2022年10月11日
大阪府高槻市の芥川山城、高槻城を訪れた後、JR高槻駅から東海道線で新大阪駅へ。そこからおおさか東線で放出まで乗って更に学園都市線で四条畷で下車。ここで目指すは大東市・四条畷市にまたがる飯盛山の頂に築かれた山城・飯盛城(続100名城 No.160)だ。
飯盛城のスタンプは大東市立歴史民俗資料館、四條畷市立歴史民俗資料館、大東市立野外活動センターの3箇所にあるが、野外活動センターは駅から遠く、四條畷資料館はこの日休館していたため、当初は大東資料館最寄りの野崎駅に荷物を置いて飯盛城まで登り、同じ道を戻る計画だった。しかし、生憎野崎駅にはコインロッカーが無かったため、計画変更。荷物を四条畷駅のコインロッカーに預けて大東資料館まで徒歩で戻り、スタンプを頂いてから大東側の登山口から登り、飯盛山を縦断して四条畷側に下ることにした。
11時20分、登山口のある野崎観音から、いざ登山開始。
飯盛山登山口のある野崎観音
野崎城登り始めてすぐに、野崎城の跡に行き着く。南北朝時代に四条畷合戦の舞台になった城だという。
40分ほどで、石垣跡が目に入った。ここが飯盛城入り口の「虎口」だという。
飯盛城の虎口と石垣跡更に南丸、千畳敷郭、堀切、土橋を経て、登山から50分ほどで、山頂の飯盛城本丸に到着した。遺構は石垣が残るくらいで、あとは石碑や展望台、銅像、防空監視所跡などが見られる。
飯盛城は、やはり南北朝時代の四条畷合戦の舞台になった城で、本丸に立つ銅像は当時の南朝方の武将・楠木正行のものだ。戦国時代には飯盛城の戦いが起こり、その後、芥川山城でもその名が挙がった三好長慶の居城となった。
飯盛城跡山頂の標高は316mとそこまで高くはないが、東に目をやると、天気に恵まれていたこともあり、大阪の街が見渡せるのみならず、摩天楼群の向こうに大阪湾、更には淡路島、明石海峡大橋まで見渡すことができた。
飯盛山からの眺望
飯盛山南から登った飯盛山を、下りは北側へ。 伝倉屋敷跡、三本松郭跡、堀切跡、二の丸史蹟碑を経て、12時50分、四条畷側の登山口に出た。
四条畷駅近くで遅めの昼食を頂いて、今回の旅最後の城へと向かう。
締めくくりの城は、大阪城(100名城 No.54)。一度訪れたことはあるが、100名城巡りを始める前のことだったので、今回スタンプを頂くために訪れた。
JR大阪城公園駅のコインロッカーに荷物を預け、城巡りに向かう。この駅からだと極楽橋を経由するのが天守閣への一番の近道だが、じっくり回りたかった私は雁木坂、桜門を経て天守閣へと向かった。
大阪城は言わずと知れた、豊臣秀吉の居城だ。とはいえ、大阪城は大坂の陣で焼失しており、現在に残る遺構は徳川時代に築かれたものだ。天守台も徳川時代のもので豊臣時代のものとは違う位置にあるが、その上に建てられた再建天守は豊臣時代のものを想像してのものだという。威風堂々としたいでたちで、特に最上層下部に設置された金色の虎のレリーフが印象的だった。
大阪城天守閣天守閣に入城して100名城のスタンプを頂き、最上層まで上るが、再建当時の法律の都合もあり、内部は鉄筋コンクリート造りでエレベーターもあり、城というよりは近代的な博物館だ。
残念ながら内部に関しては、先日訪れた姫路城ほどには心を揺さぶられることは無かった。
とはいえ、やはり外観には強く引き付けられる。天守閣を後にするにも何度もその姿を振り返った。
桜門を出て振り返ってみると、門のすぐ内側にある巨大な石垣の石(枡形巨石)の向こうに天守閣のてっぺんが顔を覗かせるという絶妙なアングルを見ることができた。
桜門から覗いた大阪城天守閣と枡形巨石大阪城公園駅に戻る際にも、最短距離は行かずに玉造門から南外濠と一番櫓を眺め、更に東外濠沿いに進んですっかり遠くなった天守閣を眺め、と、名残りを惜しむように大阪城公園を歩き回った。
大阪城の南外濠と一番櫓
東外濠から望む大阪城天守閣これで今回の城巡りは終わり。伊丹空港から羽田へのJAL便で帰宅した。
今回は3泊4日で兵庫・大阪の100名城6城、続100名城5城の計11城を巡り、ようやく全体の3分の1に到達。まだまだ「道半ば」にも及んでいない。
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