ラサ-6 ~ネパールビザ申請、チベット博物館
2007年7月6日
早めに目が覚め、一人でラサのメーンストリートを散歩する。街角の屋台で、ポテトの揚げギョーザと肉入り餅を買って朝食にする。計1元の、格安の朝食だった。
遅れて起きてきたワタルと、ネパール領事館に出かける。ネパールビザを取るためだ。
そう。次の目的地はネパールである。
9時半に領事館に到着したが、ビザの申請時間は10時~12時だった。窓口が開くのを待って、6か月有効の1次ビザを申請した。
ワタルはそのまま引き揚げていったが、私はもう少し寄り道をしていくことにした。
チベット博物館
ネパール領事館の近くには、ノルブリンカとチベット博物館があったが、ノルブリンカは以前来たことがあったので、こちらには行かずに、チベット博物館にだけ行くことにする。
チベット博物館の展示は、次の4部分に分かれていた。
第1部分 先史文化
第2部分 「不可分の歴史」
第3部分 文化と芸術
第4部分 民俗文化
第2部分は歴史に関する部分なのだが、「不可分の歴史」という表題は、チベットと中国の歴史が「不可分」であるという立場を示しており、不愉快極まりない。
しかし、それを除けば非常に秀逸な博物館だった。特に、第3部分中のタンカのコーナーが印象に残った。落とし気味の照明の中で見るタンカは、宗教というそのテーマも相まって、非常に神秘的な雰囲気を醸し出していた。
その他、チベット人の衣食住・文化を垣間見ることのできる第4部分も興味深かった。
<後日談>
この旅が終わった後、私は積極的にチベットを支援するようになる中で、チベット博物館への評価を「略奪品の殿堂」と180度一変させることになる。
宿に戻って、いよいよネパール行きに向けて動き始めた。
但し、私はただネパールへ行くだけでいい、という訳ではなかった。その途中で、シガツェやギャンツェにも立ち寄りたいと思っていたのだ。
しかし、ギャンツェ等の場所に立ち寄るにはまた旅行許可証が必要になり、闇で行くのは難しい。4、5人仲間を募って旅行社でガイドと運転手を付けてもらって行くのが最も現実的だ。
ネパールへダイレクトで行くのなら同士はごまんといる。しかし、シガツェ、ギャンツェへ立ち寄ろうとする者は意外に少ないのである。しかも、西洋人は自己主張が強く、ごねることが少なくないと聞くので、私はできれば日本人を中心に仲間を集めたいと思っていた。
そこで、私は日本語で、
「同行者募集! ギャンツェ→シガツェ→ダム→カトマンズ」
と書いたビラを、バックパッカーが集まる宿の掲示板に貼って回った。
宿に戻って少し休んでいると、早速ビラを見た人がやって来た。但し、日本人ではなく、アナベルという日本語の分かる米国人女性だった。
この日は朝のうちに、同室のユキをはじめとした3人の日本人がナムツォ1泊ツアーでキレーを離れた。しかし、同じ部屋にはその日のうちにダンというイスラエル男性が入ってくる。その他にも、ヤクに泊まっているがたまたまキレーに来ていた日本人男性カズトシ、飛行機でラサ入りしたばかりで高山病に苦しんでいたキム・ムンシク(以下ムンシク)という日本語がネイティブ並みの韓国人男性、東トルキスタン・カシュガルから1週間かけてラサ入りしてきた日本人男性シュウなど、新入りが続々とラサにやって来る。
これだけ次々とツーリストが来るのであれば、ネパール行きの仲間も比較的簡単に見つかるのではないか?と期待感が持てる。
しかし、事はそう簡単にはいかなかった。
コメント(0)
コメントする