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日本100名城

100名城探訪記

北関東100名城(3)―名胡桃城、沼田城

2024年8月10日

群馬・渋川から西方向の岩櫃城探訪を終えてJR吾妻線で、一旦渋川に帰還。渋川駅前の店で昼食を頂いた後、今度は上越線に乗車して北へと向かう。
午後から目指したのは、名胡桃城(続100名城No.115)と沼田城(続100名城No.116)。いずれも岩櫃城同様、真田氏ゆかりの城で、後北条氏などの度重なる侵攻に耐えた歴史がある。豊臣秀吉の仲裁で利根川を挟んだ沼田城を含む2/3を北条が、名胡桃城を含む1/3を真田が治めることになるが、北条が名胡桃城までもを奪ったことから1590年、秀吉の小田原征伐が行われ北条氏は滅亡するという、歴史的転換点の引き金となった城でもある。沼田城が真田氏に返還された後、名胡桃城は廃城となる。
まずは後閑駅で下車して、名胡桃城を目指す。名胡桃城は後閑駅から見て、利根川を挟んだ対岸の絶壁の上に建てられた山城だ。バスなどは無いので公共交通機関のみ使うのであれば40分ほど歩くことになるが、絶壁の上とは言っても国道17号線が通っていて坂道は緩やかであり、歩きやすい。 名胡桃城を目指し、利根川の月夜野大橋を渡る
名胡桃城を目指し、利根川の月夜野大橋を渡る
名胡桃城址案内所
名胡桃城址案内所
利根川に架かる月夜野大橋を渡り、坂道を上った先にある名胡桃城址案内所で続100名城のスタンプを頂き、展示をざっと見てから、隣接する名胡桃城の縄張へ。三の郭・二の郭・本郭・ささ郭が縦に連なる連郭式の山城である。 名胡桃城
名胡桃城
一番手前の三の郭から二の郭へ。間は堀切と再現土塁、食い違い虎口で隔てられていている。建物の跡が3つほど見られるが、往時には8棟の建物があったとされる。 名胡桃城 二の郭堀切
名胡桃城 二の郭堀切
名胡桃城 二の郭跡
名胡桃城 二の郭跡
更に食い違い虎口と堀切を越えた先が、本郭だ。「名胡桃城址」「名胡桃城址之碑」と刻まれた石碑が、ここが名胡桃城の核心部であったことを物語るが、二の郭ほど大きくはなく、何かあった痕跡も乏しい。 名胡桃城 本郭
名胡桃城 本郭
名胡桃城 ささ郭堀切
名胡桃城 ささ郭堀切
この城には本郭からまだ先がある。階段を上り下りして堀切を渡った先にある「ささ郭」は、名胡桃城の末端であり、利根川が山を切り拓いてできた平地を一望することができる。
郭の一番端に位置する断崖の上には幟が立てられているが、この幟、利根川やその対岸からも望遠鏡やカメラのズームレンズがあれば見ることができるので、これを頼りにすれば遠くから城の位置を確認することもできる。 名胡桃城 ささ郭
名胡桃城 ささ郭

名胡桃城の次は、沼田城だ。上越線で後閑駅から1駅南に戻った沼田駅が起点となるが、高台の上にある沼田城は、沼田駅から直線距離で800mだが比高は80m。辿り着くまでの平均勾配は10%にもなる。なので車で行こうとすると回り道をさせられるが、歩いてアクセスする場合は、団子坂(トンネル坂)という坂道・階段を辿れば、勾配は厳しいが最短距離で行くことができる。 沼田城への近道・団子坂(トンネル坂)
沼田城への近道・団子坂(トンネル坂)
沼田城入り口
沼田城入り口
丘に上り、「天空の城下町 真田の城 沼田」と書かれたゲートをくぐるとすぐ、沼田市観光案内所がある。ここで続100名城のスタンプを頂いたほか、岩櫃城・名胡桃城・沼田城の真田3城のスタンプをコンプリートすると頂けるクリアファイルも手に入れることができた。
沼田城址はすっかり公園として整備されていて、かつてあったとされる天守台もその痕跡は残っていない。 沼田城本丸、真田信之・小松姫像
沼田城本丸。右が真田信之・小松姫像
本丸広場の一角に、武者姿の男と着物姿の女の石像がある。16世紀末に城主となった、真田昌幸の嫡子であり信繁(幸村)の兄である真田信之とその妻・小松姫(稲)である。小松姫は徳川家康家臣で猛将として知られた本多忠勝の娘であり、関ヶ原の戦いで信之と昌幸・信繁が東西軍に分かれた際、昌幸が孫たちに会いに沼田城を訪れるも敵方となっていたため小松姫は入城を拒み、近くの寺で昌幸と孫たちを引き合わせ、「女丈夫」と謳われたという逸話が残る。
本丸広場の奥に進むと、古めかしい佇まいの鐘楼が建っているが、これは明治時代の旧沼田町役場の裏に建てられていたのを復元したもので、1682年には廃城になっていた沼田城と関係のあるものではない。 旧沼田町役場復元鐘楼
旧沼田町役場復元鐘楼
沼田城 西櫓台跡石垣
沼田城 西櫓台跡石垣
沼田城で「城」の痕跡がはっきりと残っているのが、本丸奥の西櫓台だ。当時の石垣や、櫓台に上がるための石段、そして本丸と西櫓台を分かつ堀の跡が在りし日の様子を物語っている。 沼田城 西櫓台とその石段・石垣
沼田城 西櫓台(左奥)とその石段・石垣
本丸の北側には「捨曲輪」と呼ばれるかつての曲輪跡があり、沼田氏が築城した初期の沼田城の本郭であったといわれている。
沼田城 捨郭の天狗堂内に安置された天狗面
沼田城 捨郭の天狗堂内に安置された天狗面
ところで、沼田は8月頭に行われる「沼田まつり」で天狗神輿が担がれるなど、天狗ゆかりの街である。捨曲輪の片隅にある「天狗堂」にも大きな天狗の面が安置されているが、これも20世紀に作られたもので沼田城や真田との直接の関係は無い。

沼田から渋川に戻り、宿に預けていた荷物をピックアップして、翌日の城巡りに向けて次に進む。
上越線で新前橋まで南に戻り、続いて両毛線に乗り換えて、今度は東へ向かう。
群馬の名城がまだ1つ残っていたが、それは翌日に回すことにして、一旦群馬を離れ、県境に近い栃木・足利駅前の宿に入り、今回の旅最終日に備えて体を休める。

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