ラサ入り ~バルコルとジョカン
2001年8月3日
チベット高原のど真ん中で、工事車両に道を塞がれて止まったバスの中で一夜を過ごす。辺りが明るくなって、ようやく工事車両の持ち主が現れ、障害物をどけてくれた。私たちのバスを先頭に、道路の両車線に大型車両が数え切れないほどずらりと並んでいた。一体、何を考えてあんな所にあんな風に車両を停めていたのだろう。理解に苦しむ。
お陰でラサ入りは予定より半日も遅くなってしまった。
しかし、やっとのことでラサに到着したという喜びは、そんな不満を一瞬にして打ち消してくれた。バスターミナルからホテルに向かう道中、遠目にラサの象徴・ポタラ宮が目に飛び込んできた。
(本当に、チベットに来たんだ…)
長年憧れていた最果ての大地 ―― 感激もひとしおだった。
私たちのラサめぐりの拠点となったのが、キレーホテル。チベット族居住区域に当たる市街地東部に位置する、外国人バックパッカーの溜まり場的ドミトリーの一つだ。
この日は到着が遅れたことから、予定のツアーは実施されず、終日自由時間となった。皆がそれぞれに午後の時間を過ごすことになり、私もキレーホテルに程近い、バルコル界隈をあてもなく歩いてみた。
バルコル。街の向こうにポタラ宮が見える
バルコルは、トゥルナン寺(通称『ジョカン』)を中心に八角形に巡らされた歩道で、道の両側には、隙間もない程にびっしりと、土産物屋が建ち並んでいる。
しかし、ここで売られている土産物は、お世辞にも手頃な値段とは言えない。そこで、観光客と店の主人との値引き合戦が繰り広げられる。
攻撃する(買う)側は、決して言い値で物を買ってはいけない。必ず、半値あるいはそれ以下の値段を言ってみるのが鉄則だ。チベット族の店の主人は、こちらがどんなに無茶な値段を言っても、決して怒ることはない。そんな時も、笑って「そんな安い値段じゃ無理だよ」と言って、気持ち安めの値段を提示してくる。
それでも、納得して妥協してはいけない。さらに粘ることが必要だ。守備(売る)側が「そんな値段じゃ売れない」と言ったなら「それなら要らない」と立ち去る素振りを見せればいい。すると彼らは慌てて「待て待て、その値段で売ろう」と言ってくることが多い。
中国の八達嶺長城で値段交渉に味をしめた私は、このバルコルの自由闊達な市で、毎日のように買い物を楽しんだ。
しかし時折、こちらが漢語で「多少銭(幾ら)?」と尋ねても(今考えると、とてつもなく無神経で失礼なことをしてしまっていた)、漢語で答えずに電卓で値段を提示してくるチベット族に出くわすことがあった。特に年長者の中には、いまだに漢語を使うことを頑なに拒んでいる者も多いようだ。
やはり、チベット人は中国を嫌っている。
或いは、もとより漢語を解さなかったのかもしれない。
バルコルの中心に位置するジョカンは、チベット仏教の中心寺院で、7世紀に中国から嫁いできた文成公主らが建てたといわれている。チベット仏教徒にとっては、イスラム教徒のメッカにも相当する、巡礼の対象だ。
正面広場から見たトゥルナン寺(ジョカン)
ジョカン正面で祈りを捧げる信者たち
正面では敬虔な信者たちが、五体投地をしながら熱心に祈りをささげている。
内部には、文成公主がもたらしたといわれる仏像や、信者に御利益をもたらす無数のマニ車がある。
時折、どこからともなくチベット語の歌が聞こえてくる。漢語の歌の聞き取りすらいまだおぼつかない私に、チベット語の歌が聞き取れるはずもないが、その声を聞いているだけでも、チベット仏教の、いや、チベットの、神秘が体に染み渡ってくる。
ところで、ラサは北京から西へ経度にして25度も離れているというのに、使われている時刻はなぜか北京時間。そのため、9時近くになっても辺りは依然として明るいままだ。
時間感覚が少しおかしくなりそうに感じつつ、ラサでの1日目を終えた。
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