バス憧れの大地へ

雑記ブログ

今日からGW旅行―スリランカへ

今日から待ちに待ったゴールデンウィーク(GW)休みの旅行。メインの行き先はスリランカです。
まずはマイレージを貯めてゲットしたチケットを使って、成田からJAL便でインドのデリーまで。そのままジェットエアウェイ便に乗り継いで、ムンバイ経由で4月29日朝にスリランカの中心都市コロンボ着の予定。帰りは5月5日夜にコロンボを出発してデリーへ。翌5月6日の日中はデリー市内をぶらついて夜のJAL便で成田に戻る予定です。
「(ネパールの)地震の影響は無いんですか?」と何人かの人に聞かれました。確かに、スリランカもネパールも同じ南アジアですが、インドから見てスリランカは南、ネパールは北と真逆の方向に離れているので問題ありません。
現地からもネット環境があればこのブログなどで簡単に旅の様子を書いていきますが、本格的な旅行記は帰ってからのんびりと書く予定です。

では、行ってきます。

旅行記は↓こちら↓
https://www.a-daichi.com/travelogue/2015_1_srilanka/

ネパールで震災…

私の好きな国の1つであるネパールで、大変なことが起きた。
マグニチュード(M)7.8の大地震が発生し、1000人以上の人々が命を失ったという。
そして、カトマンズではレンガ造りの建物が軒並み倒壊し、ダルバール広場などの伝統建築も壊滅的な被害を受けたらしい。

個人的に一番心配しているのは、2012年に訪問した孤児院Happy Homeの子どもたちのことだ。親がいないという悲しい境遇の中でも学ぶこと、遊ぶことに熱心で人懐こいあの子達は無事なのだろうか…

一瞬、今回のスリランカ行きはやめにしてデリーからカトマンズを目指そうかという考えも頭をよぎったのだが、非常事態宣言が出されている今行ったところで何もできることは無いだろう。

同じように震災を経験した国の一員として、
何ができるのか…

何かしたいが、今は何もできない…
これから、仲間たちともじっくりと考えてみたい。

そして、ネパールと国境を接し、私が最も好きな国であるチベットも甚大な被害を受けたという。
親しくしている支援団体が何かアクションを起こすだろう。その時は惜しまず協力をしたい。

スリランカビザ(ETA)申請

GWの旅がいよいよ来週火曜日の出発となった。そろそろ今回の本命であるスリランカのビザを申請しておこう。
スリランカのビザはETAと呼ばれ、インターネット上で手軽に申請できる。申請に通過したらメールでETAが発行され、それをプリントアウトして現地に持参すれば最初の入国から30日の間2度出入りできる。

その申請サイトがこちら
http://www.eta.gov.lk/slvisa/visainfo/center.jsp
なのだが――ぱっと見、何かちょっと怪しい。
何が怪しいって、日本語が怪しいのだ。自動翻訳を使っているのか、「申込」の英単語applyが「適応」と訳されていて、一瞬どこから申請すればいいのか迷ってしまう。
ETA申請サイト
上の画面の「適応」タブをクリックすれば申請画面に遷移することができるが、ここから先は英語。まあ、インドビザの申請画面に比べれば項目も少なくシンプルなのだが、↓のサイトあたりを参考にすれば記入しやすいだろう。
http://www.srilanka-tr.com/srilanka-kanko-ETA.html
(『スリランカティールーム』様)

記入はものの10分程度で終わらせることができる。クレジットカードで30米ドルの支払い手続きをすれば申請完了。すぐに手続き完了通知メールが届き、その5分後には許可通知書のメールが届いた。
ETAの許可通知書

何という手軽さ! 国同士はお隣でも、インドビザ申請の時とは大違いだ。

さあ、あとの準備は荷物を纏めることと、海外旅行保険に加入することぐらいかな。旅へのテンションが高まってきた。

インドビザ受領(2015年)

先日(4月4日)申請したインドビザを受け取りに三田のインドビザ申請センターへ行く。申請の際に受け取ったレシートには4月14日に受け取り可能と書かれていたが、当日は天気が悪かったのでこの日の受け取りとなった。
申請の際には茗荷谷まで行った挙句、移転で三田まで引き返させられて恨み節も出たが、今回は私の職場が浜松町で歩いて15分という近さだったため「移転バンザイ♪」と正反対の態度になっていた(笑)。
「1時間ほど外出します」
と職場に断りを入れて14時に出発。14時15分に到着してレシートを窓口に出して少し待つと、正式な受け取り時間の14時30分よりも前にインドビザの貼られたパスポートを受け取ることができた。「1時間」と言って職場を離れたが14時40分には戻ることができた。

