バス憧れの大地へ

雑記ブログ

SFT事務次長テンジン・ドルジェさんを囲んで(詳細)

先に書いた、5/9に行われたアメリカ国籍のチベット人であるSFC事務次長テンジン・ドルジェ(テンドル)さんのトークイベントについて、詳しく書くことにします。

挨拶の後、まず2007年4月25日(パンチェン・ラマ11世猊下の誕生日を選んで行われた)にチョモランマベースキャンプにて行われたFree Tibetアピールの映像が上演された。
その3か月後に私自身が訪れたベースキャンプが、その時雲に阻まれて見ることができなかったチョモランマ峰が映し出され、その前で
 ONE WORLD
 ONE DREAM
 FREE TIBET 2008
 西藏独立

と書かれた横断幕が掲げられている。
「(ペテン五輪の聖火は)チベットに来ないでください。あなたたちの国の一番高い山でやってください」
「この地を中国にすること、チベット人を中国人にすることはできません」
「あなたたちは中国に住み、私たちはチベットに住みましょう。隣人として友人になりましょう。それ以外に道はありません」
テンドルさんの訴えが世界最高峰の前で響く。

続いて、テンドルさんのトーク。通訳つきの英語によるトークだったが、非常に聞き取りやすい英語だった。
テンドルさん
「アメリカ人として、アメリカのパスポートで中国に入国したが、チベット入りのパーミットをとる時、『あなたはチベット人』ということで断られた。中国人は自由にチベットに入ることができるのに、なぜチベット人が自由に入れないのだろうか? 結局、ツアーに潜り込んで飛行機でチベット入りすることができたが、本来はチベットが中国人にチベット入りを許可すべきであるはずなのに中国がチベット人に許可を与えることに理不尽さを感じた」
「ラサではプロテストを行った者と関わったとして迷惑がかかるといけないのでチベット人居住区に入ったりチベット人と話したりすることを避けていた。ポタラ宮にも行ったが主人が電気を消していなくなってしまったような印象を受けた。ラサ滞在は心苦しく、3日滞在しただけですぐにチョモランマベースキャンプに向かった」
「プロテスト当日、午前中は雲や霧でチョモランマ峰が見えなかったが、普段は唱えないマントラを唱えながら歩いていると、ベースキャンプに着く10分前ぐらいに雲が動き始めてくれ、寒さで使用が危惧されたコンピューター類も温まって使えるようになってくれた」
「アピールを始めて20~25分後、公安が来て取り押さえられ、所持品を没収されたが、映像は既にインターネットと衛星を通じて送られていた」
「初めは中国語やチベット語で怒鳴られていたが、アメリカのパスポートを見せると急に態度が変わった」
「(拘束されていた)ティンリー郡には何も決定権が無く、水や煙草を与えていいかという些細なことまで、ティンリー→シガツェ→ラサ→北京というルートで伺い、その逆ルートで決定が届くのを待たなければならなかった。ようやく北京から届いた決定は『できるだけ丁寧に扱うように』というものだった。既に映像がYoutubeなどで公開された後で、丁寧に扱わないと国際問題になりかねないことを考慮したのである。1年後には五輪が行われるために中国はイメージアップが必要だったこともあり、私たちはすぐに解放されて3日後にはネパールに抜けることができた」
「今回のことで中国政府の本質が分かった。外に向けては規律が整っていて力強いように見せているが、チベットで見た中国は腐敗し、効率が悪く、政府で働いている人は最も無知で腐敗していた。インターネットの規制も政府の人を無知にした一因だ。中国の統治は人を無知にすることで行われる。こんなことが長続きするはずがない。中国のチベット統治はいずれ崩壊する」
「チベットは必ず自由になる。その根拠は、
1. 高地のチベットで中国人が長期にわたって暮らすのは難しい。
2. 中国はnationではなくempireである。歴史的に見て、モンゴルやイギリスを見ても分かるように、帝国は50年から100年、長くても200年ぐらいしかもたない。中国帝国は既にピークを迎えている
3. 非暴力。中国は強大で、中国が勝つに決まっていると考える人が多いが、チベットと中国の対決は非暴力対暴力の対決。中国は非暴力とどう闘えばいいか知らない」
「チベットサポーターの皆さんは歴史を変えることに貢献している。皆さんのサポートは仏教をサポートすることにもなる。チベットを支援することは世界平和に貢献することにもなる。非暴力のプロテストが成功すれば暴力による戦いの続く世界の人々の意識が変わるかもしれない」
穏やかで腰の低い人柄の裏には、熱く強固な心があった。

