済南・1 ~大黄河と泉
2004年10月4日
済南は、春秋時代には既に斉の国都として栄えていた歴史のある街だ。ホテルを出て済南の街を少し歩いてみると、民国あたりの時代の雰囲気を漂わせる建物が幾つか目に付く。
民国の雰囲気が漂う建築物
私は現地に来るまで、済南がそれ程観光都市だとは思っていなかったのだが、
なかなか游客を引き付ける街のようである。しかし、済南が人々を引き付ける真の理由は歴史ではなかった。省会という街の顔からはイメージがわきにくいかもしれないが、この街の魅力は自然にあるのだ。
その代表的な存在が、街の北側を流れている黄河だ。
私はこれまでにも何度か黄河を見たことはある。しかしそれは、鄭州、南モンゴル、銀川、蘭州などの上中流域ばかりであり、下流を見たと言えば列車で通過した時ぐらいだ。下流域の幅広い“大黄河”をじっくり見るのは、中国旅行歴13年半にしてこれが初めての経験となる。
遊覧区に入ってしばらく歩き、舗装が無くなると、粘度の高い黄土の大地が横たわっている。そして、その向こうに横たわっていたのは ―― 文字通りの“大黄河”だった。
肥沃な黄土を中原の民にもたらした恵みの河 ―― 中原の民を、そして皇帝ら為政者を手こずらせた暴れ者の河 ―― 2つの顔を持つ河だが、これこそが中国の歴史を育んできた河なのだ。黄河が創ってきた悠久の歴史に思いを馳せると同時に、憧れ続けてきた“大地”にようやくたどり着くことができたような感慨を抑えることができなかった。
悠久の大黄河
大自然を離れて大都会の中に戻る。しかし、この大都会の中にも“自然”はしっかりとある。
たまたま見かけて入った関帝廟の敷地内には、西蜜脂泉という泉があった。
そう、“泉”こそが済南のキーワードである。この街には済南七十二名泉と呼ばれる泉が各地にあり、“泉城”が済南の別名になっている程なのだ。
その代表格が“天下第一泉”とも呼ばれる趵突泉である。この泉からは毎秒1600リットルにも及ぶ地下水が絶え間なく湧き出しており、泉の中心の水面はその湧き水で白く盛り上がっている。これが古来からずっと続いているというのだから、その特異な光景、その現象とも、まさに自然の神秘である。
趵突泉
この泉だけでも、游客たちを呼び寄せるのに十分である。済南一の名所とあって、連休の趵突泉は人でごった返している。
しかし、この場所の魅力は泉だけではない。それを取り囲む明清時代の建築物もまた見事である。その建築物の間をぬって、泉から湧き出していた水が水路を流れている風景も涼しげでいい。
その水路の中を、何かが泳いでいる。魚か? それにしても大きな魚だな ―― いや、魚ではない。確かに尾やひれのようなものは付いているが、魚にしては肌がつるつるで、頭が丸いし、それに首がある。
―― なぜ、こんな所にアザラシが?