バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

満洲(2006年)

集安・3 ~糞食らえ中華思想(1)

集安の東から中心部へと移動した後、今度は北へと向かう。

集安が高句麗の古都であることは前にも記したが、市街地北に位置する丸都山城は、高句麗早中期の都城跡である。周囲を取り囲む全長7kmの城壁は、損壊しているとはいえ今でもその姿を留めている。

丸都山城の城壁
丸都山城の城壁
瞭望台
瞭望台

この古都はその名が表すように、周囲を山に囲まれた山城であり、南側の門をくぐるとすぐに坂道となる。坂を上った上には、保存状態のいい瞭望台があり、更にその奥には宮殿の跡地もあるが、今では廃墟だ。
現存する城壁がその規模と堅固さを彷彿とさせるとはいえ、その内部は遺跡よりもむしろ、木々や畑が目立つほどであり、当時の栄華を感じることはできなかった。
禹山貴族墓地
山城下貴族墓区
むしろこの場所で私の目を引いたのは、山城の麓にある山城下貴族墓区だ。ピラミッドを中ほどから半分に切ったような形の積石塚古墳が、広い敷地内に無数に立てられた、スケールの大きい墓地である。

将軍墳から世話になっていた輪タクは、市内の集安博物館に到着したところでお役御免とした。

博物館では、ガイドがついて私にいろいろと説明してくれた。(この博物館以外にも、集安の観光地ではいずれも、入場券と一緒にガイドチケットを受け取って、それを提示するとガイドの説明を受けることができる)
集安博物館
集安博物館

高句麗の古都である街の博物館ということで、全体のテーマはやはり高句麗である。しかし、展示物はそれ程多くなく、印象に残っているものも余り無い。
この博物館で一番印象に残ったのは、展示物ではなくむしろ、冒頭でガイドが述べた言葉だった。

「高句麗は、わが国の朝鮮族による古代の国家で・・・」

図々しいにも程がある。高句麗は中国の“少数民族”である朝鮮族による地方政権であり、その歴史は中国史の一部であって朝鮮/韓国の歴史ではない、という、いわゆる“高句麗史論争”における中国側のスタンスが如実に表れている一言である(特に集安が世界遺産に登録されて以降、その傾向が強いらしい)。
“中華思想”は、中国人の意識の中に、未だに根強く生きているのだ。

糞 食 ら え 中 華 思 想

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