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日本100名城

100名城探訪記

九州北部古代城再訪(2)―基肄城

2025年3月21日

佐賀県鳥栖市の鳥栖駅前の宿で夜を明かし、早朝からもう1つ、前回の九州北部の城巡りで「忘れ物」をした城を目指す。
鳥栖駅からJR鹿児島本線で北へ2駅の基山駅で下車し、目指したのは佐賀県基山町と福岡県筑紫野市にまたがる基山に鎮座する山城・基肄城(続100名城No.184)。これもまた、昨日訪れた大野城や水城同様、7世紀の白村江の戦敗戦を機に建てられた城である。
前回は時間の都合もあって一番手前にある遺構・水門跡だけに行って済ませてしまっていた。今回はきっちりと山頂の主郭まで行こうと、時間を十分にとっての再訪となった。そして今回は、前回には無かったシェアサイクル・キマチャリが基山駅前に設置されていたので、こちらを利用。前回は歩いて往復した水門跡までの道を僅か片道20分程度で行くことができた。 写真
基肄城 水門跡
水門跡は幅26m、高さ8.5mほどの石塁の下部に4か所の排水口が開けられている。基肄城の南の入り口になることから、このエリアは「南門」とも呼ばれ、基山の上、面積63万平方mにも及ぶ大規模な山城の入り口だ。
前回はここで終わりにしてしまったが、今回はむしろここからが本番。私は水門跡から見て林道の向かい側にある登山口からいざ、山頂の主郭跡に向けて歩き始めた。 写真
基肄城 米倉礎石群
写真
基肄城 東北門跡
登山道を進んでいくと、米倉礎石群、つつみ跡、土塁跡、東北門跡など、当時の遺構を幾つも見ることができる。1400年も前の城の痕跡がこれだけ広範囲にはっきりと残っているというのは驚くばかりだ。
東北門跡から更に丸尾礎石群、北御門跡など、あちこち遺構を見ながら上ったが、普段ランニングで鍛えている健脚と山登りの装備のお陰で通常1時間半はかかるというところを1時間10分程度で、開けた山頂の広場に到着することができた。 写真
基肄城 主郭跡
「特別史跡 基肄(椽)城跡」の石碑が立つこの山頂広場が、基肄城の主郭跡である。これで、3年越しなった九州北部古代城リベンジは全て達成となった。
山頂広場の一段下には「大礎石群」と呼ばれる建物跡の礎石群が残っている。基肄城には他にも礎石群が点在するが、ここのものは10間×3間と最大規模で、中心的な建物の跡ではないかとみられている。 写真
基肄城 大礎石群
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中世に築かれた木山城の遺構「いものがんぎ」
また、山頂部の南端には「いものがんぎ」と呼ばれる凹凸が連なる地形が見られる。これは古代の城ではなく中世に築かれた木山城の遺構で、堀切が三重に設けられたためにこのような外観になっている。
これだけの遺構を見ることができるのだ。やはり基肄城は水門跡だけで終わらせることなく、主郭まで来てナンボ、の城跡だった。再訪して本当によかった。

山頂から水門跡に至る道は、来る時に辿ったメーンコースだけではなく近道もあるので帰りはそちらで、と思っていたが、2023年の豪雨災害により通行止めになっていた。遠回りになる元来た道を辿るしかなかったが、来る時にじっくりと巡った道なので寄り道する必要も無く、安全な場所ではトレイルランもしたので僅か30分で下山を完了させることができ、基山駅を出て基山駅に戻るまでの時間も、4時間強で計画していたのが3時間弱で戻ることができた。
基山から一旦鳥栖の宿に戻って預けていた荷物をピックアップして、次の目的地へ青春18きっぷでの長距離移動となるが、こちらも到着見込みが予定より1時間早まった。お陰で次の城巡りも予定よりゆったりとできそうだ。

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