同時通訳機による)英語の通訳もあることなので、ここからはチベット語で」
とお断りを入れ、そこから先はチベット語でお話しされた。
すると・・・

 復 活(笑)

いつもの法王様が戻ってきた。

その後は、
「心の平和を保てば体が健康になり、幸せや家族の平和も導かれる」
「全ての幸せの源は愛と思いやり」
「親の愛情を受けずに育った子供は、心の奥で他の人を信じられなくなる」
「以前は『私たち』『わが国』と『彼ら』『他の国』との間にバリアのようなものがあったが、国と国とが依存し合う今、自国のことばかり考えている訳にはいかない。『一つの人間家族』という意識が必要だ」
と、いつものように「愛」「利他」などをテーマにした内容をいつもの明調子でお話になった。

法王様がお元気だと聴衆も元気だ。最後の質疑応答にはいつもにも増して多くの人々が並び、日本人以外の姿も目立った。法王様が時間を30分延長してできる限り多くの方が質問できるようの計らってくださったが、それでも並んだ全員が質問、とはいかなかった。

講演、質疑応答を通じて少し印象的だったのが、ダライ・ラマ法王が
「仏教は『学ぶ』ことが重要。例えば般若心経も、唱えるだけでは駄目で、どのような意味なのかを学ぶところまで要求される」
と繰り返しおっしゃっていたことだった。そろそろ私も、本腰で仏教を「学ぶ」ことをしてみるかな。

16:30。講演終了。開始時と同じく、拍手に送られて法王様がステージを後にする。

いつもながら、ダライ・ラマ法王のお話を拝聴していると穏やかで温かな心になることができる。
ここ数年で、私の心は以前よりも穏やかに、でありながら強くなり、なお且つゆとりができてきたように何となく思われる(自画自賛?)のだが、2007年のダラムサラ以来、法王様の講演、法話を6度に亘って拝聴してきたことと無関係ではあるまい。

一つだけ、今回の講演で残念なことがあった。
「写真撮影はご遠慮ください」と主催者のお断りがあったにもかかわらず、写メを撮る連中が少なからずいたことである。特にひどかったのは、午前の部、午後の部各回の冒頭で報道関係者の方の撮影タイムが設けられたのだが、どさくさに紛れて一般の方が大勢前の方に出てきて写メを撮っていた一幕があったことだ。午後の部ではついに、進行役の進藤さんが「お写真はご遠慮ください」と皆に呼び掛けたのだが、それでも写メを撮る者は後を絶たなかった。
著名人の講演やコンサートでの写真撮影や録音はしない、というのは常識的な最低限のマナーではないのか? お心の広いダライ・ラマ法王だからまだよかったが、気難しいアーティストだったりしたら「もう日本には来ない」ということにもなりかねない。
私もカメラをやるので、撮りたい気持ちは理解できる。しかし、そこはTPOをわきまえて自重していただきたかった。
いや、カメラをやるからこそ、そう思うのである。


※1 未だに気づいていない国があるような気がするのは気のせいだろうか。ほら、日本の隣あたりに・・・
※2 コメント参照

ダライ・ラマ法王長野講演2010

(昨日の話になりますが、当日は帰りが遅くなったので本日の更新とさせていただきます)

2010年6月20日午前8時。新宿発の高速バスで長野へ。顔見知りも少なからずいる。どうやら目的は同じようだ。
長野に到着後、目指したのは長野五輪メモリアルアリーナのビッグハット。前日に善光寺を訪問されたダライ・ラマ14世猊下の講演がこの日ここで行われる。

午前2時。拍手に迎えられてダライ・ラマ法王がビッグハットの壇上に姿を現す。来場者に手を振り、壇上のタンカに向かって五体投地をした後、まずは般若心経を唱える。それが終わるといよいよ、法皇様のお話である。

「先ほど唱えた『般若心経』の中に『照見五蘊皆空』という一節がありますが、これは『実人間の心身を構成している五つの要素=五蘊がいずれも本質的なものではない』という意味であります」
と、まずは般若心経の一部の解釈についてお話しされ、その流れで「自我」と「無我」についてお話しになった。
その後も
「人間は社会の中で生きていく生き物であり、思いやりの心・慈悲が必要とされる」
「世界が経済危機にある中、自国のエゴではなく『普遍的責任感』を持つことが必要」
などのお話があった。
また、
「若い人にお願いがある。英語をしっかり学んでいただきたい。好き嫌いはともかく、英語は今や国際語である。下手でも気にせず、世界に飛び込んでいただきたい。私の英語もブロークンだが、こうして英語を介して世界各国の人々と交流ができている」
と、日本の若者たちに呼びかける一幕もあった。

昨年10月末に東京・両国国技館にお越しいただいた時には、どうしたことかいつもの元気さに欠けていたように思われた法王様だったが、この日はお元気そのもの。慈愛・力強さ・ユーモアを兼ね揃えたダライ・ラマ14世節全開のステージとなった。

2時間強の講演時間はあっという間に感じられた。法王様のお姿とお声に直に接するだけでも十分、という段階は私の場合、既に通り越しているようだった。

[もっとお話をお聴きしたい・・・]
これも煩悩?

