チベット
- 概要
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インド・ネパール・ブータン・ビルマ(ミャンマー)・東トルキスタン(新疆ウイグル)・中国と接する、チベット人の居住区で、現在"中華人民共和国"が言うところの西藏自治区、青海省、四川省西部、甘粛省東南部の一部、雲南省西北部一帯のエリア。世界最高峰・チョモランマ(エベレスト)やカイラス、梅里雪山等を擁する高山地帯である。
7~9世紀にはソンツェン・ガムポを始祖とするチベット初の統一王朝王国が栄え、吐蕃の名で唐に恐れられる。13~14世紀にはモンゴル元朝の保護を受けるものの、チベットが寺、元が檀家のような関係(チュ・ユン)だったといわれる。1642年、オイラート族(モンゴル系)のグシ・ハン率いる青海ホショト部(グシ・ハン朝)の下、ダライ・ラマに寄進された形のウ・ツァン地区にガンテンポタンというダライ・ラマを中心とする政府が成立。内紛と満洲族の清朝の介入で18世紀初頭、青海ホショト部が滅亡した後は、清がチベットに影響力を及ぼすようになり、ラサに駐藏大使が送り込まれたりする。しかしそれでも、ダライ・ラマを中心とする体制に変わりはなく、清朝がチベットを統治していたという訳ではない。
1910年、首都ラサを一時清軍に占拠されるが、清朝滅亡後の1913年、独立を宣言。 しかし第2次大戦後、大陸中国を制圧した中国共産党の侵攻を受け、詐欺同然の「17か条協定」を突きつけられて1951年、中国共産党の占領下に置かれる。その後、1959年3月10日に"チベット蜂起"が発生し、それが中国共産党に弾圧された際、ダライ・ラマ14世がインドに亡命するに至る。1989年、パンチェン・ラマ10世の不自然な死を機に中国共産党への反発が高まる中、当時"チベット自治区"共産党書記長だった後の"中華人民共和国"主席・胡錦濤により戒厳令が敷かれる。更に、胡錦濤主席体制下の2008年、Free Tibetを訴えるデモに対し中国共産党当局による過剰な弾圧・虐殺が行われた。独自のチベット仏教が栄え、ポタラ宮、ジョカン、タシルンポ寺等のチベット仏教建築が目を引くが、6259もあった僧院・尼僧院は中国共産党当局の破壊を受けて1976年までに僅か8か寺となってしまった(現在では観光客誘致のため再建が進んでいる)。
ヤク等の牧畜や鉱業(これが、中国共産党がチベットを放さない大きな理由の一つ)が盛んである。
本来の首都はラサだが、亡命政府は現在インド・ダラムサラにある。
日本との時差は、なぜか北京時間が適用されているため、-1時間で、日の出と日の入りが普通の感覚からすると極めて遅い。
コンセントの形状は主にA 、C 、O
- ビザ(日本人の場合)
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外国人がチベットに渡航するには、なぜか"中華人民共和国"ビザが必要。
なお、香港人、マカオ人を含む外国人(なぜか中華人民共和国人は含まれていない)がチベットに渡航するには、パスポート、ビザのほかチベット観光局発行の入境許可証が必要。
(詳細はこちら)
- 日本からのアクセス
- 日本からの直行便はなし。"中華人民共和国"・成都、ネパール・カトマンズなどから乗り継ぎを。
- 主な都市・観光地(青字は到達済み)
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ウ・ツァン地区:
ラサ、ナムツォ、ギャンツェ、シガツェ、サキャ、ナクチュ、ツェタン、ティンリー、ダム
アムド地区:
ルシャル、ゴルムド、ツォ・ゴンボ(ココノール、青海湖)、サンチュ(夏河)、九寨溝、黄龍、臥龍
カム地区:
タルツェド(康定)、カンゼ、リタン、ジェクンド(玉樹)、ギェルタン(シャングリラ)、ジョル(徳欽)、カワカブ(梅里雪山)
ンガリ地区:
アリ、カイラス山、グゲ
- リンク
- 「リンク集・チベット」をご参照下さい。
- 当旅行記の該当部分
