地図などにツッコミを入れ続けてブースを出たところで、1階部分は終了。2階へと移動する。
1階部分は金色の仏像を中心とした展示だった(中にはどう考えてもとってつけたように修繕したような不自然なものもあったが)一方、2階部分は金色のみにとどまらず、赤が印象的なタンカ(仏教画)や仏具などの展示も行われていた。
タンカの中には、宗教画のほか、チベット医学に関するものもある。
「チベット医学――お世話になったことあるんですよね・・・」
「来年1月10日に、このタンカをテーマに講演会がありますので、興味があればぜひ」
また、蓮の花を開くと仏像が出てくるという、装飾の細やかな仏具があったが、名前を見ると「蓮マンダラ」。
「曼荼羅なら、上から見た図が分かるような展示をしてほしんですけれど」
こういうところにも、仏様を信仰の対象としてではなくアートとしか扱っていない主催者側の態度が垣間見える。
仏具の中には「香炉」があったが、
「チベット仏教の香炉ってどんな使い方をすると思います? 仏様を拝む際に、くさい息が仏様にかからないように、香炉から出る煙で息を清めるんです。でも、ここでは仏様にくさい息がかかってしまうような展示のし方がされてしまていますよね」
この展覧会を参観したチベット人の方が感じたという違和感を、いいタイミングと感じて同行者に語り伝えた。
そして中には、どこかの壁からひっぺがしてきたかのような石仏などもあり、
「寺を破壊しない限り、ここに在ることはあり得ないんじゃないか?」
などと思わされた。
やはり、「信仰の対象」であるはずの仏様への敬意が感じられない展示である。
そして、仏教関連の部分が終わり、その先には――嫌な文字が目に入ってきた。
「元・明・清との往来」
中身を見るまでもなく、中国のチベット侵略を正当化する内容であることは明らかだ。
さて、まず元の部分でツッコミ開始。この部分では主に、クビライとパクパの関係に重点が置かれているが、
「中国側は『元』と言っていますけれど、モンゴル帝国がチベットに影響力を及ぼし始めるのは、(モンゴルが中原を支配する以前の)オゴディの頃のことなんですよ。それにモンゴルとチベットの関係は支配・被支配というよりはお寺と檀家の関係でした。そもそもモンゴル帝国は(元も含めて)モンゴルであって中国ではないので、モンゴルとの関係は中国のチベット支配を正当化する根拠とはなりません」
続いて、明との関係。ここではチベット人が明朝から封号を授けられたことと、チベットに明代の陶磁器(景徳鎮等)贈られたことの展示・・・
以上、終わり。
明国とチベットの関係がモンゴル帝国や満洲清朝のものと比べて希薄であったことを暴露しているようなものだった。
「封号やら朝貢貿易ということなら当時の日本(足利幕府)と明国の間でも行われていました。これを以て『チベットは中国と不可分』という考え方の根拠になるのであれば、『日本と中国は不可分』ということも成り立ってしまうのです」
最後は、清との関係。ここでは清朝皇帝の別荘地であり、外八廟と呼ばれるチベット寺院群のある中国河北省・承徳の蔵品が展示されている。
「チベットと清国の関係も、モンゴルと同じお寺と檀家の関係でした。しかしその関係も、20世紀初めの一時期に清軍がラサを侵略し、ダライ・ラマ13世が亡命するに至って崩壊します。ところがその直後に清国は滅亡し、ダライ・ラマ13世が帰還して独立を宣言したんですよ」
当サイトの「中国官製『チベットの50年』の虚構」でも既に論破しているが、中国サイドが主張する「チベットは中国と不可分」の根拠は余りに脆弱すぎる。