しかし、すぐにもっとお話を拝聴することになるのである。

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演
2010年6月26日(土)会場:パシフィコ横浜 展示ホール

関東在住者としては行かずにいられる訳が無い!
中5日で駆けつける予定であるのは言うまでも無い。(6月22日には金沢でも講演があるが、さすがにこれは無理)

チベット写真展~笑顔・祈り・大地~現地より

20100619_1

東京・西荻窪のカフェ旅茶箱にて。

来訪客の方々の反応は上々。
「チベットいいなぁ~~」
「また行きたいなぁ~~」
皆さんの旅情をそそっているようです。

本日、旅茶箱ではスペイン語の勉強会も行われていて、チベットの写真が飾られる中、ラテンの話に花が咲いているという奇妙な状況に。。。

チベット合同写真展開きます!@東京・西荻窪【終了】

昨年は単独でチベット写真展という無謀な試みを実施してしまいましたが・・・
今年は合同写真展に参加します!

チベット写真展~笑顔・祈り・大地~

チベット写真展~笑顔・祈り・大地~

チベットに魅せられた人々が必ず口にする、「人々の溢れる笑顔」「尊き仏教文化」そして「美しい大地」。それらをテーマにチベットに魅せられた旅人達がとっておきのワンシーンを持ちよりました。チベットの魅力を写真を通じて多くの方と共有したく写真展を開催致します。


期間:2010年6月5日(土)~6月27日(日)
場所:旅茶箱(西荻窪駅徒歩5分) http://ameblo.jp/greenbazaar/

主催:Students for a Free Tibet 日本(SFTJ)
協力:チベタン・チルドレンズ・プロジェクト(TCP)、チベコロ

※会場はカフェの為、ワンドリンク以上のオーダーをお願い致します。
※毎週土曜日 18-23:00はイベント「出張旅人の夜」の為チャージ300円をいただいております。
※会期中に別のイベントのお客様もいらっしゃっています。詳細は旅茶箱ページでご確認下さい。

旅茶箱

何卒お誘い合わせの上ご来場お願い申し上げます。

チベット・カム地区のジェクンドで大地震

2008年のアバ大地震からほぼ2年。またしてもチベット東部で大地震が起きてしまった。
場所は、ウ・ツァン、アムド、カムのチベット3地域が接する地点の近くにあるジェクンド(ケグドゥ)。山奥ながらかなり規模の大きな街だ。


より大きな地図で チベット・カム地区ジェクンド を表示

中国西部でM7・1の地震 学校倒れ児童生き埋め(中日新聞 2010年4月14日)
http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/CK2010041402000205.html

 【北京=朝田憲祐】中国中央テレビなどによると、中国青海省南部の玉樹チベット族自治州玉樹県で14日午前7時49分(日本時間同8時49分)、マグニチュード(M)7・1の地震が発生した。震源の深さは約33キロ。木造家屋はほとんど倒壊し、同日午前11時(日本時間正午)までに、少なくとも67人の死亡が確認された。
 死傷者はさらに増えるとみられる。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は死者が300人を超えたと報じた。一部の学校が倒壊し、小学生らが生き埋めになっているという。中国地震局は、災害救援隊を現地に派遣した。
 地元テレビ局の担当者は「地震発生と同時に、建物が激しく揺れたかと思うと、一瞬にして倒れた」と興奮気味に話し、「就寝中だった住民も少なくなく、被害はかなり大きくなるだろう」との見通しを示した。
 地元政府は、M4~6規模の余震が続く中、緊急対応指揮部を設置。軍や警察などの治安部隊が、家屋の下敷きになっている被災者の救助作業に当たっているほか、臨時の医療用テントも設けた。
 一方で、同省を管轄する蘭州軍区に出動を要請したが、現場は、チベット自治区や四川省に近い中国西部の、平均標高4000メートル以上の山間地帯で、道路条件も悪く、約800キロ離れた省都西寧からは少なくとも丸1日かかるという。このためパラシュート部隊の出動を求めている。

