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日本100名城

100名城探訪記

山陽・山陰西部100名城(8)―浜田城、月山富田城

2025年5月6日

島根県浜田氏の浜田駅近くの宿で一夜を明かし、朝一番で徒歩圏内にある名城を訪れる。
浜田城(続100名城No.170)は江戸時代、大坂の陣の功績により浜田に入封した古田重治により1620~1623年にかけて築かれた。浜田川と松原浦に囲まれた、標高68mの独立式丘陵・亀山に築城された平山城である。 写真
浜田城を頂く亀山
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浜田城に移築された旧浜田県庁表門
浜田城資料館(開館前のタイミングだったため参観せず)側から山の中腹まで登り、郭方面へ歩き進むと木造の門が出迎えるが、これは1967年に移築されてきた旧浜田県庁表門で、浜田城のものではない。
この門を潜った先が、浜田城の核心部である。特に本丸へ向かう坂道横の石垣は圧巻だった。 写真
浜田城の石垣
石垣を横目に坂道を上り、更に折り返して少し上った先には二ノ門が口を開けていて、入った先は進路を阻む桝形虎口となっている。
二ノ門から一段上がると二の丸、更に一段上がった先が本丸だ。 写真
浜田城 二ノ門跡
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浜田城 本丸。左側奥に天守代用櫓があったとされる
広々とした本丸広場の西側の端にはかつて、天守代用の三階櫓が建っていたという。所謂「天守台」の痕跡は見られなかったので、地面に直に建てられていたのだろうか。
幕末、浜田城は長州藩に対する最前線とされたが、長州征伐で長州軍に攻められた際に藩主・松平武聡は戦わずして逃走して城は捨てられ、天守以外の殆どが焼失した。その天守も明治に入り失われたという。
続100名城のスタンプを頂き、中ノ門、大手門跡を経由して山を下って、浜田城の攻城終了。1時間強滞在したが、こじんまりとしているので2周ほどすることができた。

9時すぎの列車で浜田駅を出発し、JR山陰本線を東へ。日程の都合上、この日宿泊予定の松江を一旦過ごして12時43分、安来駅に到着。ここからバスで次の城・月山富田城(100名城No.65)を目指す。
月山富田城は鎌倉幕府の御家人の出である富田氏が本拠とした、安来の月山(標高184m)上の山城で、日本5大山城の一つともされる。戦国時代には戦国大名・尼子氏の本拠地となり、天然の地形を利用した難攻不落の「天空の城」とも呼ばれた。16世紀半ば、第1次月山富田城の戦いでは周防(山口)の大内義弘軍を退けるが、毛利元就軍が攻めてきた第2次月山富田城の戦いで城は落ち、尼子氏は滅亡。その後は毛利一門の吉川氏、次いで堀尾氏が入るが、1611年、堀尾氏が松江城へ移ると廃城となる。 写真
月山富田城全景
市立病院前バス停で下車して飯梨川のほとりに出ると、対岸の月山の上に城跡がお目見えだ。
麓の安来市立歴史資料館で城に関する展示を見学し、100名城のスタンプを頂いたところで、資料館に隣接する登城口から登城開始。強固な石垣で守られた千畳敷、太鼓壇を経て、月山富田城の戦いで奮戦し尼子氏滅亡後はその再興を目指して尽力した武将・山中鹿介幸盛の銅像を拝む。 写真
月山富田城 千畳敷の石垣
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月山富田城 花ノ壇
その先も曲輪が続く。花ノ段には発掘調査で発見された建物跡に、本郭を頂く月山を背景に当時の様式の小屋が再現されていて、100名城のスタンプの図柄になるなど月山富田城のアイコン的存在になっている。
花ノ壇から一旦下りてその先でまた上に上ると、一際広い曲輪に行き着く。近世初頭には城主の屋敷があったと推定される中心的曲輪・山中御殿跡(「さんちゅう」と読む。山中鹿介の「山中(やまなか)」ではない)だ。周りは石垣で固められ、南東側に大手門が設けられている。 写真
月山富田城 山中御殿跡
しかし、ここはまだ「本丸」ではない。主郭部はこの平らな曲輪から更に上、山の上に聳える山のてっぺんにあるのだ。切り立つ断崖に設けられた「七曲り」と呼ばれる連続するスイッチバック式の坂道が、主郭部に至る道である。 写真
七曲りを上った先の月山富田城 三の丸の石垣
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月山富田城 本丸方面から望む三の丸(奥)と二の丸(手前)
七曲りの坂を上り切った先には、3段の石垣に守られた三の丸が鎮座している。ここから更に二の丸を経て、本丸に行き着く。そこまで厳しい山道ではなかったが、難攻不落といわれたこの城を極めた感慨はひとしおだった。 写真
月山富田城 本丸跡
安来の街から内海、そして日本海まで見渡すことができる本丸の、そして月山の最高地点には、主である尼子氏以上の人気を誇っている山中鹿介幸盛の記念碑(明治期建立)が立てられている。 写真
月山富田城 山中御殿跡。左端が大手門
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月山富田城 大土塁
本丸から下りてもまだ余韻を味わうかのように山中御殿跡や花ノ段を暫く歩き回った後、帰りは大手門跡から大土塁、堀尾吉晴公の墓、山中鹿介幸盛公供養塔を経て千畳敷に至るルートで下山する。
帰りに予定していたバスは安来市立歴史資料館横の月山入口バス停から16時14分発だったが、下山したのはほぼ16時。ギリギリまで長居してしまったが、それ程見応えのある城だったのだ。

先程列車で通過した松江駅の前が、この日の宿。明日は今回の旅の最終日だ。ここ松江と、県境を越えて鳥取に入った米子にある名城を巡って、締めくくりとなる。

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