さて、今回受け取ったインドビザはこんな感じ。
インドビザ

2007年にもインドビザを取得したが、その時とは随分仕様が変わっている。
2007年のインドビザ
2007年のインドビザ

その時のものよりもかなりすっきりとしたデザインになった印象だが、一番の変更点は写真が2枚も印刷されていることだろう。
あと、前回は申請の翌日には受け取ることができたのが、今回は申請日から受け取り指定日まで7営業日もかかっている。
ところが、発行日の欄を見てみると…

2015年4月7日

おい、ということはもう1週間も前にビザはできていたということではないか。それならなぜすぐに渡してくれないのだろう…

インドはやはり謎が多い。

さて、後は今回メインに考えているスリランカだが、こちらはそんなに面倒くさくなく、時間もかからなさそうだ。ゆっくりと申請しよう。

100人100旅「青の写真展」―2016年2月は愛媛にて

私が参加している「100人100旅」のメンバーが「青」をテーマに作品を持ち寄って、「青の写真展」を開催しています。

「青の写真展」

期日と場所は以下の通りです。

2015年4月:東京新宿区新宿2-5-9(終了)
 TULLY’S COFFE(タリーズコーヒー)新宿二丁目店2階禁煙席ギャラリー

2015年5月:エスニックレストラン ショートトリップ(横浜中華街)(終了)

2015年9月 名古屋市星が丘駅ギャラリー(終了)

2016年2月 エミフルMASAKIギャラリー(終了)

「青の写真展」

インドビザ申請~インドビザ申請センター移転していた

GWの旅行は、インド・デリーを経由してスリランカへ、ということに決まった。
インドは最終日に半日ほどデリーの街中に出るだけなのだが、それでもビザは必要。初めはトランジット(通過)ビザも考えていたのだが、有効期限が申請日から15日と、9日間の日程でデリーを出入りする私にとっては微妙で余りにギリギリすぎる。ということで、ちょっと勿体無い気はするが、どっちにせよ行きと帰りで計2回インドを出入国する必要があるので、ここは普通に6か月間有効のマルチツーリストビザを取ることにした。

さて、インドビザ申請センターは土曜午前もやっている。行くのは1か月先なのでちょっと早いが、何のアクシデントがあるか分からない。次週の土曜午前が一番いいタイミングなのだが生憎別件の用事があるので、先日オンラインで作成した申請書を持参して、4/4のうちに申請することにした。
申請場所は、東京・茗荷谷のインドビザ申請センター。最寄りの川崎駅から東海道線で東京駅まで出て、そこから地下鉄丸ノ内線で茗荷谷に行く。窓口開始時間の9時より前に着くことができたが…

ビザ申請センター移転のお知らせ

インドビザ申請センターは4月1日に
下記住所に移転しました。

東京都港区芝3-40-4 三田シティプラザ1階

おいおい、三田(田町)ならここまで来る途中に通った定期券で行ける範囲内だぞ。わざわざ茗荷谷くんだりまで来る必要なかったじゃないか!

そして張り紙には、

詳しくはホームページでご確認下さい。
www.indiavisajapan.com/

と書かれているが、多くの人は
http://www.indianvisaatjapan.co.jp/
こっちを見るのではないか。こっちには移転のことも新住所のことも書かれてない。また、張り紙にあったリンク先を見ても、確かに新住所は書いてあったが、「移転しました」というアラートは一切書かれていない。
一瞬、質の悪いエープリルフールかとも思ったが、どうやら本当らしい。ビザを申請する前からインドのいい加減さに振り回されてしまった。

丸ノ内線と三田線を乗り継いで三田まで引き返し、今度こそJR田町駅の西側にあるインドビザ申請センターに着くことができた。しかし、窓口開始時間の9時を過ぎているというのに、

本日の受付は終了しました

の札。おいおい…
しかし、中から申請者と思われる日本人が出てきたので訪ねてみると、どうやら受け付けているらしいので、中に入ってみた。ところが今度は、商用ビザの窓口は開いているが観光ビザの窓口が開いていない。暫く椅子に座って観光ビザの窓口が開くのを待っていたら、別の観光ビザ申請者とおぼしき日本人が商用ビザの窓口に申請書を提出していたのでその後ろに並んでみたら、観光ビザの申請書をあっさりと提出することができた。

