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日本100名城

100名城探訪記

山陽・山陰西部100名城(9)―松江城、米子城

2025年5月7日

今回の名城巡りの旅も最終日。松江駅近くの宿で1泊して、朝一番でこの街の名城を目指す。
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宍道湖
その途中、この街が誇る城の前に、この街が誇る湖のわきを通る。隣接する日本海から海水が混ざり込む汽水湖・宍道湖だ。ここで育つシジミや白魚などが島根の名物になっている。
宍道湖から大橋川に湖水が流れ込む地点に架かる宍道湖大橋を渡る間に、目指す松江城(100名城No.64)の天守が少しだけその姿を現す。
松江城は、関ヶ原の戦いで東軍に与し戦功のあった堀尾忠氏が築いた城である。封ぜられた当初は、私も前日に訪れていた月山富田城を本拠としたが、山城で交通の便が良くなかったため、末次城のあった宍道湖畔の亀田山に築城したのがこの城だ。
宍道湖大橋を渡って、現在は県庁などが建てられている旧三の丸を過ぎると、堀の向こうに天守のほか、南櫓(復元)や中櫓(復元)が見えてきた。 写真
松江城 南櫓(左)、天守(中)、中櫓(右)
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松江城 大手門
程なくして、堀尾吉晴公像に見守られ「国宝 松江城天守」の碑が立つ松江城入り口をくぐる。その先の石垣の切れ目がかつての大手門であり、大手門をくぐると、江戸時代当時は米蔵や屋敷などがあった二の丸下の段が広がっている。 写真
松江城 二の丸下の段
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松江城 二の丸上の段から見上げる石垣と天守
大手門横の階段で一段上がった先が、二の丸上の段だ。先程堀端から見上げた南櫓、中櫓や大手門を見守る太鼓櫓(復元)で守りを固めている。そして更に一段上の本丸を守る野面積み+算木積みの石垣も勇壮だ。
本丸へは二の丸から更に、クランクになっている階段を上り、南多聞櫓に繋がった一の門をくぐった先にある。
本丸広場自体は入場無料だが、天守に入城するには「登閣券」が必要だ。午前9時、チケット売り場の開業時間を待って登閣券を購入し、天守へと向かう。 写真
現存12天守の1つ、松江城天守
明治時代、松江城にも廃城令の波が押し寄せ建物は解体・売却される予定だったが、地元の有志によって天守だけは買い戻されて解体を免れて現在に至り、現存12天守の1つに数えられる。2015年には、現行法による国宝に指定された(天守としては5件目)。
天守に入城し、入り口受付で100名城のスタンプを頂いて、国宝巡り開始。勿論木造で、柱や梁、そしてそこに刻まれた印まで、当時のままの姿を来る者に見せてくれる。 写真
松江城天守内部
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松江城天守最上部。宍道湖を一望できる
最上部まで上がってみると、この天守が国宝である証の「国宝指定書」が掲示されている。窓からの眺望も良く、西の眼下には宍道湖が横たわっている。この地の利であれば、堀尾忠氏が月山富田城からここに本拠を移したのも「さもありなん」といったところだ。
松江城を一通り見終わった後は、城の堀の北側に面した通りにある、松江ゆかりの作家・小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の旧居や武家屋敷あたりを散策したり、更には宍道湖クルージングを楽しんだりした後、昼過ぎに松江を後にする。

松江からJR山陰本線を更に東へ。前日訪れた安来を過ぎて、島根から鳥取に県境を跨ぎ、米子で下車。今回の旅最後の名城は、米子城(100名城No.170)だ。
米子城は最初、15世紀に山名宗之によって中海に近い飯山に築かれたのが始まりとされる。1591年、豊臣政権下で西伯耆の領主となったのが、今回の旅でも岩国城で、萩城で、月山富田城で幾度となくその名を聞いた吉川広家だ。広家は中海の良港に隣接した湊山に築城を開始し、4重天守を築く。関ヶ原の戦いの後、岩国に移った広家に代わって中村一忠が伯耆一国を領して初代米子藩主となり、築城を受け継いで1602年ごろ完成。この時広家が建てた4重天守の隣にもう1つ、独立式望楼型4重5階の天守が築かれる。 写真
湊山の上に佇む米子城
米子駅から北西へ15分ほど歩くと、湊山の上に佇む米子城が見えてきた。整備工事中の三の丸広場を横目に歩いて二の丸表御門跡から桝形虎口跡を抜け、テニスコートになっている二の丸跡の横を歩いた先から、軽く登山ということになる。
二の丸表御門から歩き始めて15分ほどで、番所跡に到着。本丸まであと少しという地点だが、ここで本丸の立派な石垣を見ることができる。手前に見える大きな櫓跡が中村氏の代に築かれた天守台で、奥にある一回り小さな櫓跡が吉川広家が築いた古天守の跡だ。 写真
番所跡から望む米子城の天守台(右)と古天守台(左)
番所跡から歩いて5分ほどで、米子城の最上部・本丸に到着。西を向けば中海、北を向けば境港の砂州の向こうに日本海、東を向けば鳥取西部の名峰・大山と、パノラマビューが広がっている。
松江城といい米子城といい、城からの景色を見ていると、地の利を重視して本拠を移すということにはただただ納得するしかない。 写真
米子城 本丸跡
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米子城 天守台
城を下りて、2024年に三の丸広場に新設された米子城三の丸番所で続100名城のスタンプを頂く――予定だったが、この時この場所のスタンプはインクが薄すぎたので、もう一つの設置場所である米子市立山陰歴史館まで歩いて、こちらでしっかりとスタンプを頂くことができた。

これで今回の城巡りは完了。帰途に就くべく米子空港に向かう。

米子に隣接する境港市は「ゲゲゲの鬼太郎」などで有名な漫画家・水木しげる氏の出身地であり、そのゆかりの地も訪れたかったのだが、米子城を巡っているだけで制限時間いっぱいになってしまった。水木氏に関しては、米子駅から米子空港に至るラッピング列車や、米子空港のオブジェ、米子空港で買った鬼太郎蒲鉾などで味わうにとどまった。

今回の旅で、100名城、続100名城とも80城攻城達成。ゴールが近づいてきた、

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