ギャンツェ ~パンコル・チョエデとギャンツェ・ゾン
2007年7月18日
ギャンツェに到着後、チベット仏教寺院のパンコル・チョエデを訪れる。赤い塀に囲まれた寺院だが、その塀は背後の山の上にまで建てられている。
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正面から見たパンコル・チョエデ
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パンコル・チョルテン
この寺院もまた、中国共産党の破壊工作とは無縁ではなかった。かつては無数の建物が並んでいたといわれる敷地も、無慈悲な破壊のために今では閑散としている。そんな中で奇跡的に破壊を免れて現在でも残っているのが、本堂と、パンコル・チョルテンと呼ばれるチョルテン(仏塔)だ。
パンコル・チョルテン内部の仏像
パンコル・チョルテンは8階13層、高さ34mにもなるチベット最大のチョルテンである。上から見ると正方形の四隅をギザギザに切り落としたような形の台座が五重に重なり、その上に円柱+円錐形の本体が載っている。
チョルテンの内部には入ることもできるが、10中国元の追加料金で内部の写真を撮ることもできる。私たちは全員、10元を支払って中の写真を撮らせて頂いたが、私は先日、ラサのラモツェで写真撮影の別料金について「撮影禁止の場所だから、払ってくれないのがベスト」と言われた記憶がある。撮るにしても、仏様と文化財に対する敬意を忘れないように心掛けた。
薄暗いチョルテン内部には幾つもの部屋があり、その一つ一つに、それぞれ姿の異なった仏像が安置されている。
チョルテン内をコルラする形で各階を回っては階段を上って、を繰り返し、最後の階段を上って扉の外に出ると、ギャンツェの街を一望できるテラスがある。先ほどまでいたラサと比べると、中国に毒されている割合が比較的少ない、チベット色の濃い雰囲気の町並みだ。
その扉の上には、ブッダの目が大きく描かれている。あたかも世界に対して、無駄な争いをしていないか、殺生をしていないかと睨みをきかせているようにも思われた。
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ギャンツェの街を一望。右の山の上に
見える建物がギャンツェ・ゾン
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ブッダの目
ギャンツェを象徴するもう一つの建物が、山の上の城ギャンツェ・ゾン。ギャンツェに到着する直前に車の中から見えたし、先ほどパンコル・チョルテンの上からも見えていたが、実のところ街のどこからでも見ることができる、ギャンツェのランドマークだ。20世紀初頭、インドから攻めてきたイギリス軍との交戦の場となった城だという。
星空とギャンツェ・ゾン
勿論、山を登って中に入ることもできるのだが、既に夕刻を迎えていたし、悪路を越えてきた疲れもあって、誰もあそこまで上ろうとは言いださなかった。
夜、宿の屋上に上ってみると、都会では見ることのできない星空の下、ギャンツェ・ゾンがライトアップされていた。
そう言えば、高地であるチベットに来た割には、ここまで星空を見た記憶が殆ど無い。チベットとはいえ、ラサも都会なのだ(と言うより、中国共産党の手で無機質な都会にさせられてしまった、というのが正確なところだろう)。田舎町のギャンツェに来てようやく、チベットらしい満天の星空に巡り会うことができた。
これであのギャンツェ・ゾンのライトアップが無ければ、もっときれいな星空を見ることができたのだろうが…。
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