[本当、インドは役所仕事もアバウトだな…]

そう思い始めていたが、ここから先が緻密だった。
暫くして名前を呼ばれたので窓口に行ってみると
「パスポートの発行場所が東京になっていますけど、神奈川ですね」
「前回使用したインドビザの種類がTOURIST VISA TRANSFERになっていますけど、TOURIST VISAの間違いですね」
「職業がENGINEERとなっていますが、職位の部分が空欄ですね。どのようなエンジニアですか?――Webのエンジニアですか。ではここにIT ENGINEERと記入して下さい」
そして、
「印刷が切れていますね。1ページ目の下にあるバーコードの下にあなたの名前があるはずなのですが、印刷されていません」
と、数々のダメ出しを受けて却下。今日中に申請を済ませたかったので、インターネットカフェで申請書を作りなおすことにした。ところが、田町駅周辺で探してみたところ、意外に見つからない。ようやくJR田町駅東口側に1軒、ゲラゲラ田町店を見つけることができた。
前回の申請書作成では「振り出しに戻る」を2度も食らって2時間かかってしまったが、今回は突き返された申請書がある上に修正ポイントまで書いてもらっていたので、ものの30分で記入完了した。今度は切れないように倍率を指定してプリントアウトする。1ページ目下のバーコードを見てみると、確かに、仁丹よりも小さな文字で私の名前が書かれていた。

午前の申請時間内に申請センターに戻って再提出。暫く座って待っていたが、私同様にダメ出しを受けて作り直しを命じられる人が結構いる。中には、
「明日ビザを受け取ることはできますか? あさっての飛行機に乗るのですが…」
という人が。おいおい、申請センターのサイトを見ていないのか? 確かに、2011年の頃は翌日には発行してくれていたが、今では最低4営業日は必要になってしまっているぞ。

暫くして、名前を呼ばれた。今度は大丈夫だったようで、申請料金1890円を支払い、受取証が発行された。

えらい遠回りをさせられたが、どうにか申請完了。移転で一気に私の職場から近くになったので、休憩時間を昼すぎに充てて受け取りに来ることにしよう。

※<追記>
大阪の申請センターも下記の場所に移転したとのことです。
大阪市中央区淡路町1-2-10 RRビル6階

インドビザ オンライン申請

GWの旅先(メインではないと思われるが)に決まったインドのビザの申請用紙を自らオンラインで記入してみた。

インドのビザオンライン申請のサイトはこちら。
https://www.india-visa-online.org/ja/visa/

過去10年に行った国だの前のインド行きの宿泊先やその時のビザ番号、過去3年に南アジアの国(ネパール、パキスタン、バングラデシュ、スリランカなど)に行ったかどうか(私は2012年にネパールに行ったのでそれについて記入)、父母の情報(他界していても必要。ちなみに私は父と死別している)など、とにかく記入項目が多い上に、
「振り出しに戻る」
を2度も食らってしまった。実に2時間の悪戦苦闘で、ようやく記入完了…

とにかく面倒くさかった~。本当、行く前から面倒くさい国だな。

しかしこの後、東京・茗荷谷のビザ申請センターに行って申請するという「面倒」が更に待っているのだった。

マイルが貯まった――GWの行き先は

JALマイルが38000に到達した。
日本航空便
これだけあれば、繁忙期でも東南アジアやインドに行くことができる。
今年の秋には期限が来る。5月か9月の大型連休に利用するか、と思ってJALの空席照会をチェックしてみたが、みんなが旅行に行きたがる時期なのでさすがに残り座席は少ない。
しかし、そんな中、3日有給休暇を申請するだけで9日間休める4月28日発・5月7日早朝帰着というなかなかの組み合わせで空席が見つかった。しかも帰りの便は残り1座席というギリギリのタイミングで…

という訳で、今年のGWの、取りあえずの行き先は決まった。

インドのデリーだ。

なぜ「取りあえず」の行き先なのか…
それは、デリーに到着してからどこに行くかがまだ決まっていないのだ

今のところ考えている候補は、

・ラジャスターン
・ラダック(2度目)
・ダラムサラ(3度目)とマナーリー
・スリランカ

スリランカだけはインドではなく、デリーから更に別に国際線のチケットを買って行かなければならないのだが、今一番行ってみたいのはスリランカだったりする。
しかし、スリランカの4月、5月はもろ雨季らしい…。

