四国100名城(1)―高知城、岡豊城
2024年11月1日
3連休に有給休暇1日をプラスして4連休にして、四国へ。四国は伊予(愛媛)の100名城・続100名城は2021年に制覇していたが、その他の3県の名城はまだスタンプを1つも頂けていない。今回はその3件の名城制覇が目標だ。
ただ、随分前から予定していた旅だったが、直前になって台風が日本をかすめる気配となり、初日と2日目は強い雨は避けられなさそうだった。
まずは土佐(高知)へ。土佐は高知駅前に大きな銅像が立つ坂本龍馬ら幕末の志士が有名だが、戦国時代にも傑出した武将が活躍している。今回巡るのは、その戦国武将ゆかりの名城だ。
高知駅前の三志士像。左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎
はりまや橋(工事中のため裏手から撮影)高知市中心部の宿に大きな荷物を預けて、いざ行動開始。城を訪れる前に、まず高知の名所であるはりまや橋を訪れるが、工事中で表からは見ることができず、裏に回ってようやく見ることができた。
このあたりから雨が強くなり始める。次に目指す城へは歩いても行ける距離だったが、ここは路面電車(とさでん)を利用した。
電車を下りて数分で着いた城は、高知城(100名城 No.84)。関ヶ原の戦いで真っ先に自分の居城(掛川城)を徳川家康に差し出す発言をして東軍の結束を強めた功で土佐を与えられた山内一豊が江戸時代初期に築いた平山城だ。現存する追手門のわきには一豊の銅像が佇んでいる。
高知城の追手門と山頂の天守
山内一豊銅像追手門をくぐって城内へ。明治の政治家で自由民権運動のリーダー・板垣退助の像の横から延びる坂道を上ると、山内一豊の妻の銅像のある松の段に着く。目の前には三の丸の石垣、そして天守が聳えている。
高知城 詰門
高知城本丸へと続く懐徳館更に上へ。三の丸や詰門を横目に二の丸まで上ると、本丸への廊下の役割を担っている細長い建物がある。この建物、ここへ来る途中で見た詰門の上部である。
詰門上部の廊下をくぐった先が、本丸だ。本丸に屹立する天守は江戸時代(1727年)に再建されたものが現在まで残り、現存12天守の1つに数えられる。天守のみならず、天守と一体になっている本丸御殿などその他の建造物も、廃城令や第2次大戦の空襲等をも生き延びて「本丸の建造物が完全に残る唯一の城」と言われる。
高知城本丸御殿・天守本丸御殿の入り口から、いざ内部へ。入り口の入場券売り場で100名城のスタンプを頂く。
本丸御殿も天守も当時のものが現存しているので、勿論木造。当時の趣が伝わってくる。この天守から山内一豊や山内容堂らの殿様が土佐の街を見下ろしていたのだろうか、などと想像するだけで歴史のロマンがかき立てられる。(残念ながら坂本龍馬ら下級藩士はここに登城するということは無かっただろうが)
高知城天守最上階
高知城三の丸本丸からの帰りは黒鉄門から出て鐘撞堂を経由し、先ほど通った詰門や三の丸へ。その後周りを1周して、高知城の探訪終了。雨が降る中での登城となり、愛用の一眼レフカメラがかなり湿ってしまった。
高知城前のバス停から(時間によってはこちらを通らない場合がある)医大病院・領石方面へのバスに乗って、次の城へ向かう。
岡豊山上の高知県立歴史民俗資料館
長宗我部元親飛翔之像学校分岐バス停で下車して少し山を登った所に、高知県立歴史民俗資料館がある。そしてその奥にあるのが岡豊城(続100名城 No.180)だ。戦国武将・長宗我部氏の居城であり、城の入り口には、一時は四国を平定した長宗我部元親の「飛翔之像」が来る者を出迎えている。
岡豊城 詰(本郭)高知城に続いて雨の中、登城開始。本郭に当たる「詰」や詰下段、三ノ段には礎石建物跡が残り、復元されている。
詰からは国分川が流れる高知平野が望める――はずなのだが、この時は雨ですっかり霞んでしまっていた。
霞んだのは景色だけではない。一眼レフカメラも更に湿気にやられて、レンズが内側から霞んでしまった。
岡豊城 三之段
長宗我部氏岡豊城址の碑「長宗我部氏岡豊城址の碑」が立つ展望広場からは詰からとは逆方向の風景を望むことができるはずだったが、やはり霞んでよく見えない。この先にある伝厩跡曲輪からも展望が望めるはずだったが、少し遠く時間が余り無く、雨でテンションも余り上がらなかったため、ここまでで終了。歴史民俗資料館に戻って続100名城のスタンプを頂いて、次の場所へ向かうことにした。
岡豊山その次の場所に向かう間に、雨足はかなり収まってくれた。振り返ってみると、岡豊城を頂く岡豊山を、曇り空の下ではあるが比較的すっきりと望むことができた。
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