2019年8月16日
東海道線沿線の静岡の100名城巡りを2日前に終わらせて帰宅したが、まだ青春18きっぷは残っている。今度は中央線沿線を、山梨まで1泊2日で行ってみることにした。
山梨の前に、東京都の中央線沿線にも城がある。まずは、八王子駅からバスで20分ほどの、多摩川と秋川の合流点近くという守りに適した場所にある滝山城(続日本100名城 No.123)を目指す。
滝山城は、北条氏照が居城としていた城だが、武田勢の侵攻を受けて八王子城に移ったというエピソードがある城だ。
「滝山城下」のバス停すぐ近くにある入口から山道を10分ほど歩くと、まず中の丸に行き着く。続日本100名城のスタンプはここで押すことができる。見晴台からは八王子の北側を見渡すことができる。北条氏照も、ここから武田軍の侵攻の様子を見ていたのだろうか。
滝山城中の丸
滝山城本丸堀に掛かる「引橋」を渡ると、中の丸から本丸に行くことができる。
しかし、この城で一番有名なスポットは、本丸でも中の丸でもない。堀の下に下りて見上げる、この「引橋」こそ、続100名城のスタンプの絵柄にも描かれているこの城のシンボルなのだ。
滝山城中の引橋
次に目指す城も、八王子市内だ。中央本線で八王子駅から2駅の高尾駅で下車し、バスで15分ほど(但し直行は土日祝ダイヤのみ)の場所にある八王子城(日本100名城 No.22)である。(『八王子城』なのに最寄り駅は八王子ではない)
八王子城は、上記の通り、北条氏照が滝山城を放棄した後に拠点となった城だ。
直行バスを下りてすぐの場所にあるガイダンス施設で100名城のスタンプを頂き、その先の管理棟(ここにもスタンプが設置されている)へ。ここが上と下、両方の城跡巡りの拠点となる。
八王子城管理棟
八王子城からの眺めまずは上へ。途中、先程の滝山城と同様、八王子の街を一望できる場所があった。
更に進むと、八王子神社がある。ここの左右には松木曲輪、小宮曲輪があるようだったが、私は目もくれずに山の上へと向かった。
八王子城本丸そして山のてっぺんの本丸に到着。しかし、それ程広いスペースではない。この城のメインの建物は、上ではなく下にあるのだ。
急いで山を下りて、再び管理棟へ。次はここから下へ向かう。
一度橋を渡った後、また「曳橋」を渡った先にあるのが櫓門跡だ。
八王子城櫓門跡そしてその先にあるのが、御主殿。氏照の住まい等があった場所である。幾つもの柱の跡が残っていて、一部では木の床を敷いて建物の様子が再現されていた。
御主殿の柱跡
建物の様子の再現
次の城を効率よく回りたかったので、私は大急ぎで1時間で城巡りを終え、来た時のバスの次の便に合わせたが、普通なら次の次の便に間に合わせるぐらいが丁度いいだろう。
次の城が遠かった。中央本線で八王子(東京都八王子市)から2時間7分、鈍行列車に揺られて新府(山梨県韮崎市)へ。駅から10分ほど歩いた場所の山の上にあったのが、新府城(続日本100名城 No.127)である。
新府城は、長篠の戦いに敗れた武田氏が穴山梅雪の進言で建てた城だ。武田勝頼が躑躅ヶ崎館からここに居を移すが、織田軍の侵攻から退く際に勝頼によって焼かれたという。
「新府城跡」という交通標識に導かれるように、私は山道を進んだ。南大手門、三の丸、二の丸と進んで、山の頂にある本丸に到着。
新府城本丸本丸はそこそこ広いが、どんな建物があったかを想像させる痕跡は残っていない。しかし、近くにあった「新府城の想定復元図」がそれを補ってくれた。小さな山に見えるが、こうして見ると結構大規模であったことが分かる。
新府城の想定復元図
武田勝頼の霊社本丸の一角には、武田勝頼の霊社がひっそりと建っていた。長篠・設楽原戦役の「将士分骨之碑」も見られる。
勝頼は新府城を焼いて小山田信茂の岩殿城へ向かうも、信茂の謀反に遭い、天目山に逃れ最期を遂げる。この城は、勝頼の悲しい最期にまつわる城だったのだ。
出口になったのは、藤武神社の石段――いや、観光ルートとしては、むしろこちらが入り口なのだろう。かなり急な石段だが「乙女坂」という比較的緩やかな坂もあるので、体力に自信のない人はそちらを歩くといいだろう。
山の北側に行ってみると、東出構・西出構の遺構がある。この辺りは、かつての城の形がしのばれる場所だ。
新府城の東出構さて、新府城のスタンプだが、城跡近くには無い。ここから南へ3km、40分ほど歩いた(公共交通機関は無い)場所にある韮崎市民俗資料館まで行かなければならない。閉館時間は16時半。城跡を見て回っていたら16時になってしまったので、夏の日射しの下を時々走りながら向かう。ギリギリで滑り込んでスタンプを頂くことができた。
資料館最寄りの韮崎駅から中央本線で、来た道を少し戻って、甲府へ。
山梨県の県庁所在地にあるのは一際立派な甲府城(日本100名城 No.25)。「舞鶴城」の異名もある。武田氏滅亡後、徳川家康が築かせたといわれ、以後ここを拠点として甲府の城下町が形成されることになる。
甲府城の天守台石垣組みの立派な天守台があり、上からは甲府の街並みや甲府盆地を囲む山々(富士山も勿論見えるはずだが、この時は雲に隠れて見えず)を望むことができる。但し、この天守台に天守閣が建てられたという記録は残っていないとのことだ。
甲府城の稲荷櫓
甲府城の鉄門天守台のほか、復元された稲荷櫓、鉄門(くろがねもん)も存在感を放っている。
さて、スタンプだが、稲荷櫓と舞鶴城公園管理事務所で頂くことができるが、いずれも開業時間を過ぎてしまった。甲府では1泊する予定なので、明日あらためて来ることにしよう。
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