北関東100名城(4)―足利氏館、金山城
2024年8月11日
群馬の名城を巡って前夜、県境を少し越えて栃木・足利駅前の宿で一泊。
今回の名城巡り最終日は、栃木と、群馬で昨日行き切れなかった名城を巡る。
早朝。まずは足利市内にある足利氏館(日本100名城 No.15)を訪れる。
足利氏館は平安時代末期に、後の足利尊氏に始まり室町幕府の将軍を歴任した足利氏の祖・源義康が築いた居館である。
足利氏館(鑁阿寺)太鼓橋と山門鎌倉時代初期、足利義兼が持仏堂、堀内御堂を建立して以降は真言宗大日派の本山であり、足利氏の氏寺である鑁阿寺(ばんなじ)として整備され、今ではすっかり「城」「館」と言うよりも「お寺」の様相が強くなっているが、周囲を囲む堀が、この施設が本来城であったことを物語っている。
足利氏館(鑁阿寺)を囲む堀
鑁阿寺本堂朝一番に訪れたので、100名城スタンプの設置場所である社務所はまだ開いていない。スタンプは後回しにして、ひとまず近隣にある別の城を目指すことにする。
足利氏館やJR足利駅のある渡良瀬川北岸から中橋を渡って南岸へ。東武足利市駅から東武伊勢崎線に乗って再び県境をまたいで群馬県に戻り、乗車10分程で太田駅に到着。駅舎1階にある太田市観光案内所でレンタサイクルを借りる。目的地までは割と坂を上るとのことだったので電動アシスト自転車を選んだが、それでも料金は僅か300円だ。
史跡金山城跡ガイダンス施設
太田駅から自転車を走らせることおよそ15分、自転車での目的地・史跡金山城跡ガイダンス施設に到着。ここからは徒歩で山道を歩くことになる。
今回目指したのは、金山城(100名城No.17)。 1469年に新田一族であった岩松家純により築城され、のち由良の居城となった山城であり、上杉謙信や武田勝頼により攻撃されるも守り切ってきた難攻不落の名城だ。岐阜の美濃金山城と区別するために「新田金山城」とも呼ばれる。
まずはガイダンス施設を軽く見学して、いざ、山の上の城を目指す。
山道を10分ほど登って、展望台のある駐車場に到着。このあたりにも石垣などが見られるが、まだまだここが城の「西域」エリアの入り口だ。但しここからは上り坂も比較的緩やかだった。
金山城 西矢倉台西堀切
金山城 物見台下虎口西矢倉台、物見台下虎口、物見台など、かつてこの城を守ってきた施設の数々が連郭式に東西に連なる。馬場曲輪を抜け、大堀切、月ノ池のわきを過ぎると、石垣造りの立派な遺構が目の前に現れ、大手虎口に到着する。1995年から復元された、この虎口から延びる石垣・石畳の通路が金山城のシンボル的存在になっている。ここから先が城の核心部分だ。
金山城 大手虎口三の丸、井戸跡などを横目にこの通路を歩いていくと、これも金山城のシンボル的存在である、きれいな円形の日ノ池が横たわっている。
金山城 日ノ池
金山城 本丸石垣
その先が「本城」だ。一段上にある本丸跡を支える石垣が今でも保存状態良く残っている。
日ノ池の南側には、太田の街を一望できる南曲輪がある。ここに建てられた休憩所が100名城スタンプの設置場所で、ここでスタンプを頂く。
金山城訪問を終え、栃木県足利市に、足利氏館(鑁阿寺)に戻る。今度は鑁阿寺の社務所は開業していて、ようやく100名城のスタンプを頂くことができた。
足利学校
足利学校庭園足利氏館に隣接する足利学校も必見の場所だ。「坂東の学校」と称された中世の高等教育機関である。茅葺の方丈と庫裡、孔子廟、庭園などが再現され、中世の趣を漂わせている。
コメント(0)
コメントする