トーク終了後も、テンドルさんは参加者と気さくに会話をする。私も拙い英語で話をさせていただいた。
「あなたたちのプロテストから2、3ヶ月後、私もチョモランマベースキャンプに行きました」
「本当?」
「でも曇っていてエベレストは見えませんでした」
「6月?7月?」
「7月でした」
「ああ、7月は一番見えにくい時期ですよ」
そこへ、別のチベット人が
「祈らないからだよ」
と一言。そうかもしれない。先ほどのトークの中でマントラを唱えていたら雲が動いてくれたという話を聞いた瞬間、私も同じことを考えていた。

夜にはテンドルさんや在日チベット人を交えて食事会。チベットの人たちとはデモなどの折に少しばかり話をさせていただいたことはあったが、こうして杯を交わしながら交流することで、彼らとの絆が一層深まった気がした。

お開きの後、テンドルさんは在日チベット人たちと一緒に会場を後にした。きっと、同胞同士で飲みながら祖国のことでも語り合ったことだろう。

関連コンテンツ

SFT事務次長テンジン・ドルジェさんを囲んで

アメリカから大物チベット人が来日!
Students for a Free Tibet(以下SFT)で事務次長を務めるテンジン・ドルジェ(テンドル)さんである。

彼は、かつてチベットのチョモランマベースキャンプにてFree Tibetのアピールを行って拘束された経験があるという・・・

あれ?
この話、どこかで聞いたことが・・・

そうだ。
2007年にチベットを目指した時、外国人旅行客にパーミットがおりにくくなっていたが、その原因になったのがそのアピールである。これしきのことで全く関係のない外国人までシャットアウトするなど、全くもっていい迷惑を被った外国人に少なからず出会ったことをよく覚えている。

この日、テンドルさんのトークイベントがあり、ちょっと早めに会場に着いたら、SFTJの皆さんが打ち合わせをしていた。前にアースデイ2008でSFTJのブースに居ついてしまったことがあったためか、スタッフカードを渡されてしまった。
    違うよ、今日は一般参加だよ!!

開場を待っていると、眼鏡をかけた男性が寄ってきて、握手を求めてきた。
ネームプレートには「Tendor」。

そうか、この人があのアピールの主・テンドルさんか・・・温厚でにこやかで、人当たりのよさそうな人だった。

午後2時すぎ、イベント開始。
まず、2007年のイベントの映像が上映され、それからテンドルさんのトーク。アピールの様子やこれからのチベットのことについて話があった。

夕方からは、テンドルさん、在日チベット人、日本のチベットサポーターを交えての食事会。初めてチベットの皆さんと酒を酌み交わす機会に恵まれ、自分の中でチベットの方々との連帯感を一層強くすることができた。

(詳細については本日はちょっと書ききれないので、明日の午前にでも追記します)

関連ページ

砂曼荼羅

朝8時。高速バスで長野駅前を出発。渋滞が心配されたが極めて順調に走り、むしろ予定時間よりもやや早く12時30分前には東京・新宿駅西に到着した。

昼食後、そのまま西新宿にある仏寺・常圓寺に向かう。ここでこの日まで、チベット・シガツェのインドの[※]タシルンポ寺から僧侶を招いて「チベット・スピリチュアル・フェスティバル2009@新宿」が開かれていたのだ。

[※]シガツェのものではなく南インドで再建されたものでした。ご指摘くださった渡邊先生、ありがとうございました。

今回の目玉は、招待された僧侶たちによる砂曼荼羅の作成。作業は非常に細かく、5月1日から5日間にわたって行われており、この日午後の完成を目指し、常圓寺地下で詰めの作業が行われていた。
砂曼荼羅作成中
※写真クリックで動画を再生
(YouTube利用、別ウィンドウ表示)

