台北-2 ~故宮博物院、龍山寺
1999年4月30日
今回の台北訪問で一番の目当てだったのが、故宮博物院である。同じ名前のものが北京にもあり、故宮そのものは北京のものが本家と認めざるを得ないが、博物院の収蔵品は台北のものが断然上である。
何しろ、国共内戦に敗れた蒋介石が台湾に逃れる際に大陸の故宮の所蔵品のうち目ぼしいものをごっそり持ち出し、それを展示したのが台北の故宮博物院なのだから。
故宮博物院
市の中心部から北の少し外れにある博物院に行き、実際に中に入って参観してみると、確かに質・量ともに非常に優れた書画、工芸品、彫刻、歴史的遺物等の展示品が、広い展示室に所狭しと並べられている。いずれも、中国の歴史の長さ、文化の緻密さ・奥深さ・成熟度を能弁に物語っている。
中でも印象に残っているのが、工芸品。特に細部まできっちりとモデルが再現されている象牙細工が見事だった。
博物院の参観を終えて外に出ると、「こんにちは」と現地の男性が声をかけてきた。台湾は日本の植民地だった時代があり、その時代に育った現在のお年寄りの中にはネイティブ並みに流暢な日本語を話す方もいる。しかし、彼はどう見ても戦後生まれだ。台湾人に日本語の達者な者が多いのは、どうやら過去の植民地支配だけが理由ではなさそうである。
「私にアルバイトをさせてくれませんか?」
彼は、タクシー代わりに自分の車で私を街中に連れて行ってくれるという。提示された値段もそう高くはなかったので、彼の世話になることにした。
しかし、軽い罠があった。
車はお茶屋の前で止まり、私はお茶屋に案内された。
エジプトの土産屋事件の再来である。こういうことをするのは旅行会社主催のツアーだけかと思っていたら、個人でも土産屋とつるんでいることもあるのだ。
ちょうどお茶を土産に買いたいと思っていたので一番安いものを買って帰ったが、全くこの類の罠はどこに仕掛けられているのか分かったものではない。
龍山寺
熱心に祈る信者たちでいっぱいだ
街中に戻り、まだ行っていないエリアに足を向ける。
淡水河近くにある龍山寺は、典型的な中国圏の仏教寺院である。平日(金曜日)だというのに、境内は大勢の参詣客でいっぱいだ。
私を驚かせたのは、その参詣客たちの祈りを捧げるさまだった。
華西町観光夜市
火のついた20―30cmほどの長い線香の束を手にして立ち、或いは跪いて、仏像等に向かって何度も何度も一心不乱に頭を下げている。
不信心者で、日本の仏寺で見られる大人しい祈りしか見たことがなかった私には、彼らの祈りがオーバーアクションにすら見えた。しかしそれは、日本に比べて台湾の仏教信者の信仰心がそれだけ篤く、仏教が彼らの生活の深いところまで根付いていることのあかしであろう。
<後日談>
その後、中国大陸で、シンガポールで、同じように熱心に礼拝する仏教、道教信者の姿を何度も目にすることになる。中国圏、或いは漢民族全体の傾向であるようだ。
龍山寺の近くには華西町観光夜市もあり、土産物を探す観光客で賑わっている。私もここで、当時親しくしていた人への土産を探してみたが、めぼしいものが見つからず場所を変えることにした。
目的のものは、台湾の名産品でもある翡翠だった。繁華街のアクセサリー店等を探し回ったが、結局、昨日上った展望台がある新光摩天楼に入っていた三越でいいものを見つけることができた。
こうして台北でショッピングをしてみると、日本でショッピングしている感覚と何も変わらない。先ほどの龍山寺での景色こそ日本では見られないものだったが、こうしたモダンな部分では、(目当てのものを買った場所が日系のデパートだったこともあってか)台北は総じて日本の都会と非常に似通っている部分もある印象を受けた。
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