チベット人やチベット支援者を中心に大ひんしゅくを買った「聖地チベット展」がこの日、やっと最終日を迎えた。チベットサポート仲間の知人に誘われたこともあり、私は同展最終日をチベット人と参観する企画に参加した。
混雑はイベント最終日の常である。私が参加した企画は混雑のピークを避けるため?に午前10時という割と早い時間の集合で始まったが、それでも入り口には既に行列ができていて、中に入るまでに10分ほどかかった。午後はどのくらい混雑したやら・・・。
10人以上で入場したが、中に入ると人波の中、案の定バラバラに。私は上記の知人とペアでWツッコミ体制にて参観する。
会場内ではチベットの方とご一緒できなかったのが残念。
ツッコミ入れつつの参観は前にもやったことがあり、知人も既に何回か参観していたのでツッコミどころは分かっており、人の多さもあって少しばかり端折りながらの参観になってしまったが、今回も新たなツッコミどころ(ということは、前回気づかなかった、見落としていた、気に留めていなかったということですね・・・)が出るわ出るわ。
「『中国、インド、ネパールの影響』とか書かれていますけど、中国系の仏像って展示されてないですよね」
「あ、この間来たときに音声ガイドを借りて聞いたら、『実は(この展覧会では)中国の仏像はとても少ないです』って白状していました(笑)」
(その他、知人は音声ガイドについて『何か』『どこか』という曖昧な言い方や、やたらと過去形が使われていたことにツッコミを入れていた)
「よく見ると――この仏様の顔、厚化粧で胴体と色がアンバランスですね」
(これに関しては、『チベット仏教ではお坊さんが仏像に寄進された金粉を上から塗っていく習慣があるが、塗るのは着衣が無く露わになっている顔だけなのでこうなった』との説明が後の懇談会であった。ちなみに、以前にも書いたがチベット仏教では仏像に衣服を着せるのが正しい安置のし方であり、丸裸のままという同展の展示方法はチベット仏教の伝統に反する神仏への侮辱である)
「おっぱい丸出しだし、お腹丸出しだし・・・」
(上記参照)
「“チベット仏教”ではなく“チベット密教”とばかり表現しているのも気になりますね。チベット仏教は顕密両面の要素があるのに、これでは来館者に『チベット仏教=密教』っていう誤解を植え付けてしまいませんかね」
(ついでに言うと『父母仏』=男尊(父)と女尊(母)が抱き合って何かをしている=がやたら強調されているように思われたのも気になった)
(十一面千手千眼観音菩薩立像を裏から見ながら)
「こうやって裏側から仏様を見るなんて、本来あり得ないですよね」
「しかも木のつっかい棒で支えられていますし・・・」
そして例の「盗作地図」の前でほぼ前回同様のツッコミを入れた後、2階へ。
「元・明・清の往来」の部分では、またまた前回同様のツッコミを入れたほか、新たなツッコミ(=うかつにも前回スルーしてしまっていた)が!
「ハ?? 何これ? 『明代の永楽帝はチベット仏教の各宗派を並立させて均衡を保たせる政策をとった』って!?」
「そう!!」
あたかも明国がチベットをコントロールしていたかのような書き方だが、逆に永楽帝はモンゴルが実現していたような特定の宗派との結びつきを得られず、チベットに影響力を及ぼせていなかった、というのが真相では?
唯一2人してはしゃいだのが、チベット医学のタンカ「四部医典タンカ・樹木比喩図」の部分。というのも、前日チベット芸術フォーラムの講演会で長野のチベット医・小川康氏がこのタンカについて実に面白く、興味深いお話があったのだ(但し、私はスタッフとして写真撮影に集中していて断片的にしかお話を理解できずにいた)。
「でも、こういうチベット医学が亜流のようにしか説明されていないのは問題ですよね」(知人)
同感・・・
最後に、前回は見なかったビデオ上演を鑑賞。知人がある話を聞いていて、それってどこだ?2人して目を皿にしていたが・・・
「あ、ここ!!」
ポタラ宮内部の映像が流れる中、そこにダライ・ラマ14世猊下のお写真が!!
