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日本100名城

100名城探訪記

山中城、興国寺城、駿府城、諏訪原城

2019年8月12日

会社勤めの身だが、今年の夏は8月10~18日の長期休暇を頂くことができた。

夏。
青春18きっぷ。
最近はまっている日本100名城巡り。

よし。
行こう。

という訳で、JRの鈍行を1日乗り放題×5の青春18きっぷを買って、GWに続き日本100名城巡りへ出かけることにした。

今回目指すは、静岡県の名城。
まずは、三島駅で下車して、元箱根港行きのバスに乗って山中城(日本100名城 No.40)へ。
山中城
山中城
山中城は、戦国時代の北条氏の城で、本拠地小田原城を守るための「箱根十城」の一つだ。建築物は残っておらず、再建もされていないが、かつての城の構造が一目瞭然な遺構の残り方をしている。中でも、四角い盆を並べたような独特な「障子堀」が印象に残った。
「障子堀」がユニークな山中城
「障子堀」がユニークな山中城

バスで三島駅に戻り、3つ先の原駅(沼津市)まで東海道線で移動。ここから35分ほど歩いた先に新幹線が走っているが、そのすぐそばの山の上にあるのが興国寺城(続日本100名城 No.145)だ。
興国寺城
興国寺城本丸跡と土塁
興国寺城は、戦国大名北条早雲が初めて城主となった、早雲旗揚げの地という歴史的意義の大きい城だ。
本丸跡の広場の向こうに、立派な土塁を見ることができる。

後日談
上の写真ではただの草原にしか見えないが、その後発掘調査が進んでいる。

本丸奥のスタンプ置き場すぐ横の階段を上ると先程見た土塁の上に出ることができる。高台の上には天守台と伝えられる遺構があり、それと新幹線の線路の間には「空堀」が通っている。ここを歩き回るのが面白いらしいのだが、私はそうとは知らず、ちょっと下りただけで済ませてしまった。 興国寺城の天守台
興国寺城の天守台
興国寺城の空堀
興国寺城の空堀

更に東海道線を西へ。静岡駅で下車し、駿府城(日本100名城 No.41)へ。今川義元、そして徳川家康が居城とした名城だ。しかし、1635年に焼失した後は再建されず、廃藩置県で廃城となっている。現在見られる建物は戦後整備されたものだ。
駿府城の巽櫓と東御門
駿府城の巽櫓と東御門
駿府城は、自身2度参加したことがある静岡マラソンのスタート地点になっているので、既に何度も訪れている。なので、スタンプを頂いたらすぐ立ち去るつもりだったが、巽櫓の資料館の展示や天守台の発掘現場に興味を引かれて、つい長居をしてしまった。
駿府城の坤櫓
駿府城の坤櫓
天守台の発掘現場
天守台の発掘現場

次に訪れたのは、静岡空港近くの金谷町だった。ここにあるのは諏訪原城(続日本100名城 No.146)。駅からのバスは本数が少なく、「旧東海道石畳」を通って徒歩でアクセスした。
城跡に到着したのは16時40分ぐらい。現在続100名城スタンプが置かれている諏訪原城ビジターセンターは16時までしか開いていないが、それまでは駐車場に置かれていて24時間利用可能だったこともあってか、ちゃんと外にもスタンプが置かれている。
諏訪原城
諏訪原城
諏訪原城は武田勝頼が徳川領遠江(静岡西部)を攻めるために建てた城だが、長篠の戦いで織田・徳川軍に敗れた後、徳川軍に攻略され、その後1590年に廃城となっている。
建物は残っていないが、深い堀や「馬出曲輪」跡、そして山の上というロケーションから、まさに「戦のための城」という無骨さが伝わってきた。
諏訪原城の本曲輪(本丸)
諏訪原城の本曲輪(本丸)
諏訪原城の外堀
諏訪原城の外堀

本日の城巡りはここまで。この日は金谷から東海道線を西へ2駅行った掛川で1泊。明日は掛川にある城を巡った後、更に西へ進む予定だ。

アルファポリス

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