暫く、別フロアのグッズ売り場などを見た後、1階に戻ってTVモニタを覗いてみたところ・・・
完成した砂曼荼羅
砂曼荼羅の周りに僧侶たちがいない。どうやら完成したようである。

ふと1階のホール部分を見ると、大勢のお客たちが座り始めている。
「何かあるんですか?」
と顔見知りのスタッフに尋ねてみたら、
チャムですよ! これが肝心じゃないですか! 早く入って下さい!」
実はイベント内容を細かくチェックしておらず、砂曼荼羅のことしか頭にインプットされていなかったのだ・・・。

チャムとは、チベット伝統の仮面劇である。話には聞いていたが、見るのはこれが初めてだった。
チャム チャム
※写真クリックで動画を再生(YouTube利用、別ウィンドウ表示)

チャムの他にも、

4対1の僧侶の問答
4対1による僧侶の問答
チベット僧の祈り&楽器演奏
チベット僧の祈り&楽器演奏

※写真クリックで動画を再生(YouTube利用、別ウィンドウ表示)

なども行われた。

そして、16時20分、訪問客らが地下に集まる。
ここで行われようとしていたのは・・・

砂曼荼羅の破壇(取り壊し)

何と、5日間かけて作業して先ほど作り終えたばかりの砂曼荼羅を早くも壊すのだ。
これは、仏教の「諸行無常(変化しないものは無い)」との考えによるものである。砂曼荼羅を使った灌腸の儀式(私は行けなかったが今回もこの日の午前中に行われていた)が終わればそれはもう用済みということで壊してしまうのだ。
祈りの後、砂曼荼羅が僧侶たちの手で取り壊されていく。

壊される前の砂曼荼羅
Before
壊された砂曼荼羅
After

※写真クリックで動画を再生(YouTube利用、別ウィンドウ表示)

しかし、壊された砂曼荼羅の砂粒は、川に流される(今回は隅田川)ほか訪問客たちに分けられ、ご利益のおすそ分けがされるという寸法だ。
そのおすそ分けが↓これ↓。
曼荼羅の砂
あの砂曼荼羅は、タシルンポの僧たちが精魂込めて作ったものである。
そういえば、私がチベット仏教に引き込まれた場所がまさに、2007年に訪れたチベット・シガツェのタシルンポ寺だった。
何か、深い仏縁が感じられる。

タシルンポ魂、受け取りましたぞ!!(って、それが何なのか分からないのが致命的 orz)

関連コンテンツ

長野紀行(3)

善光寺参拝の後は、長野駅の方向へ戻った場所にあるもんぜんぷら座地下BOX (長野県長野市新田町1485) にて開かれていた(5月5日まで開催)「チベットウィーク2009春 in 長野」の展示会場へ。会場近くで、東京でお目にかかったことのあるスタッフの方にお目にかかり、場所を確認して会場に赴きました。
会場会場
限られたスペースの中、チベット問題の説明、写真、子供たちの絵、関連書籍、リーフレットの展示や折鶴コーナーなどが効率よく設置されていました。

その後、バスで川中島古戦場へ。上杉謙信と武田信玄が激闘を繰り広げた場所が長野市だったことを今回初めて知りました(長野県であることは知っていたのですが・・・)。公園内の神社には、当時の一騎打ちを偲ばせる謙信vs信玄の像や首塚、当時の陣立てを説明するパネルなどが置かれていました。
謙信・信玄の像
その隣にあった長野市博物館を見学後、市内から更に離れた松代にある松代城海津城)跡へ。バスが一向に来ないのでしびれを切らし、40分ほど歩いて行ってしまいました(バスには目的地手前500mほどで追い抜かれた)。
松代城
松代城は、真田信之に始まる真田氏松代藩の居城。当時の石垣が残り、太鼓門(再現)や戌亥隅櫓台(事実上の天守台)が立派でした。

バスで長野市内に戻り、チベット問題アピールのリンカ(ピクニック)がしばしば行われる若里公園をウロウロした後、再びチベットウィーク2009の会場へ。東トルキスタンの核実験被害を訴える映像を見させていただきました。
その後もスタッフの方々と懇談し、気がつけば夜の飲み会にまで参加――長野の熱く、濃いチベットサポーターの方々と実りのある時間を過ごさせていただきました。

