成都-1 ~シムズ・コージー・ゲストハウス
2007年6月20日
成都では初め、前回も宿泊した交通飯店に行くつもりだった。しかし、昆明で知り合った複数の日本人の口からあるゲストハウスの名前を聞かされるうちに、興味を感じてそちらに宿泊することにした。
シムズ・ゲストハウス(旧1号店)
そのゲストハウスは、Sim's Cozy Guesthouse(以下『シムズ・ゲストハウス』もしくは『シムズ』)。成都市街の北側に位置する文殊院の近くにある、シンガポール人シム氏・日本人マキさん夫妻が経営する安宿だ。古風な建築様式に、明るく親切なスタッフ、"痒い所に手が届く"サービスの三拍子で、まさしくコージー(居心地がいい)である。近くには安い食堂も多く、中には1元でラーメンを食べられる店もあり、ここに滞在中は頻繁にお世話になった。
各国バックパッカーが集まっているが、中でも日本人が多い。
「あれ!?」
その日本人客の中に、見た顔があった。10日前に昆明で知り合ったワタルである。彼もまた、シムズの評判を聞いて宿をここに決めたのだった。
ワタルのほか、マサフミ、ゲン、タカユキといった日本人と集団で夕食に出かける。まずは四川名物の坦々面を食べたが、それだけでは腹が満たず、別の店へも梯子する。
思ったとおり、成都に集まるバックパッカーにはチベット・ラサを目指す者が多い。しかし、チョモランマ・ベースキャンプで米国人が行ったデモの影響で入境許可証(パーミット)が発行されにくくなったことから、皆苦戦している。自然と、パーミットが無理なら闇で、と考える者も多くなってきているが、自力で列車のチケットを買おうにもラサ行きのチケットは入手は極めて難しいようだ。
ラサ行きの列車は北京、上海・広州、成都・重慶からのみ。しかも、上海・広州と成都・重慶はそれぞれ1日交代なので、1日に3便だけということになる。しかも人気が集まるのは想像に難くない。という訳で競争率は信じられないほど高い。成都では10日後の列車の切符を購入することができるのだが、購入可能な10日後までの切符がいつ行っても完売状態なのである。
「あ、そう言えば、この間列車の中で身分証のチェックがあったな…」
私のその一言が、闇でのラサ行きを考えていた旅行者たちの不安を煽ってしまった。
上記のデモの事情も次第に分かってきた。どうやらチベット独立を訴えるアピールが、在米チベット人を含めたアメリカ人たちによって行われたという。(一時は『彼らが中華人民共和国国旗を燃やした』という噂が伝わってきたが、それは全くのデマだった)
全くもって正しい主張である。幾ら中国共産党の意に沿わないことが行われたとはいえ、この程度のことが1度行われただけで外国人すべてをシャットアウトする必要があるのだろうか。お陰で私たち旅行者たちがとばっちりを食らう形となってしまっている。(元よりチベットへ入るのに中国共産党当局の許可が必要なことがおかしいのだが)
2007年6月22日
私はできれば正規の手段(この当時はまだ中国の規則を遵守しようという馬鹿正直さが残っていた)で、寝台列車でラサに行きたいと考えていた。チベット鉄道(青蔵鉄路)が1年前に開通したばかりという話題性もあったし、6年前に見たチベット高原の風景を今度は列車の車窓から眺めてみたかったのである。
幾つか旅行社を回った結果、シムズの近くにある成都国際旅行社が比較的低料金で、寝台チケットやパーミットの取得にも自信ありげだし、片道だけの参加でもOKとのことだったので、ここを第1候補とすることにした。外国人が正規にパーミットを取得して行くことになるのでツアーという形式を取らざるを得ないが、ラサに確実に到達することが最優先である。
夜、同行者を求めて、シムズに泊っている日本人に声をかけてみる。既にラサ行きの硬座チケット(闇)を手に入れていたもののやはり寝台で行きたいというワタルが参加確実となり、マサフミ、タカユキも興味を示してきた。
その後も旅談義に花が咲き、午前2時まで話し込む。世界各地を巡ってきた者も少なくなく、中国専門だった私は小さくなるばかりだった。
そんな中、日本人の1人がぽつりと言った一言が私の心に響いてきた。
「中国からチベットへ…」
私はこの時まで、不本意ながらもチベットが中国に取り込まれていることを、諦めに近い気持ちで認めてしまっていた。しかし、この一言が私の心を解き放った。
[そうだ。チベットはチベットじゃないか!]
やっと、こんな当たり前のことを心の底から念じることができるようになった。この時から、私も「中国とチベットは別々のもの」「自分はこれから中国を離れてチベットへ行こうとしているのだ」と、ごく自然に考えるようになっていた。