どうしようかな。

国立故宮博物院展@東京・上野

東京・上野の東京国立博物館で開催中(~2014年9月15日)の『国立故宮博物院展』。台湾好き、中国文明好きとしては見逃してはならない展覧会だ。会期末になると混雑するので行くなら今のうちと、この日、同博物館を訪れた。
国立故宮博物院展

Facebookで同行者を呼びかけたところ、大学時代のサークルの友人という思いがけない顔が名乗りを挙げてくれ、思いがけないプチ同窓会にもなった。

この展覧会、開催前にはポスターの表記に「国立」の文字が冠されていないという問題から開催が危ぶまれる一幕もあったが、この展覧会の出処はまぎれもなく、中国文明の正当なる後継者・中華民国の国立の博物館である。何を思って「国立」の文字を外したのか、さっぱり意味不明、理解不能だ。

さて、展示の方だが、実のところ私は中華民国(台湾)を訪れたら欠かさず行くことにしているので、既に2度本場を参観している(1回目/2回目)。それでも、最初に書いた通り、この展覧会は台湾好き、中国文明好きならサボリは切腹ものの必須科目なのだ。
それに、たった2度の訪問であの博物院の全ての展示物を見れているはずがない。なぜなら、あの博物院で公開されているのは所蔵品の氷山の一角にすぎず、展示品は一部を除いて頻繁に入れ替えられているからだ。案の定、中には「あ、これ現地で見た」というものもあったが、展示品の大多数は見覚えのないものばかりだった。

入場して暫くは、書道や水墨画の作品が続き、途中で玉(ぎょく)などの宝物がちょっとだけ展示されている。地味だが日本文化のルーツが垣間見える意義深い展示だ。
展示室を抜けるとそこには故宮博物院グッズの販売コーナーがあった。そこで買い物をして
「何かもの足りないけど、これで終わり?」
と一瞬思ったが、よく見ると

「第2展示室⇒」

という案内がある。
   ・
   ・
   ・
紛らわしいことをするな
土産屋があったら普通、それで終わりだと思うだろう・・・。
東京国立博物館ともあろうものが、何とも意味不明な配置をしている。勘違いをして途中で帰った参観者もいたのではないか?

ともあれ、参観続行だ。
と言うより、後半こそ本番である。いくらこの展覧会に来ても、この後半を見なければやはり切腹ものだろう。
宋、モンゴル元、明、満洲清の時代を中心とした金属器、磁器、漆器、書、絵画(前半のような水墨画以外にもカラフルなものもあった)といった、中国文明の粋とも言うべき傑作がずらりと並んでいる。
中でも満洲清朝の乾隆帝は相当なコレクターだったらしく、小さな小箱の中に、ドラえもんの4次元ポケットさながらに幾つもの小さな文物が収められたコレクションは、小さいながらも一際存在感を放っていた。

そして、最後の最後に、この展覧会の最大の目玉展示物・・・

翠玉白菜

――は、開幕から2週間限定の展示で既に里帰りしていた。(そりゃそうだろう。あの博物館No.1の展示物をそんなに長期間貸し出すはずもない)
その代役となったのが、この記事上の看板右側にも写っている

人と熊

黒い熊と白い人間が力比べをしてる姿を描いた玉細工だ。
まず、たった3、4センチの小さなサイズにこれだけの情景を表現していること自体が驚きだ。
それ以上に驚きだったのが、
この文物の白と黒が、
 後から色を着けた
 白の玉と黒の玉をくっつけた
という訳でなく、素材の時点で天然に黒と白の玉がくっついていた
ということだった。
翠玉白菜も同様で、素材の時点であの白と緑が重なりあっていたらしい。
天然の素材、職人の技術――どちらを欠いても実現はあり得なかった、まさに“奇跡”の作品だと言っていいだろう。

さすが、中国4000年の伝統を引き継ぐ国の博物館。
崇玉の文物の数々に今回も引き付けられたし。そしてやはり、日本文化の源泉はここにあるのだと再認識させられた。
現在大陸を占拠している連中はその伝統文化を自ら壊そうとしたカスでありクズであるが、それ以前の中国伝統文化にはやはり敬意を払わずにはいられない。

最後に、
2度目に本場・台北の国立故宮博物院を訪れた時に感じたことを、ここに再掲する。
=====================
――確信した。

中国共産党は、中国伝統文明の破壊者である。
中華民国は、中国伝統文明の保護者である。

どちらが中国文明の継承者と呼ぶにふさわしいか――もはや言うまでもあるまい。
中華民国こそが、正統なる中国文明の継承者なのだと言っていい。

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