石川・福井100名城(1)―小丸山城、七尾城
2025年6月7日
早朝7時すぎ、前日午後10時に東京・新宿を出発した夜行バスが富山、金沢を経由して石川県の七尾駅前に到着。6年前に訪れて以来の再訪――今回はここを起点として主に福井の名城を巡る旅になる。
この街で目指す城の登城口近くまで行ってくれるバスまで1時間ほどあったので、駅近くのコンビニエンスストアでパンを買って朝食にする。さて、どこで食べるか――実は到着直前に、この日の「目指す城」とは別に地図アプリで駅近くに城址公園を見つけていたので、そこで頂くことにした。
小丸山城址公園
小丸山城跡の前田利家・松銅像七尾駅から歩いて10分ほどの場所にあったのが、小丸山城。詳しい歴史はこの後行く城と併せて後述するが、加賀百万石の祖である前田利家ゆかりの城で、近くには利家とまつの銅像も立っている。
それ程高くはないが平山城で、丘の上に見晴台のようなものが見える。そこまで行って朝食にしよう――と思っていたのだが、2024年元日に起きた能登半島地震の復旧工事が行われていて、この月の末日まで立入禁止となっていた。僅か1か月の差で何とも残念だったが仕方がない。麓で食事を済ませて駅前に戻り、駅前商業施設ミナ.クルのコインロッカーに大きな荷物を預け、バスでこの日の本命の城を目指す。
七尾城を頂く「城山」
バスを下りると目の前に、目指す城を頂く城山がそそり立っている。七尾城(100名城No.34)は15世紀前半に能登国守護の畠山満慶が石動山系の尾根の上に築いた山城で、その後上杉謙信、そして織田信長の支配するところとなり、先述した前田利家が城主となった。
七尾城には6年前にアプローチして100名城のスタンプも頂いていた。しかし、今でこそ「核心部に至らなければ攻城したうちに入らない」という意識で城巡りをしているが、100名城巡りの第1回の旅だった当時はまだ意識が低く、また山を登る時間も無かったことから、麓の大手門跡にちょっと足を踏み入れただけで「これで城域に入った」としてしまっていたのだ。それがその後、七尾城の本丸が素晴らしいということを知り「これは行き直さないと」と思うようになっていた。
しかし、先述の能登半島地震で七尾城では石垣が崩落して立入禁止になってしまう。これはいつ再訪できるか?と情報をチェックし続けていたが、2025年1月、本丸すぐ横の駐車場から本丸までの区間は開放されたとの情報が入り、そして続いて、2025年4月5日からは麓からの山道である大手道も開放された、との情報が入ったため、「今こそ!」と今回の旅を決行したという訳である。
七尾城史資料館
七尾城 大手門跡。前回はここで引き返してしまっていた100名城のスタンプ設置場所である七尾城史資料館は開館時間前だったが。スタンプは屋外で24時間押すことができる。前回既に頂いていたスタンプだが、今回来た証にもう一度頂いたところで、6年越しの七尾城登山にいざ繰り出す。
歩き始めて数分で、前回回れ右した大手門跡を過ぎる。更に高速道路の高架をくぐり、蔵屋敷跡近くの分岐を右に折れた先が、本格的な山道の始まりだ。
七尾城 登山道途中の時鐘跡
七尾城 三の丸と二の丸間の大堀切跡長坂、時鐘跡、七曲り、番所などを経て、沓掛というポイントまでは比較的歩きやすく
[七尾城の山道ってもっと険しいと思っていたけれど、それ程でもないな]
などと思ったが、そこから先の三の丸、二の丸からが本番だった。にわかに坂が急になり、更に三の丸と二の丸の間には大規模な堀切があり、そこを上って下りるという手間にも見舞われた。
このエリアからが、七尾城の核心部。こういうところが七尾城が「難攻不落」たるゆえんなのだろう。
七尾城 温井屋敷跡。奥の石垣の上が二の丸
七尾城 九尺石二の丸から下りて進んだ先にある曲輪が温井屋敷跡だが、このあたりから石垣が目立ち始める。二の丸も石垣の上に広がっており、温井屋敷跡の傍には「九尺石」と呼ばれる大きな石が組み込まれている。
但し、いずれの石垣も一部がブルーシートに覆われていた。能登半島地震で崩落したのである。
更に先へ進み、桜馬場跡・遊佐屋敷跡まで来ると、その先の木立の間に一際立派な石垣が垣間見える。いよいよ本丸だ。
七尾城 桜馬場跡・遊佐屋敷跡から本丸の石垣が見えてきたその前に、桜馬場跡から一段下に下りてみる。一段下の曲輪が、階段状に築かれた野面積みの石垣で有名な調度丸だ。調度丸の石垣も震災で崩落したといい、ネット上で一部をブルーシートで覆われた写真を見かけたが、この時は金網は張られていたものの、ブルーシートは無く、震災の爪痕の痛々しさ、生々しさも少しは和らいだようにも感じられた。
七尾城 調度丸の石垣再び調度丸から上の段に上り、いよいよ本丸とご対面だ。木々の間を抜けて太陽が直接射す山頂に出ると、調度丸同様、階段状に野面積みの猛々しい石垣が3段連なっている。
最上部に続く階段の陰に土嚢が積まれていたものの、こちらもブルーシート等は無く、さほど崩壊した様子は無い。
七尾城 本丸の石垣本丸最上部に上り詰めると、眼下には、七尾湾を一望するパノラマが広がっていた。
調度丸や本丸の石垣といい、本丸からの眺望といい――ここまで訪れなければ七尾城に来たと称する資格は無いだろう。
[自分はあの時、何をやっていたんだ?]
私は七尾城の大手門跡に一歩踏み入れただけでよしとした6年前の自分自身を激しく責めた。
七尾城 本丸上部。七尾湾を眺望できる本丸を存分に満喫し、調度丸に下りてここからも本丸の石垣を仰ぎ見ながらすぐ近くにある駐車場に行ってみる。ここまで自動車で来れば調度丸や本丸はすぐなのだが、本当に「攻城」と言うのであれば、やはり麓から大手道を歩いて登って頂きたいところだ。
七尾城 一段下の調度丸から望む本丸石垣
七尾城 駐車場からの眺望。左端手前の緑部分が小丸山城跡駐車場から下界を眺めつつ、そこに居たボランティアの方からいろいろお話を聞く。
「前田利家は初め七尾城に入ったのですが、不便だったので平地の海の近くの小丸山城に移ったのですよ」
小丸山城といえば、朝一番に近くまで訪れた城である。駐車場からも先程訪れた小丸山城址がよく見える。確かに、七尾城は堅固で立派な山城で、戦いの時には無敵だろうが、移動だの商業だのいうことを考えるとあちらの方が便利なのは間違いない。
そしてもう一つ、ボランティアの方から教えられた情報――これが私の行動を決めた。従来の計画は、七尾城から麓には12時すぎぐらいに戻って、七尾駅近くで昼食を頂いて13時23分の列車で南へ向かう、というものだった。しかし急遽予定を変更して先を急ぐことにし、山頂から山道を駆け下りて10時36分に下山を完了させ、バスとランニングで七尾駅に到着して列車に飛び乗ったのは11時17分――計画よりも2時間も早く南への旅路に就くことができた。
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