愛媛100名城巡り(2)―河後森城、宇和島城、大洲城
2020年8月14日
愛媛2日目。この日は南を目指す。
松山からJR予讃線で北宇和島駅下車。そこから予土線に乗り換え。トロッコ列車で松丸まで行く。
河後森城(かごもりじょう、続100名城No.179)
高知県との境近くにある、四万十川の支流・広見川と更にその支流の堀切川・鰯川の3つの川に囲まれた丘陵の上に築城された山城跡。永禄・天正の時代には河原渕家が居城としていた。かつては天守があったが、宇和島城主となった戦国大名藤堂高虎によって宇和島城の月見櫓として移築されたという。
JR予土線松丸駅から徒歩15分ほど。徒歩のコースはこちら。
登城口は山の南北両方にあるが、私は松丸駅に近い永昌寺登城口から入り、山の上の曲輪をたどって北から南に抜けるコースを選んだ。
永昌寺登城口から15分ほど山道を登ると、本郭跡の開けた山頂に出る。かつての御殿が床だけ再現され、誰がどこに座していたかの説明がなされていた。
河後森城本郭跡
河後森城堀切
本郭から西の方へ下り、堀切を過ぎると西側の曲輪が連なっている。その一番奥の西第十曲輪にある掘立柱建物(復元)が、続100名城スタンプの設置場所だ。
河後森城西第十曲輪西曲輪からかつての井戸などを経由して、山の南側に下山。山の東側を回る舗装道路を歩いて松丸駅へ。再び予土線で来た道を引き返し、宇和島駅へ。
宇和島城(100名城No.83)
宇和島市にある、藤堂高虎が1601年に築いた平山城(但し、海に面しているため海城でもある)。
JR予讃線宇和島駅から徒歩30分ほど。
宇和島城天守縄張りは高虎の時のものが残るが、天守は17世紀に伊達宗利が再建したものだ。しかし江戸時代のものが現在まで残っているため、現存12天守の1つに数えられる。木造作りの内部は古めかしく、その歴史を物語る語り部と言ってもいいかもしれない。
江戸の平和な時期に築かれたため、軍事性よりも唐破風など装飾性が強い天守だ。
宇和島城天守内部
宇和島城本丸石垣
予讃線を北へ少し戻り、大洲駅へ。
大洲城(100名城No.82)
大洲市の肱川ほとりに鎮座する平山城。
肱川越しに見る大洲城室町時代初期に伊予宇都宮氏によって創建され、16世紀末に、やはり藤堂高虎によって近世城郭へと改築が始まり、次の脇坂安治の時代に天守が築かれた。(現在のものは21世紀に木造復元されたもの)
JR予讃線伊予大洲駅から徒歩30分ほど。
大洲城天守閣、台所櫓、高欄櫓の組み合わせが、均整が取れていて美しい。
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