世界への旅(旅行記)
集安・2 ~王家と貴族の墓
好太王碑の高台から見えた“ピラミッド”は、碑を離れてすぐに目に入ってはきたが、なかなか近づいてこない。
歩き始めて20分、ようやく辿り着いたその遺跡は、予想通りの大きさと風格で私を出迎えた。
将軍墳
歩き始めて20分、ようやく辿り着いたその遺跡は、予想通りの大きさと風格で私を出迎えた。
将軍墳
龍山の麓に立つその“ピラミッド”とは、東方金字塔(“金字塔”とは中国語で“ピラミッド”の意味)とも称される、将軍墳と呼ばれる古墳だ。
“将軍”墳という名前ではあるが、埋葬されているのは、高句麗中晩期の王であるようだ(第19代好太王、或いは第20代長寿王のものとの説が有力)。
それを聞けば、その立派な風格にも納得できる。花崗岩を22層に積み上げた、高さ12m、四辺30mの規模、整えられた端正且つ堂々たる風貌は、高句麗全盛期の王の陵墓に相応しい。
周囲には、この陵墓に埋葬されている王の妃のものと考えられる将軍墳1号陪墳や祭祀台などもある。
墓の上部には、棺が収められていた石室があり、そこまで上って中を見ることもできる。しかし、盗掘でその主の特定が未だにできていないというのは、少し寂しい。それに、好太王の陵墓が太王陵なのか、それともこの将軍墳なのかも気になるところだ。
“将軍”墳という名前ではあるが、埋葬されているのは、高句麗中晩期の王であるようだ(第19代好太王、或いは第20代長寿王のものとの説が有力)。
それを聞けば、その立派な風格にも納得できる。花崗岩を22層に積み上げた、高さ12m、四辺30mの規模、整えられた端正且つ堂々たる風貌は、高句麗全盛期の王の陵墓に相応しい。
周囲には、この陵墓に埋葬されている王の妃のものと考えられる将軍墳1号陪墳や祭祀台などもある。
墓の上部には、棺が収められていた石室があり、そこまで上って中を見ることもできる。しかし、盗掘でその主の特定が未だにできていないというのは、少し寂しい。それに、好太王の陵墓が太王陵なのか、それともこの将軍墳なのかも気になるところだ。
将軍墳の参観を終えて、近くのバス停でバスを待ったが、来る様子が無い。そう言えば、ここまで歩いて来た時も、バスが通るのを見た覚えが無い。
案の定、バスは走っておらず、そこから先は、輪タクをチャーターして集安の高句麗遺趾を巡ることにした。
禹山貴族墓地5号墳
案の定、バスは走っておらず、そこから先は、輪タクをチャーターして集安の高句麗遺趾を巡ることにした。
禹山貴族墓地5号墳
郊外の将軍墳から街の中心に向かう途中にある、禹山貴族墓地は、禹山2110号墓を中心に分布する、高句麗期の王族や貴族が埋葬された大型陵墓群である。
“五盔墳”と呼ばれる5つの陵墓は石室の壁画が有名だ。そのうちの5号墳の石室に、ガイドの手引きで入ることができた。
壁画は、修復作業が施されているであろうものの、1400年も前の高句麗王室・宗室の様子をよく窺うことができる。龍・虎などの動物も守り神として描かれているが、これらは日本の古墳にも共通する、“四神”と呼ばれるものである。
外観・規模だけを見ていると将軍墳と比べて見劣りするものの、その数、そして内部の壁画が、この陵墓群を実に歴史的価値、一見の価値があるものにしている。
“五盔墳”と呼ばれる5つの陵墓は石室の壁画が有名だ。そのうちの5号墳の石室に、ガイドの手引きで入ることができた。
壁画は、修復作業が施されているであろうものの、1400年も前の高句麗王室・宗室の様子をよく窺うことができる。龍・虎などの動物も守り神として描かれているが、これらは日本の古墳にも共通する、“四神”と呼ばれるものである。
外観・規模だけを見ていると将軍墳と比べて見劣りするものの、その数、そして内部の壁画が、この陵墓群を実に歴史的価値、一見の価値があるものにしている。
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