2019年8月13日
掛川で1泊し、早朝から活動。7時18分、しずてつジャストラインのバスで掛川駅から土方まで乗り、そこから徒歩で高天神城(続日本100名城 No.147)へ。マップアプリに導かれれて南側の追手門跡からアクセスしたが、北駐車場を目指すルートのほうが近道だ。
高天神城がある高天神山(鶴翁山)高天神城は高さ132mの小高い高天神山(鶴翁山)の上に座する山城だ。徳川家康と武田信玄・勝頼が争奪戦を繰り広げた舞台である。徳川軍が攻略した跡、廃城となり、建築物は残っていない。三の丸に建物の跡があるが、これは20世紀に建てられた模擬天守の跡だ。
高天神城本丸
高天神城三の丸の模擬天守跡なお、高天神城のスタンプは、土方のバス停からほど近い大東北公民館と、掛川駅内の掛川観光協会ビジターセンター 旅のスイッチで押すことができる。私はバスの時間の都合上、掛川駅に戻ってから「旅のスイッチ」で押させてもらった。
さて、掛川駅に戻ったところで、ここから歩いていくことができる次の名城へ。掛川城(日本100名城 No.42)だ。
掛川城掛川城は今川家→徳川家の支配下になったが、家康が江戸に移った後は山内一豊が入り、一豊によって天守閣などが建てられた。1854年の地震で天守閣等が崩壊し、明治に入って廃城となったが、20世紀末に再建された。
掛川城天守閣
掛川城二の丸御殿ここには以前来たことがあったが、100名城スタンプが有料エリアにあるので、2度目の入城。天守閣の内部や、現存する建築物である二の丸御殿(100名城スタンプはここにある)を楽しむ。
静岡の名城は残り1つ。JR東海道線で浜松へ移動し、浜松城(続日本100名城 No.148)へ。
浜松城浜松城は、初めは今川氏支配下にあったが、のち徳川家康の居城となり、城郭と城下町の形成が進む。家康が武田軍に大敗を喫した三方ヶ原の戦いの拠点となった城でもある。
浜松城の徳川家康像江戸時代には譜代の9家22代が入ったが、幕府の要職に就いた者も多いことから「出世城」と呼ばれる。
かつては天守閣もあったようだが、江戸時代の記録には天守閣の存在は見られない。現在見られる天守閣は20世紀半ばに造られた模擬天守である。
天守閣1階で、続100名城のスタンプを押す。これで、静岡の名城全制覇だ。
一旦、今夏の100名城巡りの旅は中断。2日ほど自宅で休んで、また1泊2日で出かける予定である。
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