ジョル(徳欽)―ギェルタン ~カワカブ、遂に見えず
注:ギェルタン、ジョルとはそれぞれシャングリラ(香格里拉)、徳欽の名で知られている街で、現状中国雲南省に属しているが本来チベットの版図に属する。
2007年6月17日
霧の濃いジョルの朝
天気が良ければもう一度カワカブ(梅里雪山の主峰)を見に行こう、と期待半分、不安半分で迎えた朝 ―― 窓から表を見ると、ジョルに来てから一番の霧だった。
日程的にこれ以上粘ることはできないし、この雨季にカワカブが見えること自体が極めて希なのである。私はカワカブを見ることを諦め、ジョルを去ることにした。
出発する前に、一緒にカワカブを見に行こうかと話していたエドワードを訪れ、別れを告げた。
「これからどこへ向かうんだい?」
と尋ねてくるエドワードに、私は答えた。
「成都(中国四川)から列車でチベット(※1)へ向かうつもりだよ」
「チベットか ―― どうやら、アメリカ人がチョモランマ・ベースキャンプでデモをやった影響で行きにくくなっているみたいだよ」
―― 大変な情報である。
チベットは今回の旅で、絶対外すことができない。旅の前途に暗雲が立ち込めてきた。
しかし、今はともかく、前へ進もう。
私は氷河巡りを共にした3人と別れ、ギェルタンへ向かうバスに乗り込んだ(※2)。
十三白塔観景台
バイマ雪山
ジョルを出て間もなく、十三白塔観景台を通過する。ここも梅里雪山のビューポイントなのだが、やはり山は見えない。その代わり、来る時にはうっすらとしか見えなかったバイマ(白茫)雪山を、その時よりもはっきりと見ることができた。
一つ目の峠を越え、ディチュ(長江上流、中国名『金沙江』)が眼下に見えてくる。河辺に着く途中、ラバ(馬とロバの交配種)を連れたチベット人たちがたむろしている光景が目に入る。
ラバを連れたチベット人
舗装道路が通じた今でも、山岳地帯に住む彼らにとってラバは今でも大事な"脚"なのだ。
暫くディチュ沿いの平坦な道を走り、やがて2度目の峠道に差し掛かる。来る時はきつさを感じたコースだったが、さすがに慣れたのか、帰りは幾分ましに感じられた。
峠を越え、山道を下っていくと、視界が突然開け、ナパ海が目の前に広がる。程なくしてギェルタンに到着した。
先日訪れた時には古城外のユースホステル(YH)に宿泊したが、どうも居心地が良く感じられなかった。今回はYHの会員証持参だったのでできればYHに泊まって元をとろうと思っていたが、どうやら古城内にもう一つYHがあるようなので行ってみる。同じ1泊20元で建物は断然こちらの方がしっかりしている。私はこちらに泊まることにした。
※1 当時はまだ、チベット=チベット自治区、という認識しか無く、自分がこの時既に“チベット入り”していたのだという自覚が無かった。
※2 ジョルまで来て、更にラサへ向かう予定があるのならそのままラサへ向けて(闇で)西進するのが一番なのだが、私はまだ中国・四川に行き残した場所があったので引き返す形となった。
コメント(0)
コメントする