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日本100名城

100名城探訪記

四国100名城(4)―徳島城、勝瑞城

2024年11月3日

徳島市で迎えた朝。宿は徳島城(100名城 No.76)のすぐ近く。宿の朝食を頂いた後、早速、24時間開放されている城址公園を探訪する。
徳島城は、元は阿波の国の支配者であった三好氏の拠点で、戦国時代の群雄割拠・土佐の長宗我部氏の支配の後、1585年の豊臣秀吉による四国平定で阿波の国を賜った蜂須賀家政が、入封当初の一宮城入城からすぐ建造を開始し、1586年に完成させた平山城だ。 徳島城の鷲之門と城山
徳島城の鷲之門と城山(歩道橋から俯瞰)
城跡を見下ろせる歩道橋から、徳島城で唯一残る建造物(とはいえこれも復元)の鷲之門城山を俯瞰した後、堀に沿って城の北東へ。ここにある徳島中央公園東側駐車場に100名城スタンプがあるということで、公式の開業時間より前だったが試しに行ってみたところ、既に事務所に職員の方が出勤していて、快くスタンプを押させて頂けた。 徳島城の東の堀に架かる数寄屋橋
徳島城の東の堀に架かる下乗橋
徳島城の南の堀に架かる下乗橋
徳島城の南の堀に架かる下乗橋
城の東の堀に架かる数寄屋橋から城内に入り、南側の堀の下乗橋まで出て、ここから城山を目指す。
南の登城口から石垣を横目に階段を少し上り、東二の丸跡に到着。その奥の山の端が徳島城の「天守跡」だ。御三階櫓が建っていたとされるが、本丸ではなく二の丸であることを考えると「天守代用」というのが正確なところである。 徳島城 東二の丸跡。この奥が天守台
徳島城 東二の丸跡。この奥が天守台
徳島城 本丸
徳島城 本丸
そして石垣の上に広がる、山頂の本丸広場へ。標高60m程とそれ程高くはないので、10分足らずで上り切ることができた。
今は広場が残るばかりだが、往時は本丸御殿や詰所がここにあり、元は天守もこの本丸にあったが、江戸時代初めに取り壊されて先ほど訪れた東二の丸に代用櫓が建てられたという。
本丸の先にもまだ曲輪があったが、次の場所に向かうため今回はここまで。翌日また来ることになるのでその先はまたその時にして、私は次の城へと足を進めた。

徳島駅からJR鳴門線普通列車で北へ3駅、勝瑞駅で下車。ここから徒歩10分ほどの場所にあるのが、勝瑞城(続100名城 No.175)。室町時代後半、阿波守護細川氏は、はじめ阿波市秋月に守護所を置いた後、勝瑞に移設。戦国期に阿波の実権を握った三好氏も勝瑞を拠点とし、その居城・居館となったのが勝瑞城であり、当時はここが阿波の政治・経済・文化の中心となった。 現在は見性寺の境内となっている勝瑞城跡
現在は見性寺の境内となっている勝瑞城跡
現在、城跡は三好氏の菩提寺である見性寺の境内となっていて、そこに建つ建築物は寺であって城のものではない。とはいえ寺院を取り囲む濠や敷地内の土塁跡が、ここがかつて城であったことの証しである。 勝瑞城の土塁跡
勝瑞城の土塁跡
勝瑞城の水濠
勝瑞城の水濠
城跡から少し南に行った場所に、広大な空き地がある。ここは勝瑞城館跡、即ち、かつて三好氏の居館があった場所だ。濠跡や礎石建物跡が一部に見られるが、まだまだ調査中。これからの調査の成果が待たれる場所だ。 勝瑞城館跡
勝瑞城館跡
この場所の発掘を統括する史跡勝瑞城館跡展示室で、続100名城のスタンプを頂いて展示を参観。それから城跡やその周辺をもう一度一巡りして、次の場所を目指す。

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