関連ページ

長野紀行(2)

提灯

2泊3日とはいえ、長野の街を歩けるのはこの日1日だけ。朝早くから行動しました。

まず訪れたのが、長野の代名詞と言ってもいい、善光寺。今年は7年に一度の「御開帳」の年。町全体が御開帳ムード一色になっていました。参道にはあちこちで、御開帳を祝う提灯などが飾られていました。

駅前の宿から(私らしく)歩いて善光寺へ。

善光寺大門
8時20分。善光寺大門着。
長蛇の列
8時25分、仁王門で長蛇の列の最後尾に。


境内着
8時52分、やっと境内へ。
人だかり
笑いたくなるほどの人だかり。



三門通過
9時22分、やっと三門通過。

導師様の道が開く

暫く歩き進んだところで・・・
「これから導師様がご退場しますので、道をお開け下さい!」
とのアナウンス。「モーゼの十戒」の場面のように、人波が左右に分かれて道ができました。(右写真。残念ながら退場時は撮影禁止でした)
その間を、善光寺の導師様が歩いていきます。この時、有難い「お数珠頂戴」が行われたのですが、それを受けることができたのは私がいた反対側の人たちだけで、残念ながら私はお数珠を受けることができませんでした。


柱に到着
9時48分、やっとのことで回向柱(えこうばしら)に到着。
(写真で柱に触れているのはカズではありません)

こうして善光寺本堂前に辿り着いた訳ですが、私はそこを後回しにして、境内北西にある日本忠霊殿へと足を向けました。
日本忠霊殿
なぜ本堂よりもそちらを優先させたのか・・・下の写真をご覧ください。
ダライラマ御寄進仏
ダライラマ御寄進仏!!

私が長野を訪れた最大の理由がこれでした。

昨年(2008年)のことを思い出して下さい。
ペキンペテン五輪の穢れた聖火が長野でリレーする際、スタート地点の指名を返上し、同年3月の騒乱で亡くなったチベットの人たちの法要を行ったお寺がありました。
その素晴らしいお寺こそ、この善光寺さんでした。
ダライ・ラマ猊下はそれに感謝の意を込めて善光寺さんに仏像を寄贈したのです。
高さ21センチの小さな仏像でしたが、金色の見た目や大きさ以上に神々しさが感じられ、私はその小さな仏像に深く深く祈りを捧げました。(撮影禁止だったのが残念!)

猊下寄贈の仏像に拝謁して既に満足感を得た私は、開帳された前立本尊を間近に見られるものの4時間もかかる内陣参拝は敢えてせず、遠くからながらも前立本尊が見える外陣参拝と、御印文頂戴と、その他のお堂を巡るだけにとどめました。
これで十分・・・11時半、私は善光寺の境内を離れた後、昼食にまたしても信州そばを頂いた後、次の場所へと向かいました。

映画『風の馬』(3度目)&トークイベント

昨日に続いて東京・渋谷のUPLINKへ。この日の映画は実に3度目となる「風の馬」(詳しいレビューはこちら)。

ドルカがペマの手を取りながら一緒に歌うシーン・・・
ドルカが狂ったようにマニ車を回すシーン・・・
家族との別れ・・・

不覚にも涙腺がゆるんでしまった。

ビラ1枚で殺された祖父・・・
たったの一言で獄に繋がれたペマ・・・

昨日の「雪の下の炎」トークイベントで田崎先生が「あり得るべき映画ではない」とおっしゃっていたが、この映画についても同じことが言える。チベットでは、あってはならないことが余りに起きすぎている。

さて、この日も上映後にトークイベントが行われた(実は映画そのものもだがこちらの方も目当てだった)。
今回の弁士はチベット仏教世界の歴史と文化を専門とする早稲田大学教授・石濱裕美子先生。ダライ・ラマ法王のことを中心に、

ダライ・ラマの実存(1.一人の人間としての立場 2.一宗教者としての立場 3.チベット難民としての立場)
亡命後にしたこと(僧院の再建、チベット子供村[TCV]創設、民主化、文化諸機関の設立)
非暴力(ガンディー、キング牧師、ツツ大主教、アウン・サン・スー・チーが法王に与えた影響や、1989年の東欧におけるほぼ無血の民主化とのかかわりなど)

