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日本100名城

100名城探訪記

関西中部100名城(5)―岸和田城、和歌山城

2024年3月30日

大阪南部の千早城攻城を果たし、次を目指す。奈良市からここまではずっと近鉄線だったが、この先は南海電鉄利用。河内長野駅から大阪市の天下茶屋駅まで北上し、南海本線に乗り換え和歌山方面へ向かう。
その途中にあるのが、岸和田城(続100名城 No.161)。当初の予定ではこの日の閉園時間に間に合わず翌日に回すつもりでいたが、河内長野までの移動が予定よりスムーズに行ったお陰で間に合うこととなったので、この日訪れることにした。
南朝方の武将・楠木正成の部下である和田高家が「岸」に城を築いたのが「岸和田」の始まりといわれ、15世紀後半に現在の場所から約500m南東に山城・岸和田古城が築城された後、現在の平野部に移築されたのが岸和田城だ。羽柴秀吉の伯父・小出秀政が5層の天守を築き、江戸時代には岡部宜勝が城を更に大改築し近世城郭を築き上げる。明治の廃城令で破却され、現在の姿は第2次大戦後に復興されたものだ。
南海岸和田駅から徒歩10分。岸和田城東の堀の角に到着。堀がいい感じで水鏡になって、岸和田城の天守・小天守や石垣・土塀を映し出していた。 堀に映える岸和田城
堀に映える岸和田城
岸和田城の大手櫓門
岸和田城の大手櫓門
堀沿いに西北に面する大手櫓門まで歩いて、入城。少しだけ坂を上った先には、戦後に造られた八陣の庭のある本丸広場、そしてその先に天守閣が聳えている。但し、往時は5層あったとされるが復興天守は3層に留まっている。 岸和田城天守と八陣の庭
岸和田城天守と八陣の庭
天守閣に入場し、受付で続100名城のスタンプを頂く。
天守の最上階からは四方を見渡すことができるが、一番の眺めは八陣の庭を見下ろす北西側だ。向こう側に広がる平野の奥は大阪湾であり、じっくり眺めていたら関西空港を離発着する飛行機を見ることもできたかもしれない。 岸和田城天守から望む景色
岸和田城天守から望む景色
西側端から望む岸和田城
西側端から望む岸和田城
岸和田城探訪を終え、岸和田駅から南海本線で更に南へ向かう。
和泉山脈を越えて和歌山県入りし、紀ノ川を越えて終点の和歌山市駅に到着。徒歩で市堀川を渡り、駅から15分ほどで、小高い丘の上に和歌山城(100名城 No.62)が見えてきた(先程渡った市堀川はその名の通り、かつての和歌山城の外堀である)。 和歌山城北を流れる市堀川
和歌山城北を流れる市堀川
西側端から望む岸和田城
和歌山城西の丸から望む天守
和歌山城は織田信長と羽柴秀吉が行った紀州征伐で副将軍だった秀吉の弟・羽柴秀長が紀州平定後の紀伊・和泉を加増され、紀の川畔の「若山」と呼ばれた地(のち「和歌山」)にある虎伏山の山頂に、藤堂高虎らに普請させて1年で築いた城だ。江戸時代に入って天守や石垣が築かれ、1619年、徳川家康の十男・頼宣が入城した後は徳川御三家の1つ・紀州徳川家の居城となる。天守など11棟が明治の廃城令を生き残って国宝に指定されるが、第2次大戦の空襲で焼失し、現在のものは戦後に再建されたものだ。
和歌山での宿は和歌山城すぐ横のホテルに取ったが、最上階、しかも和歌山城側の部屋を割り当ててもらい、特等席から和歌山城を眺めることができた。 宿泊したホテルの窓から見えた和歌山城
宿泊したホテルの窓から見えた和歌山城
桜はまだちらほらだったが、折しも桜まつりが開催中で、宿の部屋から眼下に見える砂の丸広場は多くの屋台で賑わっていた。
ちょうどこの日の夕食をどうしようかと考えていたところだったが、この賑やかさに誘われて屋台街に足を向け、そこで買った焼きそばと唐揚を宿の部屋に持ち帰って夕食にした。
和歌山城公園は24時間開いているが、勿論天守等は既に開園時間を過ぎている。本格的な探訪は翌日に持ち越しだ。

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