青島―青州―済南 ~柔和な仏たち
2004年10月3日
朝日を浴びる青島の街
夕暮れの青島は昨日で見納めとなったが、朝の青島がまだ残っている。この日も晴天で、朝日が海を、陸上のビルディングを鮮やかに照らしている。
これで今度こそ、青島は見納め。次の目的地を目指して、レトロな青島駅から短い列車の旅路に就く。
私が次に目指したのは、済南と青島の間に位置する青州市。三国時代あたりにこの一帯が青州と呼ばれていた名残りである。
若き日の曹操は青州に赴任し、この地に集まっていた黄巾軍の残党を“青州兵”として自らの傘下に吸収した。三国志ファン、特に曹操に心酔している私は、自然と“青州”の名を冠した街に引き寄せられていった。
しかし、青州市が私を引き付けた理由は、それだけではない。青州市に着くや否や、私はある場所を目指した。それは青州市博物館である。
これらの仏像は、南北朝時代に栄えた龍興寺の地下窖蔵に埋められていたものだ。
青州市博物館の仏像 9割以上が石灰岩製で、製作年代は6世紀から11世紀にまで及ぶという。
出土した年代から分かるように、文革の憂き目には遭っていないのだが、破損しているものが多い。それでも、考古学上貴重な発見であるようだ。
確かに、破損してしまった仏像の姿は痛々しい。しかし、柔和な仏たちの表情は、1000年、あるいはそれ以上の月日を経てようやく日の目を見ることができたことを喜んでいるかのようだった。
青州市訪問の目的は達成した。あとは済南に向かうばかりだが、済南へ向かう列車の切符は全て完売である。駅前の長距離バス乗り場にも済南行きは無い。幸い、この長距離バス乗り場で、街の中心から離れた所にある長距離バスターミナルを教えてもらった。
しかし、ターミナルに着いてからも少々大変だった。連休中の済南行きは利用者が多く、正規のバスでは足りなくなり、臨時バスで行くことになった。臨時ということで1人につき10元プラスということになり、私や、その他の大部分の中国人も素直に10元を支払ったが、一部にごねる乗客がいて、出発までに時間がかかってしまった。
青州市から2時間強で、山東の省会・済南に到着。私の新たな目標となった全省会到達まで、これであと2つ(広西・南寧と海南・海口)となった。
既に暗くなっており、自分がどこにいるのかも分からない状態だったので、青島の時と同様、向こうから声をかけてこないタクシーを選んで、ホテルに案内してもらうことにした。
済南は私が想像していた以上に観光都市であるようだ。どこのホテルも満室だという。1つ目に案内してもらった宿はやはり満室で、2つ目のホテルは空室はあったものの、1泊298元と少々高い。しかし、別のホテルを回って空室があるという保証は無い。298元なら、ぎりぎり私にとっての宿代リミット300元の範囲内だ。私はそこで2泊の宿を取ることにした。
ちなみに、タクシーの運転手が要求した金額は、わずかに6元。大連では初乗りだけで8元かかるというのに、宿を探し回ってもらうというオプション付きで、この値段 ―― 中国国内の物価の格差は、やはりかなりのものだ。