高遠城
たかとおじょう
日本100名城 No.30
- 場所
- 長野県伊那市高遠町東高遠(地図)
- 築城時期
- 不明
- 築城主
- 不明
- 主な城主
- 高遠氏、秋山氏、武田氏、仁科氏、下條氏、保科氏、毛利氏、京極氏、鳥居氏、内藤氏
- 分類
- 平山城
- 遺構
- 石垣、土塁、空堀、門
- 概要
-
長野県伊那市の三峰川と藤沢川が合流する間に建てられた平山城。
戦国時代、諏訪氏一門の高遠頼継が居城とし、諏訪氏当主の頼重と反目し武田晴信(信玄)の諏訪攻略に協力するが、諏訪の領有を巡り武田氏と対立し1545年、武田氏に攻め落とされる。以後高遠城は武田氏の伊那地方への進出拠点となり、山本勘助や秋山虎繁により大規模な改築が行われ、信玄~勝頼の頃は対織田・徳川勢力の重要な軍事拠点となる。1582年、織田信長が本格的な武田攻め(甲州征伐)を開始し、高遠城は信長の長男・信忠に攻められ落城。これを機に織田勢は伊那方面からも甲斐へ侵攻し、武田氏は滅亡する。本能寺の変で信長が討たれると甲斐・信濃で天正壬午の乱が発生。諏訪氏の一族・藤沢頼親が復帰するも、後北条氏に帰属していた保科正直が高遠城を奪取。正直はその後徳川家康方に転じ、後北条氏と争って高遠城一帯の上伊那郡を制圧した。江戸時代になると高遠藩の藩庁となり、京極氏、保科氏(保科正之など)、鳥居氏と城主が交代し、1691年以降は内藤氏が藩主となり明治時代を迎える。
1973年、国の史跡に指定される。
兜山城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - JR飯田線伊那市駅近くの伊那バスターミナルから高遠線バスで高遠駅下車、徒歩20分。
- 100名城スタンプ
-
伊那市立高遠町歴史博物館(玄関前)(地図)
- 探訪記の該当部分
- 長野100名城・2024年(1)―高島城、春日城、高遠城、松本城
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