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日本100名城

100名城探訪記

大分100名城(1)―中津城

2025年3月21日

福岡県と県境を接する佐賀県の鳥栖駅を11時すぎに出発。青春18きっぷを利用してJR鹿児島本線で西小倉へ、更に日豊線に乗り継いで福岡県を一気に飛び越えて、こちらも福岡と県境を接する、大分県の中津市で下車。予約していた駅前の宿に荷物を預けて中津の街巡りへ。寺町と呼ばれる、その名の通り寺院が建ち並ぶ通りを抜けて、街の北側を目指す。 写真
中津市の寺町
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福沢諭吉旧居
中津市にはキーマンとなる歴史上の人物がいる。その中の1人が福沢諭吉。江戸末期に中津市に生まれ、海外を見聞して明治の啓蒙に貢献し、慶応義塾を拓いた人物だ。彼の旧居を中津川の河口から1㎞ほどの場所に見ることができる。
そしてもう1人が、黒田孝高(官兵衛、如水)。豊臣秀吉の軍師としても知られた戦国武将で、秀吉の九州平定後に豊前国の12万石を与えられる。孝高がこの地で築城を開始したのが中津城(続100名城No.191)だ。周防灘に臨む中津川河口の地に位置し、石垣は近世城郭のものとしては九州最古のものであり、堀には海水が引き込まれ、今治城高松城とともに日本三大水城の一つに数えられる。 写真
北側から望む中津城
関ヶ原の戦いの後、黒田氏は筑前に転封となり、城の造営は細川忠興に引き継がれて大修築が行われ、細川興秋の代に扇形の縄張りに拡張される。本丸北側の石垣には黒田氏の時代と細川氏の時代の境目の痕跡が残っている。 写真
中津城石垣の黒田氏・細川氏の時代の境目の痕跡
中津川の河川敷に下りてみると、川に面した黒田氏の時代の石垣やそこにあった鉄門の跡を間近に見ることができる。 写真
中津城黒田氏期の石垣。奥の窪みが鉄門跡
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中津城本丸内部
明治に入ると御殿を除いた建造物が破却されるが、1877年の西南戦争でその御殿も焼失する。現在見られれる天守は1964年に旧藩主奥平家を中心に建てられたものだが、中津城の天守はその存在も含めて詳細は不明なので模擬天守ということになる。
さて、模擬天守内にある奥平家歴史資料館で続100名城のスタンプを頂こうか――と思ったのだが、入口に回ってみると「休館中」となっている。どうやらリニューアルを行っているようだった。模擬天守なので中に入れないのはまあ別によかったのだが、スタンプは別の場所に行かなければ頂けないようである。黒御門跡、大手門跡を経由して中津駅前に戻り、中津耶馬渓観光協会を訪れて、ようやく頂くことができた。

2025年3月22日

中津駅前の宿で一夜を過ごし、目覚めた後に朝の散歩がてら、もう一度前日同様に寺町や福沢諭吉旧居を経由して中津城を訪れ、黒御門跡、大手門跡を経由して宿に戻り、次の目的地に向けて出発する。 写真
南側から望む中津城
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中津城大手門跡

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