バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

韓国、モンゴル

ウランバートル-2 ~ガンダン寺(1)

2008年12月30日

この時期のモンゴルは夜明けが遅く、人々の活動開始も心なしか遅めだ。私は割と朝早く起きたものの、外がまだ薄暗く表に出る気にはならない。朝食をとったり本を読んだりして暫く過ごす。
部屋の窓から、表通りとは逆方向の外を覗いてみる。マンションに囲まれるようにして小さな公園がある。どこかで見たような光景だ…。
[中国…]
中国の某市で暮らしていた一時期、オンボロマンションから見えていた中庭の様子によく似ていたのである。 それだけではない。ウランバートルの街全体が、中国の地方省都あたりと規模も雰囲気も酷似している。社会主義体制の下で育った都市というのはこんな感じになるものなのだろうか。何か、中国に戻ったような感覚で、居心地が良くない。

辺りがすっかり明るくなった9時。表に出て、目抜き通りのエンフタイヴァン(平和)大通りから1ブロック北のボダルダー通りを西に進む。
すぐに小さな仏塔のある施設が目に入った。 ガンダン寺
ガンダン寺。左側が観音堂
看板を見ると仏教協会で、門の横に設置されている掲示板にはダライ・ラマ14世の写真も飾られている。ここにも、モンゴルでチベット仏教が信仰され続けている証しがあった。

相変わらず凍結した路面にしばしば足を滑らせつつ、ガンダン寺に辿り付く。
ガンダン寺は1838年に創建されたチベット仏教寺院だ。社会主義政権時代初期に一度は廃れるが、今では完全に復興して、モンゴルにおけるチベット仏教の信仰と教義の研究の中心的存在となっている。
一際目立つのが、山門をくぐって正面に見えるチベット様式の観音堂だ。中に安置されている観音像は、最初のものはソ連のスターリンによって失われ、現在あるのは2代目だが、高さ25mもの巨像。1996年完成とまだ新しく、全身金色でまばゆいばかりだ。観音像の本来の存在意義である信仰とか慈悲とかいうものよりも、迫力ある存在感の方が先立って感じられてしまう。
とはいえ、祈りの対象であることには変わりない。観音像に向かって手を合わせてお祈りをしていると、
「仏教徒ですか?」
と係員(俗人)が声をかけてくる。
「はい」
自分でもびっくりするほど、すんなりと肯定の返事が出た。未だ無宗派だが、仏教徒としての自覚はかなり強くなってきているようだった。
「そこにダライ・ラマの写真もあります」
「ええ、そうですね」

観音像
高さ25mの観音像
祭壇には若き日のダライ・ラマ14世の写真
祭壇には若き日のダライ・ラマ14世の写真も

彼に言われるまでもなく、気づいていた。祭壇の上に、小さな観音像と並んで、20代か30代の頃と思われる若かりし日のダライ・ラマ14世の写真も飾られていた。
実は「ダライ・ラマ」という称号は1578年、モンゴルのアルタン・ハーンからチベット人高僧ソナム・ギャムツォに送られたのが始まりである。ここに法王の写真が飾られているのは、チベット仏教のリーダーとしてモンゴル人信者たちから敬意を受けていることの表れであると同時に、モンゴルとチベットとの間にある、チベット仏教を介した深い繋がりを象徴しているようにも思われた。

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