バス憧れの大地へ

日本100名城

100名城探訪記

長野100名城・2024年(1)―高島城、春日城、高遠城、松本城

2024年7月20日

今年も青春18きっぷの夏が来た。
18きっぷ期間最初の土日を利用して、夏の城巡り第1弾の旅に出掛ける。自宅最寄の川崎駅を6時半に出発し、JR南武線で立川へ。中央本線に乗り換えて高尾、甲府で列車を乗り継ぎ、神奈川・東京・山梨を経て長野県に入る。
列車を乗り継ぐこと約5時間――ようやく最初の目的地・上諏訪駅に到着。ここから歩いて15分ほどの場所にあるのが高島城(続100名城 No.130)だ。安土桃山時代、豊臣秀吉家臣の日根野高吉が諏訪湖の南岸に築いた総石垣造りの城で、1601年以降は諏訪氏が封ぜられる。当初は諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城」と呼ばれた。 高島城
高島城
1970年に天守・櫓・門・塀が復元され、堂々たる姿で来る者を出迎えてくれる。
冠木橋を歩いて堀を渡り、冠木門をくぐった先の塀の内側が本丸広場だ。北東隅には隅櫓が、北西隅には3重5階の天守が佇んでいる。 高島城 冠木門
高島城 冠木門
本丸広場から望む高島城天守
本丸広場から望む高島城天守
天守の最上階から北を望むと、少し遠い場所に諏訪湖が横たわっている。干拓で湖は遠くなり、「水城」の様相は失われたが、ここではぜひ、少し想像力を働かせて湖を城のすぐ下まで広げてみよう。 高島城天守から望む諏訪湖
高島城天守から望む諏訪湖
城外から望む高島城天守南面
城外から望む高島城天守南面
次の列車までまだ少しあったので、時間が許す範囲内で諏訪湖の畔を散歩して、歴史プラス自然の風景も楽しむ。 諏訪湖
諏訪湖

中央線で更に北上し、岡谷駅で下車して飯田線に乗り換え。少し南西へと方向を変える。
14時17分、伊那市駅に到着。ここからバスで次の名城を目指すのだが、次のバスまで1時間半近く空いてしまった。近くに何か無いかと探したところ、100名城にも続100名城にも選ばれてはいないが、歩いて15分ほどの小高い山の上に城跡公園があった。時間的にもちょうどいい感じだったので、訪れてみた。
春日城(上杉謙信の居城だった『春日山城』とは別物)は、戦国時代に平家の末裔である伊那の豪族伊那部大和守重慶が居城とした、天竜川の西側に位置し、河岸段丘の崖を利用した堅固な城だ。重慶の元の姓が「春日」だったことから「春日城」と呼ばれる。武田方についた春日河内守昌吉が城主だった1582年、織田信忠軍の甲州征伐で本城の高遠城と共に抗戦するが、高遠城落城後に春日城も火を放たれ落城し、廃城となる。
空堀で連郭式に本丸、二の曲輪、三の曲輪に区切られた土の平山城で、本丸からは天竜川を挟んで南アルプスを望むことができる。 春日城の空堀
春日城の空堀
春日城本丸
春日城本丸

伊那市駅近くのバスターミナルに戻り、15時45分発のバスで東へと向かい、終点の高遠駅で下車。15分ほど歩いた先にあるのが、先程も名前が挙がった高遠城(100名城 No.30)だ。諏訪氏一門の高遠頼継が居城とし、1545年、武田氏に攻め落とされて以後は武田氏の伊那地方への進出拠点となり、山本勘助や秋山虎繁により改築が行われる。しかし先述の織田軍の甲州征伐で落城し、武田氏は滅亡への道を辿る。江戸時代には高遠藩の藩庁となり、京極氏、保科氏(保科正之など)、鳥居氏、内藤氏と城主が交代する。 高遠城を頂く山
高遠城を頂く山
高遠町歴史博物館
高遠町歴史博物館
まずは100名城のスタンプを頂きに、城の裏手にある高遠町歴史博物館へ。元より時間的に参観は厳しかったが、私が出入口に行き着いた16時30分がちょうど閉館時間で、目の前で扉が閉ざされた。とはいえ、スタンプは扉の外に設置されているので、スタンプを逃す心配は無い。
歴史博物館から、城の裏口に当たる南口へ移動して入城。法幢院曲輪、白兎橋、南曲輪を経て、本丸へ。明治時代に建てられた太鼓櫓がある端の方からは、天竜川の向こうに木曽山脈――ちょうど天竜川を挟んで先程の春日城と向かい合っている格好だ。 高遠城太鼓櫓
高遠城太鼓櫓
高遠城の問屋門と桜雲橋
高遠城の問屋門と桜雲橋
本丸から問屋門をくぐり、二の丸に続く桜雲橋を渡る。このあたりは桜の名所で、春ともなるとそれこそ「桜の雲」に浮かんでるかのようであるらしい。
桜雲橋を渡った先から、橋の下の空堀に下りることができた。高遠城も春日城同様、空堀で曲輪が区切られている。今は整備された通路があるから気軽に上り下りできるが、戦国の時代はこの堀が大きな障壁になっていたことは相違ない。 空堀の底から見上げる問屋門と桜雲橋
空堀の底から見上げる問屋門と桜雲橋
城内を一巡りして、「正門」に当たる北門から二の丸を出る。既に開館時間を終えていた旧藩校・進徳館を外から眺め、坂道を下ると、あちこちから移転されて1984年にこの地に行き着いた大手門がひっそりと佇んでいた。 高遠城大手門
高遠城大手門
高遠城大手坂石垣
高遠城大手坂石垣
歩行者はこの先にある歩行者専用の大手坂を下ることになるが、ここでは土造りの高遠城にあっては珍しい石垣を見ることができる。

高遠城攻城後、バスで伊那市に戻り、列車を乗り継いで松本市へ。到着した頃には既に20時を過ぎていたが、あの城のライトアップが終わる22時には余裕で間に合う。松本駅に到着してそのまま、歩いてその城へと向かった。
松本城(100名城 No.29)
豊臣秀吉が天下を統一し、それまでの城主だった小笠原氏が徳川家康と共に関東に移封された後、家康から秀吉に主君を替えた石川数正が入城し、息子の康長の代に亘って天守をはじめ城郭・城下町の整備が行われた城だ。天守は明治に破却の危機を迎えるも地元の名士たちの尽力で生き残って現在に至り、現存12天守の一つに数えられている。
ライトアップされた天守は、見事に内堀にその姿を映してた。 ライトアップされる松本城
ライトアップされる松本城
松本城には以前訪れたことがあったが、100名城スタンプを集め始める前のことだった。そして、この時は既にスタンプ設置場所は閉ざされていた。
ここには明日また訪れることにして、松本駅近くの宿で一夜を過ごす。

コメント(0)

コメントする

<新着記事>

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索
お勧めメディア(Amazon)
チベットの大地へ