バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第3部 チベット

ラサ-5 ~法王様の写真

2007年7月4日

ナムツォからラサに戻り、お茶屋で休憩した後、夕食を取る。明日には私とワタル以外、皆中国・成都に戻るので、これがツアー最後の夕食となった。

ホテルへの道中、ガイドがわたしたちに「パーミットを渡して下さい」と言う。パーミットは外国人旅行者を受け入れた証明に旅行社が回収することになっているのだ。後になって、記念にコピーでも取っておけばよかったと後悔する。
ホテルに到着後、成都に戻らない私たちに、ガイドは「この先どうするのですか?」と尋ねてくる。
「自力でネパールを目指します」
「自力で?」
ガイドはややいぶかしげな表情をしたが、結局それ以上は追及してこなかった。
それより問題だったのは、ポタラ宮の入場料として200元の追加支払いを要求されたことだった。ポタラ宮の入場料なら成都の旅行社でツアー料金を支払った時に含まれていたはずなのだが、話を聞いてみるとどうやら差額が発生したらしい。
最後の最後に追加料金というのは何とも気分が悪い。そういうことは事前に言ってほしいものだ。しかし、他の者も払っているようなので仕方が無い。私たちは200元、追加でガイドに支払った。

2007年7月5日

朝食を終えて部屋に戻った後、ワタルが渋い顔をして遅れて戻ってくる。
「きのう払ったポタラ宮入場料の追加200元のことで、英語を話せるおばさんが『何で払ったの?払わなくてもいいのに』と言うんですよ」
私たちは1階ロビーに下りて、ガイドや他の中国人参加者も交えてそのことについて話をした。
ワタルが言っていた「英語を話せるおばさん」ともう一人の中年女性は、「入場料なら出発前に払ったのだから追加なんて払う必要は無い」と頑として主張しているようである。
日本語ができる若い女性を介して、追加料金について詳しい話を聞いてみると、どうやら元々100元だったのが最近300元に値上がりしたとのことである。いきなり3倍もの値上げがあったとは信じ難いものがあったが、問題の2人以外は納得して払っているようなのである。
どうやら、2人が支払いを渋っていて、他の者が払ってしまったら自分たちも払わなければいけなくなるので難癖を付けているように思われた。成都の旅行社まで巻き込んでの騒動になったが、結局支払った200元は戻らないということで話は終わった(問題の2人がその後支払ったかどうかは定かではない)。

最後の最後に、後味の悪い事件が起きてしまったものだ。

<後日談>
帰国後調べてみると、この年からポタラ宮の入場料は、冬季のオフシーズンは100元、夏のピークシーズンは300元と時期によって差を付けるようになったことが分かった。即ち、値上げの話は紛れもなく事実だったのである。
尚、全くの余談だが、外国人(中国人を含む)は上記の高額な入場料が必要だが、チベット人は僅か1元で済むようである。

キレーホテルのドミトリー
キレーホテルのドミトリー室内
他の参加者たちはバスで空港に向かい、私とワタルは予定通りキレーホテルに移動した。いよいよここから、チベットフリータイムの始まりである。
スタッフは皆チベット人で、フロントでは英語が通じる。封印している中国語をここで使わざるを得なくなることは無さそうだ。
ドミトリーは3人部屋がほとんどで、1泊25元。私とワタルも同じ3人部屋に入る。部屋にはユキという日本人女性の先客がいた。

この日はレストラン2階で久しぶりのインターネットをしたり、両替や買い物などをして終わる。

夕食はバルコル近くのチベットレストランに行く。実はツアー中、食事はずっと中華で、今回の旅でチベット料理を食べるのはこれが初めてとなる。
料理も楽しみだったが、先日キレーで成都以来の再会を果たしたレオから、このレストランに関するマル秘情報を聞いていて、むしろそれが目当てでここに入ったのだ。
ダライ・ラマ14世
ダライ・ラマ14世の写真
入り口わきの棚の上に、現状では考えられないものが置いてあったのだ。
ダライ・ラマ14世の写真である。
中国の植民地支配下にある現在、ダライ・ラマ法王の写真を持つことは中国の法律で犯罪となる。こんなに堂々と飾っていいのか?と他人事ながら心配してしまった。
いずれにせよ、チベット人は自分たちの故郷に居ながら民族の心の拠り所を奪われ、隠れキリシタンのようなことをすることを余儀なくされているのである ―― 中国共産党に対する怒りが私の中で再燃した。

さて、食事である。バター茶ヤクカレー、モモ ―― 6年ぶりのチベットの味を存分に味わった。

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