などのお話をいただく。

そして、奇しくも昨日田崎國彦先生がおっしゃったことと似た趣旨のことを話された。

「(チベット人がナショナリズムを教育などで出さないことに絡めて)中国人の愛国心は日本軍が侵攻したことによるものである」

日中戦争に関してはいろいろな立場・意見があるだろうが、この点について日本人は心の隅にでもしっかり置いておいた方がいいのかもしれない。

関連コンテンツ

映画『雪の下の炎』(2度目)&トークイベント

仕事を早めに切り上げて、東京・渋谷の職場近くの映画館UPLINKへ。2度目の鑑賞となる「雪の下の炎」を見に行く。
元々もう1回は見るつもりではいたが、本日は既に顔見知りになっていたキム・スンヨンさん(映画『チベットチベット』監督)と田崎國彦先生(チベット問題に詳しい学者)のトークイベントがあるということで、この日を選んで駆け付けた。

上映前、UPLINKの喫茶店で田崎先生、キム監督たちと少しばかり話をしたが、その中で田崎先生の奥さまである渡邉郁子先生が
「サイトやってますよね?『憧れの・・・』」
何と渡邊先生、このサイトを見てくださっていた!! 有難い話である。

映画のレビューは以前も書いたのでここでは繰り返さないが、パルデンさんの強い意志と慈悲の心、チベットが置かれている現状の厳しさ、ハンストの緊迫感などは何度見ても胸を打たれる。中には涙ぐむ観客すらいた。

上映が終わったところで、田崎先生とキム監督のトークイベント。映画の内容を踏まえ、チベット問題について語る。
以下、印象に残った話を抜粋。

田崎先生:
「あり得るべき映画ではない。そういうことを考えつつ、現実を見ていく必要がある」
「中国にとって最大の敵はお坊さん。デモの時にはまずお坊さんが先頭に立ち、それから一般の人たちが続く。拷問されると分かりながら自分の信念を曲げないのは、慈悲に支えられた正義が拠り所となっているからだ」
「初めのころ、毛沢東はチベットの自立も頭にあったが、抗日戦争の中で『一つの中国』の流れが強くなってきた」

田崎先生の視点はユニークで、お話を聞く度に目から鱗が落ちる思いをさせられる。

キム監督:
「映画『チベットチベット』で拷問の話をどれだけ入れるか迷った。ひどいのになると、割りばしで口につっかい棒をして口にトイレの汚物を入れるとか、処刑の際に死刑囚の息子に銃を持たせ、それに中国人が手を添えて撃つということが行われていた」
「映画『雪の下の炎』でパルデンさんが電気棒を口の中に突っ込まれる話があったが、実は私、電気棒をやられたことがあります。2004年にチベットへ行った時、お祭りがあって競馬を見ていたのですが、人間そういうものを見ていると体が斜めに(前のめりに)なってくるもので、そこへ人民解放軍兵士が『後ろに下がって!』と電気棒を持ちながら場内整備をしていたら、その電気棒が私の体の前で振られたのですよ・・・ビリビリビリ!! ほんの少しかすめただけでスタンガンのようなショックが走りました。あれを口の中に入れられたら、そりゃ総入れ歯になってしまいますよ」

そんな中で、反省を促されるお言葉が・・・

田崎先生:
チベット問題には、怒りではなく『慈悲』の心で関わっていくことが必要

分かってはいるのだが・・・行うは難しい。
「農奴解放記念日」あたりから、このブログもかなり怒りに任せて攻撃的になってしまっている。
言うべきことはきっちり言わなければならないが、「公開」ボタンを押す前に、もう一度冷静になって読みなおそう。

         反省・・・

<追加情報>
キム監督の「チベットチベット」が、6月20日よりUPLINKでアンコール上映されます!!
また、同じく6月に、「チベットチベット」が河出書房から本となって出版されます!!

