バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

満洲(2006年)

集安・1 ~好太王の碑


好太王碑
好太王碑が安置されている小屋
乗り合いタクシーで私が到着した街は、集安。西暦3年~427年の間、実に400年以上高句麗の都であった古都である。この街の各地に見られる高句麗時代の遺趾は、世界遺産にも登録されている。
そして、私にタクシーの途中下車をさせた、目に入ってきた“ある物”が、好太王碑(またの名を広開土王碑)だ。
好太王(広開土王)は、高句麗の第19代の王で、4世紀末から5世紀初頭にかけて在位した。その在位期間中、高句麗は版図を大きく拡大して繁栄を極めた。
好太王碑
間近で見る好太王碑
この碑は好太王の没後、息子である第20代・長寿王が建てたものだ。高さは6mを超え、好太王の偉業を称える内容などの文章が、約1800文字で刻まれている。
石碑はガラス張りの小屋の中に安置され、その近くには大型犬が目を光らせていてややものものしさも感じさせる雰囲気があった。ガラス越しにしか見られないという話も聞いていたが、ガイドの手引きで中に入り、間近で見ることができた。
とは言っても、碑文の内容は見ても理解できない。倭(日本)に関する記述もあるということだが、理解できない分有難みもやや薄くなってしまっていた。
碑の近くには、好太王の陵墓である(と中国ではされている)、太王陵がある。と言うよりは、陵墓のそばに彼の偉業を称える碑が建てられている、と言った方が正しいだろう。 太王陵
太王陵
歴史的価値から好太王碑の方が知名度が高くなっているが、主客が逆転してしまっている感がある。
太王陵の上に登ってみると、遠目に北朝鮮の領土も見ることができる。また、別の方向に目を向けてみると、褐色のピラミッドのようなものも見える。
そのピラミッドのようなものは、ここから間近というほどでもないが、歩いて行くことができない距離でもなさそうだ。
展示室で好太王などに関する資料を見た後、私はこの場所を離れて、その“ピラミッド”へ歩いて向かった。

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