ラサ-4 ~バックパッカーの宿
2007年7月3日
ポタラ宮広場を離れた後は、ツアーに付きものの土産屋巡りだ。最初はヤクの加工食品売り場。次にチベット博物館に来たかと思ったら、博物館見学ではなく併設されている高級土産店へと案内された。
最後にチベット医学の研究所を訪れるが、待っていたのは薬草のレクチャー。中国語でも英語でも理解できそうになかったので、薬草の展示などを見ただけで外に出て、出発を待つ。
興味のないどうでもいい所に連れ回されるのが、ツアー最大の難点だ。
夕食後、えらく街外れにあるホテルに荷物を置いた後、希望者だけでバルコルの自由散策へ。私とワタルもそれに参加する。但し、バスで送ってくれるのは行きだけで帰りは自力で帰れ、とのことである。
バスを降りた後、同じツアーの若い中国人女性が私たちに話しかけてきた。
「帰る時は…」
「あれ? 日本語話せるの?」
「少しだけ…」
チベットで中国語を話すのは控えようと決めていたので、私が中国語を理解できることをツアー参加者は知らない。そこで親切にも日本語でホテルへの戻り方を教えてくれたのだった。
実のところ、バルコルはツアー終了後いくらでも歩けるので、私とワタルはバルコルには行かなかった。私たちがここまで来た目的は、ツアー終了後に泊まる安宿の偵察だった。
スノーランドは先ほど偵察済みだったので、まずヤクホテルへ行ってみた。ラサでバックパッカーが集まる安宿の代表とも言われる宿である。ドミトリーは1泊30元と少し高めだが、ロビーも部屋も奇麗で快適そうである。ただ、ドミトリーの部屋に鍵が無いというのが少し気になった。
次にキレーホテルへ。ここは6年前にも宿泊した、思い出のある宿である。
キレーホテル
入ってみると、中庭にあるレストランの外観が若干変わっていたものの、その他には何も変わっていない。トイレの汚さも相変わらずだった。
宿の2階に上がってみると、私もワタルも共に見覚えのある顔があった。中国・昆明の茶花賓館で少しだけ話をしたヨシアキだった。思わぬ再会である。話を聞いてみると、キレーホテルには結構日本人が宿泊しているようである。
その後中庭に下りてみると、またしても見覚えのある顔がある。中国・成都のシムズゲストハウスで知り合い、パーミットなしで独り列車でラサへと向かったレオである。私たちが一番その後を気にかけていた仲間で、思いがけず無事再会することができた。
「列車の中で健康状態の申告書書かされなかった?」
私が尋ねると、
「書かされましたね。でも、外国人だと知られてもパーミットの提示は要求されませんでしたよ」
それじゃ、私たちの苦労は何だったんだ? パーミットなんて要らないんじゃないか。それとも、レオがたまたま幸運だったというだけなのだろうか。
残念ながら、レオは翌日にはチベットを去るという。せっかくの再会もこの日限りとなった。
このキレーホテルは日本人が多いようで安心できる。それに、私はここに泊まったことがあってそんなに悪くないホテルだと分かっている。そして何より、この宿こそが私にとってのラサの原点であるような気がしたのだ。私とワタルは、ツアー終了後の宿をキレーホテルにすることに決めた。
<後日談>
その後も、パーミット無しでラサにたどり着いた日本人と続々出会う。「パーミット無しでも運がよければチベットに行ける」と言うより「パーミット無しで行くと運が悪ければ追い返される」というのが実情なのかもしれない。(但し、2008年3月の中国共産党によるチベット弾圧事件以後は事情が変わっている)
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