4月15日の段階で、死者は617人にまで増えてしまったと報道されている。

M7.1と言うと、M7.3だった阪神・淡路大震災と同等の規模である。1995年1月17日のあの日、私は震源地から170kmも離れた広島県尾道市に旅行で来ていたのだが、それでも震度4の大きな揺れに叩き起こされ、恐怖の余りに机の下に隠れて小さくなったことを今もはっきりと覚えている。今回ジェクンドを襲った地震は震度4どころではなかろうから、人々がどれ程の恐怖に陥ったか、想像するに余りある。

学校倒壊と聞くと、やはり2年前の大地震が思い出されてしまう。TVの報道によると、倒壊していない建物と倒壊した建物の差がはっきりしているという。
あの時の教訓から耐震性の強化などの措置は取られていなかったのだろうか。同じことの繰り返しが起きてしまったとすると余りにやりきれない。

どうして立て続けにこの一帯で大地震が発生するのか――どうやら原因は同じところにあるらしい。

地元で近年最大級=「08年四川」と同じプレート-青海地震(時事通信  2010年4月15日)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010041500067

 【北京時事】中国地震台ネットセンターは、中国青海省玉樹チベット自治州玉樹県で14日に起きたマグニチュード(M)7.1の地震について、同じ地区で2006年7月18日に起きたM5.6の地震を上回り、地元では近年最大級の地震だと指摘した。中国新聞社電が報じた。
 同センターによると、今回の地震は四川省甘孜-玉樹-風火山を結ぶ断層で発生。この断層はバヤンカラ山脈が乗るプレートの南端を通っているが、08年5月12日の四川大地震(M8.0)も同プレートの東南端で発生したという。
 同センター予報部の劉傑主任は今回の地震について、本震の前にM4.7の前震があり、余震も続く「前震-主震-余震型」と指摘。「四川大地震と比べると余震の数は少ないかもしれないが、強い余震が起きる可能性もある」と警戒を呼び掛けている。

6万人が死亡したアバ大地震よりも死者が少ないのが不幸中の幸い――などと思ってはいけない。600人だろうと6万人だろうと、大勢の尊い命が奪われたことに変わりは無いのである。
命を落とした方々には哀悼の意を示し、生き延びたものの余震に怯えながら氷点下にもなる寒さの下苦しい生活を強いられている人々には支援の手を差し伸べたい。

しかし、支援するにしても支援先に注意が必要だ。例えば、以前のアバ大地震の時にも支援物資を中国人が横流しするなどの問題が発生している。
信頼できる団体の支援活動を以下に。

最後に・・・
必ず「中国青海省」は「チベット・カム地区」に、「玉樹」は「ジェクンド」に置き換えて読んでいただきたい。

当時の現地の写真

「雪の下の炎」(樂真琴監督)DVDリリース!

セブン・イヤーズ・イン・チベット」「クンドゥン」「ヒマラヤを越える子供たち[DVD]」「チベットチベット」「風の馬 」等、チベット関連のDVDをいろいろ集めていますが、ついに待ち望んでいたあの名作がDVD化されました!
雪の下の炎「雪の下の炎」(樂真琴監督)
以前にも紹介した、チベット僧パルデン・ギャツォ師の33年間に及ぶ理不尽な獄中生活とインド亡命後の活動を描いた作品です。

昨日、4月8日のリリース日を前にNYから樂監督(どーでもいいことですが、カズのマイミクさんでもあります)が駆けつけて記念上映会が行われました。
作品の内容紹介と感想は以前に書いたものを参照していただきたく思いますが、挿入歌に使われているテチュンさんの歌に関しては、テチュンさんのリサイタルを観賞後初めて見た今回、歌っている彼の顔が思い浮かんでこれまでとはまた違った感慨もわきました。

上映後には樂監督と「I Love Tibet」主宰者のライター長田幸康さんによるトークイベント。元気でハキハキとした樂監督とチベットを知り尽くした長田さんとの間で軽妙なトークが展開されました。パルデンさんが最初に入ったお寺のこと、撮影秘話、プライベート秘話(笑)、メーキング映像の一部紹介、そして「チベット政府は独立を放棄して『高度な自治』を求めているが、チベット人の本音は本土の人も亡命社会の人も『独立』なのである」(このギャップについては映画の中でも垣間見ることができる)、「このDVDをお知り合いの中国人に見せてあげて下さい。彼らは(2008年に聖火リレーが行われた時の)長野の時みたいに集団になるとダメですが、個々人は話せば分かります」などのお話がありました。

終了後も、DVDの先行販売と樂監督のサイン会。しかし、「サインなんてしたことがない・・・」と樂監督。私もDVDに書いていただきましたが、とてもシンプルで初々しいサインでした♪。

上にも書きましたが、DVDは4月8日に発売開始となります。映画館で見損ねた方は勿論、既に見たという方も、DVDでしか見られない撮影秘話も含まれていますので、ぜひお買い求めを!
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