関連コンテンツ

【書評】『チベット真実の時Q&A』(フレデリック・ルノワール)

先日書店で見つけたこの本。巻末を見ると、「2009年3月25日 初版発行」となっている。つい最近発売されたばかりだ。
興味深かったので購入して読んでみた。

作者のフレデリック・ルノワール氏はフランス国立社会科学高等研究院客員研究員、『宗教の世界』誌編集長という肩書きを持つフランス人。

同書では、チベット問題に関する28の疑問に対して答える形式をとっている。
Q1 チベットはどこにある?
Q2 この国はいつ、どうやって成立した?
Q3 チベット人と中国人の類似点と相違点は?
Q4 なぜ仏教がチベットのアイデンティティーの核なのか?
Q5 なぜチベット人は一人の僧侶によって統治されてきたか?
Q6 ダライ・ラマ一四世はどんな人?
Q7 伝統的なチベットは農奴制度を持つ封建社会だったのか?
Q8 中国がチベットの領有権を主張している根拠は何か?
Q9 中国にとってのチベットの重要性とは?
Q10 1950年の中国によるチベット侵略の経緯は?
Q11 なぜ国際社会は反応を示さなかったのか?
Q12 中国がチベットにもたらした変化とは?
Q13 なぜ“文化的ジェノサイド”と表現されるのか?
Q14 なぜ2008年3月に反乱が起きたのか?
Q15 中国で自治権拡大や独立を求めている民族は他にあるか?
Q16 チベット危機は中国解体の引き金となるか?
Q17 なぜダライ・ラマはチベットの独立を要求しないのか?
Q18 もっと過激な動きはあるのか?
Q19 ダライ・ラマは退位できるのか?
Q20 誰が後継者となるか?
Q21 ダライ・ラマは生まれ変わるのか?
Q22 中国人はチベット問題や人権についてどう考えているのか?
Q23 中国による圧制の犠牲者は他にあるか?
Q24 中国の経済的成功は民主主義をもたらすか?
Q25 なぜ国際社会はチベット支持を強く打ち出せないのか?
Q26 なぜ欧米世論はチベットの主張に同情的なのか?
Q27 チベットはどうなる?
Q28 何をするべきか?

例えば、封建制と農奴制について。「この点(チベットは、[欧米人が想像するような]融和と社会的平等が確立した国だったのだろうか、それとも社会的にも政治的にもきわめて閉塞的で封建制に凝り固まった国だったのだろうか、という疑問)については、中国当局の主張が正しい」と、総論ではかつてのチベットに封建制が存在したことそのものは認めている。この点については、チベット人の中には異論を唱える者もいることだろう。
一方、農奴の待遇については「領主が豊かな生活を享受するためには、農奴にできるだけ快適な暮らしを保証してやらなければならなかった」「大貴族や僧院を除けば、事実上領主と農奴との間には一種の連帯感があった」としており、苛烈な農奴制を主張する中国当局とは意見を異にしている。

また、中国の侵略による犠牲者について、チベット亡命政府が概算する120万人という人数のほか、イギリスの歴史家などが推定した「50万人から60万人の間」という説も併記しつつ、「だがこの数字でさえもぞっとさせられる」としている。

このように、中国側にもチベット側にも偏らない極めて客観的な観点から論証を進めているが、結果としては(当然のことながら)中国のチベット支配を非難する内容になっている。
つまり、極めて中立的な目で見て、中国のチベット併合が侵略でありその支配が抑圧であるということは客観的な事実であるということを同書はあらためて明らかにしているのだ。

上記のような客観性と、文章の分かり易さと、掲げられた28の問題がいずれもチベット問題を考える上で欠かせない基本的なものであることから、チベット問題を知るための1冊目としてお勧めできる一書である。

チベットの声を聞いてください

mixiで、抑圧を受けるチベット人の痛ましい声が掲載されていました。ここに転載します。

はっきり言います。これを読んで心を痛めない人は人間ではありません。

チベットを愛しているみなさんへ
私はチベット人の代表として日本全国のみなさんに心から感謝いたします。これからもよろしくお願いいたします。

日本のみなさんへ、本当にありがとうございます。たくさんの人がチベットのために今までいろんなことやってきました。これからももっとやっていく人まだ
まだたくさんいると思います。

