ノルブリンカ、セラ寺 ~熱気の問答
2001年8月6日
午前中のツアーコースは、既に何度も足を運んでいるバルコル。わざわざ参加する意義も無い。
日本人は皆、それぞれが独自の行動を取ることになり、私は市街地の西にあるノルブリンカを単独で訪れた。
ノルブリンカ
ノルブリンカを参観していると、ゴルムドで別れた日本人2人とばったり出会った。彼らは闇バスでラサ入りを目指してたのだが、無事ここにたどり着くことができたようだ。
彼らと別れた後は、同じく単独行動を取っていた仲間の日本人の女子留学生と出くわし、そこからは2人で行動を取った。
ノルブリンカは、今はインドに亡命しているダライ・ラマ法王の離宮だ。1959年3月には、ダライ・ラマ法王が亡命を余儀なくされる契機となった騒乱の舞台にもなっている。 広い敷地の中には、ダライ・ラマ14世の住居であるタクテン・ポタンをはじめ、チベット風の建築物が幾つか建ち並んでいて、内部を回ってみるとダライ・ラマ法王の生活の様子を感じ取ることができる。
午後にはツアーで、市街地の北にあるセラ寺を訪れた。
この寺は、広い敷地に幾つもの建物が並んでいるが、それ以上に、そこで展開されていた光景に、私たちの目は釘づけになった。僧侶たちの問答である。
問答の様子は、前日にデプン寺でも見ることができた。しかし、デプン寺で見た時は一ヵ所だけでしか行われていなかったのが、ここセラ寺の中庭では、おびただしい数の僧侶が、至る所で問答を繰り広げており、デプン寺のものをはるかに上回る激しい熱気が充満していた。
セラ寺の中庭で問答を展開する僧侶たち
問答は手を打ち鳴らしつつ行われる
彼らはほぼ2人1組で、片方が立ち、片方が地面に座る。立っている方が問い手で、座っている方が答え手だ。2人は熱く言葉を交わしあい、特に立っている方の僧侶は、言葉を終えるたびに、体を大きく動かして「パアン!」と手を打ち鳴らす。声と、手をたたく音があちこちで響き渡っている。観光客たちがカメラを向け、フラッシュをたいても、全く意に介する様子が無い。問答に熱中しきっている。それとも、写真を撮られることに慣れてしまったのだろうか。
一体、どんなことを話しているのだろう ―― 残念ながら、チベット語なので聞き取ることができない。しかし、どうやら難しい哲学的なことを話しているそうだ。
チベット僧の問答については、『チベット旅行記 抄』(河口慧海 中公文庫BIBLIO)に詳しく描かれています。
ツアーの日程は、これで終了した。仲間の多くは帰りのバスのチケットを放棄して、さらにチベットに滞在する。何人かはここからネパールを目指すという。しかし、私はこのままチベットを離れて成都に降りることにした。
ラサでの4日間だけで、結構チベットの雰囲気は味わえた気がする。ヤクバーガー、モモ、バター茶、トゥクパ
チベット料理も結構満喫できた。
チベットでの仲間たちとの別れを惜しみつつ、私は“Four Days in Tibet”の最後の夜を過ごした。
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