宝永山―御殿場ルート7合5勺
2024年8月2日
すっかり雲も晴れた宝永山頂上から暫く、宝永火口や富士山頂の景色を楽しむ――いや、この景色に「楽しむ」という言葉は相応しくない。自然の力強さ、と言うよりは「凶暴さ」と言ってしまってもいいかもしれない、猛々しい姿だ。
今年に入っても、能登の震災、そしてこの登山が終わった後のことになるが「南海トラフ地震臨時情報」が発せられる地震も発生する。「宝永大噴火」以後300年以上の間眠っている富士山だが、いつ目覚めてしまうか分からないのだ。富士登山をやるなら必ずそのことを頭に置いておくことは求められるだろう。
宝永山から望む宝永火口14時20分、登山を再開する。
左手に宝永火口、右手に御殿場ルートを眺める稜線を辿り、宝永山馬の背へ。ここには標識が立っていて、宝永山山頂、御殿場ルート下り、プリンスルート下り、プリンスルート登りと、いくつものルートの分岐になっている。私はプリンスルート登りを目指して、もう少し稜線を歩いてから右手の御殿場ルートへと続く坂道を下る。
宝永山馬の背の標識
御殿場ルート下りからプリンスルートへの分岐着いた先の道は御殿場ルート下りだが、ここを50m程だけ登らせて頂くと、右側に分かれ道がある。ここからトラバースして御殿場ルート登りへと移動するのだ。入り口には「至 御殿場口」の看板が。
――あれ?
前回プリンスルートを登った時は「富士山頂上 プリンスルート」と書かれていたぞ。
どうやら立て替えられたようだった。確かに、以前のものよりも大きく、位置も高くなって分かり易い。しかし、文言は分かりにくくなっていないか? 「至 御殿場口」と言われると、一瞬五合目の登山口に向かうのかと勘違いしてしまう。「山頂」という文言を加えてほしいところだ。
トラバースルートに入ってふと後ろを振り返ってみると、先程何とか晴れた中を歩き、すっきりと晴れて宝永山山頂から全貌を見ることができていた宝永火口からまた、雲が噴き出すように立っている。それは、あたかも宝永火山が噴煙を吐いているかのようだった。
宝永火口から噴煙のようにわき出す雲
写真中央の標識地点で御殿場登りルートへ合流分岐点から比較的歩きやすいトラバースルートを13分ほど歩いて、御殿場ルート登り六合目の合流地点に到着。ここからは御殿場ルートを登っていくことになる。
やがて標高3000m地点に到着。すぐ上には山小屋・日の出館(休業中)も見える。あれを越えれば、今日の目的地は間もなくだ。
標高3000m地点15時53分、七合五勺・砂走館に到着。昨年に続いて今年もここで1泊する。(時間的には次の赤岩八合館にも行けたのだが、予約の電話を入れた時点で一杯になっていた)
本日の宿・七合五勺砂走館
夕食のカレー宿の夕食・お代わり自由のカレーライスを2杯頂いた後、表に出てみると、西側に広がっていた雲海に、富士山が影を落としていた。「影富士」はこれまで、午前中に大沢崩れあたりで東側に見たことはあったが、夕日に照らされて西側に伸びる影富士を見るのはこれが初めてだった。
夕日に照らされて映し出された影富士20時30分、山小屋の消灯時間を迎える。
富士登山もこれで8回目。すっかり高地に慣れたのか、高山病の気配などはほぼ無い。しかし、寝床が隣になった登山客のいびきが五月蝿く、余り快眠できなかった。
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