2019年8月17日
山梨県甲府市で1泊して、朝7時すぎ、100名城巡り2日目のの行動開始。県庁前から積翠寺行きのバスに乗り、市街地から山の中に入って終点で下車。そこから更に坂道を15分ほど歩いて、本日1つ目の名城の入り口に行き着く。
要害山。手前に見えるのが積翠寺バスを下りた時から見えていた要害山の上にあるのが、要害山城(続日本100名城No.128)。武田信玄生誕の地とされる城だ。
要害山城入り口
竪堀跡と土塁跡主郭部へは山道を歩くことになるが、かなり草深く、一部は足元が見えない箇所もあり、ここでマムシでも出たらたまったものではないと、少し恐る恐る歩いた。
竪堀跡と土塁跡、門跡、不動曲輪(武田不動尊像がある)などを経て、30分弱で主郭部に到着した。「武田信玄誕生の地」の碑はあるものの、当時を思わせる遺構が残っているようには見えなかった。
要害城主郭部来る時はバスだったが、帰りはちょうどいい時間のバスが無かった。しかし、要害山城から次の名城までは僅かに3km。しかもずっと下り坂なので、歩いて40分ほどで行くことができた。
次の名城は、武田氏館(日本100名城No.24)。信虎、信玄、勝頼の武田氏3代が本拠とした城だ。「信長の野望」などをプレイしたことがある人なら「躑躅ヶ崎館」という名前の方がピンとくるかもしれない。大河ドラマ「武田信玄」では、往時の立派な姿が何度も映し出されていた。
武田氏館の堀周囲には堀が巡らされ、赤い橋を渡ると武田神社がある。社に向かって左へ行くと西曲輪があり、石垣や、北側の一段高い場所にある枡形虎口などに往時の姿をしのぶことができる。
西曲輪北側枡形虎口社の向かって右側にある宝物館で100名城のスタンプを頂き、そのまま大手門跡から表に出ると、大手の遺構が広がっていた。建物の痕跡は見て取れなかったが、曲輪や土塁などに当時の様子がしっかりと残っている。
武田氏館跡大手
武田氏館跡大手の土塁
少し離れた所にある武田信玄墓所をお参りした後、バスで甲府駅へ。北口にある藤村記念館で、ようやく要害山城のスタンプを頂くことができた。
そして残っていたのが、昨日訪れたものの時間外でスタンプを頂けなかった甲府城である。稲荷櫓でスタンプを頂き、これで山梨県の100名城制覇となった。
甲府城稲荷櫓昼食に甲州名物・ほうとうを頂き、時刻は12時半。今から行けば、もう一つ、中央本線沿いの城を制覇することができそうだ。
昨日来た道を列車で戻り、高尾で乗り継いで更に東へ。下車した駅は、東京駅。目指す城は言うまでもなく、江戸城(日本100名城No.21)だ。15世紀に扇谷上杉氏家臣の太田道灌が築城し、道灌の死後は上杉氏、次いで北条氏の支配下となった。小田原征伐後は徳川家康が入城し、家康が将軍になってからは徳川幕府、ひいては日本の中心地となり、徳川幕府滅亡後は皇居となっている、名城中の名城だ。
江戸城 桜田巽櫓
江戸城 大手門和田倉休憩場で100名城スタンプを頂いた後、桜田巽櫓(現存)を横目に堀沿いに北へ進み、大手門()へ。ここが江戸城参観の入口となる。
百人番所入って石垣の間を抜けると、木造の立派な建物が目に入る。百人番所だ。江戸城は度重なる火災で天守閣を含む殆どの建物が現存しない中、この百人番所は貴重な江戸時代当時の生き残りである。
そこから大番所の前を通って本丸へ。その先に天守台があるのだが、この時は生憎、本丸一体が工事中でこのルートではアクセスできず、一旦百人番所まで戻って中央を抜けるルートを取った。
江戸城天守台
江戸城の天守台は、四方40mを超えるもので、想像を超える大きさだった。天守閣は1657年の大火で消失し、それきり再建されることは無かったのが何とも残念だ。しかし、既に太平の世になって戦のための天守閣が必要なくなった訳で、そんな時代にまた天守閣を再建すれば膨大な費用がかかる無駄遣いになるであろうことは、この天守台の大きさを見れば容易に理解できる。
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