現在、中国共産党の占拠下に置かれているチベット本国では法皇様のお写真は所持すら禁止されている。それが映っているということは相当古いフィルムである――いや、ツッコミどころはそこではない。当展覧会がひたすらタブーとしていたダライ・ラマ14世猊下のお顔が思わぬところで出てしまっているあたり、主催者側もおマヌケである。
ようやく全て見終わり、物販エリアへ。しかし、ここではもうツッコミをする余裕が無くなってきた。余りの人の多さに気分が悪くなってきたのだ(いや、気分が悪くなった原因は人の多さ以外にもあったに違いない)。人いきれからくる暑苦しさもあるが、それだけだろうか・・・
「酸欠ですか?」
企画参加者の知人(上記の方とは別の人)が言う。
――そうか。
天空の聖地チベットの展示を見ているうちに酸欠・・・
って、
高山病ですか(笑)
(次回に続く)
結局私は3回行きました。
最終日の前日に同じ企画でチベット人の方と回りました。
が、とてもみんなで回れる状況ではない人出で…。
以前にチベット語学習会で出会った方が偶然参加されていたので
突っ込みまくっていたら「お話はおもしろいのですが少し黙ってください」と
言われてしまいました。騒々しい会場だったのでちょっとくらいと思っていた
自分も悪かったのですが純粋に美術として見たい方には確かにご迷惑だったなと思いました。
突っ込まずにはいられないんですよねえ、あの展示は。
渡辺一枝さんは2Fの長いすに座ってお休みになっていました。疲れますもんね…。
懇親会はこの後の学習会もありゆっくりと全員がそろってお話はできませんでしたが
美術館の説明が間違っていたりするとメモしている人などはそれを鵜呑みにしてしまうから
危険だというお話がチベット人講師からありました。この点では突っ込みどころは多くても
驚くほど説明がないのはかえって良かったのかもしれません。
私もお土産コーナーは完全にスルーして外でチベット旗を振りましたよ(笑)。
月夜野さん
3度の参観、お疲れさまでした。
> 自分も悪かったのですが純粋に美術として見たい方には確かにご迷惑だったなと思いました。
まあ、直接ツッコミを語るのは事前に了承を得た方のみにした方が無難ですね。
周りの人に漏れ聞こえてしまうのは仕方ないとして(笑)(←実は私の場合、直接お話しする相手よりもこっちの方が本命だったりする)
> この点では突っ込みどころは多くても
> 驚くほど説明がないのはかえって良かったのかもしれません。
そのへん、「プロパガンダ色が思ったよりも薄かった」とある方がコメントしたゆえんですね。
前にも書いたのですが、中国が持ち込んだ展覧会で説明を詳しくしてしまったらプロパガンダ色がどうしても強くなってしまうでしょうが、そうしてしまうと良識ある方々からひんしゅくを買って展覧会の評判自体を落としてしまう結果になってしまうので、主催者側もあの程度の説明にせざるを得なかったのではないでしょうか。
まあ、中には(特に歴史の部分で)間違った説明がされていた部分もありましたが。
いやいや、周囲の方に言われたのでございます。
一方でもっと聞きたいという方もいたわけですが。
美術鑑賞しにいらした日本人の感覚からすれば
ウルサイのは至極当然かなと、少し反省した次第です。
難しいですね…。
あらら、誤読失礼致しました。
> 騒々しい会場だったのでちょっとくらいと思っていた
私も、最終日はそう思いました。普通のボリュームで喋っていれば問題ないぐらいの騒々しさでしたよね。周りには他にも普通に喋っている人たちがいただろうに・・・。
何が気に入らなかったのでしょう??
> 一方でもっと聞きたいという方もいたわけですが。
そういう方がいると、やめられないですよね(笑)。
> 美術鑑賞しにいらした日本人の感覚からすれば
もしかしたら、「美術」としてではなく本気で「仏様」として拝んでいたのかも。