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※中国共産党が言うところの"チベット自治区"のほか、中国共産党が占拠している本来のチベット圏全体を対象にしています。但し、青海省西寧市は歴史的・文化的に言ってチベット圏からは外れるのでですが、同市郊外のツォ・ゴンボやルシャル(クンプムのある街)は歴史的・文化的にもチベット圏です。
※リンク先ページの[前][次]はエリア別ではなく「時期順」モードのものです。
チベット、大陸中国周遊
・西寧、ツォ・ゴンボ~菜の花に彩られた塩湖
・ルシャル~仏教コミュニティ クンブム(タール寺)
・ゴルムド~チベット行き「待ちぼうけ」
・チベット高原-1~ラサへ向けて出発
・チベット高原-2~チベット・ハイウェイの高地の光景
・ラサ入り~バルコルとジョカン
・ガンデン寺~タンカ祭り
・ポタラ宮~ラサの象徴
・デプン寺~侵略の爪跡
・ノルブリンカ、セラ寺~熱気の問答
・ラサ出発~急ぎ足だった「憧れの大地」
・九寨溝への道~再びチベット圏へ
・九寨溝~美しき別天地
・黄龍~石灰岩の美しき別天地
アジア周遊第2部 チベット東南部、大陸中国西南部
・ギェルタン(シャングリラ)-1~チベット最東南端
・ギェルタン(シャングリラ)-2~標高3000mのチベットの寺院と民俗
・ギェルタン(シャングリラ)-3~ナシ人の聖地・白水台
・ギェルタン(シャングリラ)―ジョル(徳欽)~“三江併流”を行く
・ジョル(徳欽)-1~カワカブと友の墓標
・ジョル(徳欽)-2~許されざる光景
・ミンヨン(明永)-1~氷河への道
・ミンヨン(明永)-2~氷河とカワカブ
・ジョル(徳欽)-3~「飛来寺」の本堂
・ジョル(徳欽)―ギェルタン~カワカブ、遂に見えず
・ギェルタン(シャングリラ)-4~ここはやはりチベット
・ギェルタン(シャングリラ)-5~桃源郷の風景
・臥龍~パンダの里
アジア周遊第3部 チベット
・チベット鉄道-1~チベット入り
・チベット鉄道-2~雪景色から緑の風景へ
・チベット鉄道-3~ラサ入り
・ラサ-1~漢語封印
・ラサ-2~ポタラ宮、再び
・ラサ-3~チベットはチベット人のもの
・ラサ-4~バックパッカーの宿
・ラサ―ナムツォ~写真撮影でいさかい
・ナムツォ、ヤンパチェン~天の湖
・ラサ-5~法王様の写真
・ラサ-6~ネパールビザ申請、チベット博物館
・ラサ-7~密教学院ラモチェ
・ラサ-8~バルコル
・ラサ-9~早朝のジョカン
・ラサ-10~チベットの天気は変わり易い
・ラサ-11~ポタラ宮をコルラ
・ラサ-12~ネパール行き同行者探し
・ラサ-13~ネパール行きへ前進
・ラサ-14~ギャンツェ、シガツェ、チョモランマ・ベースキャンプ行き確定
・ラサ-15~イスラム街と夜のポタラ宮
・ラサ-16~物憂げなチベット少女の絵と廃墟
・ラサ-17~チベット僧のコミュニティ・セラ寺
・ラサ-18~セラ寺の問答
・ラサ-19~出発前夜
・ラサ-20~いざ出発。さらばラサ
・ヤムドク湖―ギャンツェ~「トルコ石の湖」と荒野
・ギャンツェ~パンコル・チョエデとギャンツェ・ゾン
・シガツェ~タシルンポ寺で信仰心の芽生え
・シェカール-チョモランマ・ベースキャンプ~世界最高峰の裾野
・チョモランマ・ベースキャンプ ~雲に阻まれ…
・チョモランマ・ベースキャンプ-ティンリー~断腸の予定変更
・オールド・ティンリー~チョモランマ終に見えず
・ニャラム~ミラレパ修行洞と緑豊かな渓谷
・ニャラム-ダム~悪路を走って国境の街へ
・ダム~陸路で国境越え ネパールへ
・チベット巡り総括~仏教心とFree Tibetの思いの芽生え
<関連部分>
・ダラムサラ-1~山の上の小さな村
・ダラムサラ-2~ダライ・ラマの亡命先
・ダラムサラ-3~ティーチング参加申請、バグス滝
・ダラムサラ-4~バグス滝とダライ・ラマ公邸
・ダラムサラ-5~ティーチング1日目
・ダラムサラ-6~ティーチング2日目、チベット医学
・ダラムサラ-7~ティーチング3日目
※筆者は中国共産党によるチベットの植民地支配を認めていません。