私は中国の中で育ったチベット人でございます。黒暗の社会です。これを思うたびに涙が出てきます。私の家族だけでいっても、59年私のお爺さん政治犯で刑務所に入った。当時私のお父さんは2歳になっていない。家全部壊され、財産、家具すべて持ち出されました。残されたのはお婆さんと二人の子供だけでした。食べ物、着るもの一切なし。そのとき何を食べてきたのか、草です。私の家族は59年から草をたべって育ってきました。私のお父さんは自分のお父さんの顔も知らない。刑務所から帰ってきて、すぐなくなりました。生まれる前の年になくなりました。それからお婆さんは私が21歳のときになくなりました。
わたしが子供のときお婆さんは毎日泣いて当時のことを話しました。

残った三人の生活、なくなったお爺さんの刑務所での生活、これを考えると私の心臓動かない。この悲しみは一生消えない。

昨日テレビを見ました、中国の大使館の人と中央テレビのアナウンサ、大学の教授ら三人いました。最初は日中関係を話しましたが、途中からチベット問題をはなしました。そのときのあいつらの発言は私の心を射しました。何であんな発言するのか。その場で殺したかった。日本人に”あなた達はチベットのことわかっていません。もっと勉強してください”こんな自慢の発言もしました。一人だけじゃない三人とも、これで見ると、中国人が傲慢な人間なのがわかります。自分の上には何もないと思っています。本当にありえないですよね。中国人には人権があります、自由を知っています。

私はひとつの例を挙げます。中国のすべての番組で毎日日中戦争が放送されています。今でも放送しています。中国の13億の人の中で半分以上の人は日本という国の事はわからないと思いますが、日本語というと「馬鹿やろ」これは誰でもわかります。何でこんなことになるの、これは中国教育問題です。

じゃ それでは チベットは?何でチベットと中国の戦争は放送できないの。なんで、理由は????これは自由ですか。これは人権あるのか。こんな例はたくさんあります。

中国は世界に”チベットは発展しています”って言っています。本当にそうですか。日本のみなさんそう思いますか。もし思っていれば大間違いです。”チベット鉄道はチベットのためです。”いいえ、違いますよ。チベットを漢化させるための第一歩です。中国の資源の50%はチベットにあります。それの運送のためです。または今回のように軍人移動のためであります。それでチベット鉄道を建設のためにその周辺と駅だけ、観光客の目の前だけきれいにしているだけです。それを世界に大きく広げています。中国のやり方を見ると心が止まらない。

チベットのみんな苦しんでいます。助けて下さい。

Free Tibet !!

アースデイ東京2009 2日目

「アースデイ東京2009」2日目。本日は午後から会場入りしました。

本日は晴天。日曜日ということもあって、昨日に勝る大賑わいとなりました。
チベットブースも昨日に引き続き元気で、歩道橋から見えるチベット国旗も大きなものにバージョンアップです。
アースデイ会場

この日はチベットブースだけでなく、いろいろなブースやイベントを
アースデイのブース アースデイのイベント
見たいと・・・
思っていたのですが・・・

結局、殆どは写真を置かせていただいたStudents for a Free Tibet Japanさんのお手伝いに終始しました。

私がお手伝いしたのは、2つの署名(死刑判決撤回とパンチェン・ラマ11世解放を求めるもの)への協力を道行く人たちにお願いしたり、チベット問題についての質問に答えたり、が主な内容。
最初は署名の趣旨がよく分からなかった人たちもスタッフや私(私は”スタッフ”ではなく”助っ人”)が説明すると快く署名に応じてくれていました。
中には「チベットでは何が問題になっているのですか?」「なぜチベットはこんなことになっているのですか?」「チベットってこんなに大きかったのですか?」といった――1年前の私を見ているような――基本的な質問もあり、それに答えることでチベット問題への理解を広げていきます。私もようやく、そうした質問に答えられるようになりました。

午後5時、撤収開始。2日間にわたったアースデイが終了しました。
署名も集まり、チベット問題に対する認識とチベットサポートの底辺を広げることもできたのではないかと思っています。

※参考ページ
 ⇒弊サイト「チベットの環境破壊

関連コンテンツ

<新着記事>

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索
お勧めメディア(Amazon)
チベットの大地へ