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日本100名城

100名城探訪記

福島100名城(1)―白河小峰城、三春城

2023年8月24日

夏。
青春18きっぷの季節だ。
今年は5日分買って使い切るのは難しそうだったが、2日で福島あたりの城巡りをするのは可能だ(最初は新幹線を使っての日帰りを考えていたのだが、青春18きっぷで1泊する方が遥かに安上がりだった)。オークションサイトで出品されていた2日分の青春18きっぷを落札した私は、いざ、最寄りの川崎駅から北へと針路をとった。
宇都宮、黒磯、新白河と3度列車を乗り換え、10時54分、白河駅に到着。みちのくの出入り口である「白河の関」で有名な白河だが、もう一つ、白河駅のすぐ裏に目指す城があった。
白河小峰城(100名城 No.13)。
南北朝期に結城氏が築城したのが始まりで、安土桃山時代には蒲生家や上杉家が治め、江戸時代に初代白河藩主の丹羽長重により大改修が行われる。明治の戊辰戦争で城郭の大半を焼失し、20世紀末以降、三重櫓(天守に相当)などが再現された。 白河小峰城
白河小峰城
白河小峰城の堀
白河小峰城の堀
堀を渡り、清水門をくぐると、まず目の前に見えるのが高い石垣だ。その石垣に突き当たって右へ進むと、前御門、そして三重櫓が見えてくる。 白河小峰城
白河小峰城の(右から)三重櫓、前御門、石垣
三重櫓に入城して、白河小峰城の100名城のスタンプを頂く。
第2次大戦後に再建された天守・櫓は消防法の規定により鉄筋コンクリート造りで建てられることが多い中、白河小峰城の三重櫓と前御門は木造による再現を実現している。 白河小峰城三重櫓内部
白河小峰城三重櫓内部
白河小峰城の石垣
白河小峰城の石垣
桜之門跡から本丸広場を出て、本丸の裏手を歩いてみる。正面から見た石垣も大規模だったが、こちらの方がよりその大きさを実感できた。
この石垣、2011年の東日本大震災で崩壊し、本丸への立ち入りが一時禁止される事態となった。その後修復が行われ、2019年には今の姿に復旧が完了したという。
時間になったので白河駅に戻り、ホームで列車を待っていると、目の前に白河小峰城が一望できる。こうして見ると、その石垣の高さと縄張の広大さは歩いていた時に感じた以上のものがあった。 白河小峰城
白河駅から見る白河小峰城

JR東北本線で白河から郡山へ移動。ここで乗り換えだが、乗り継ぎ時間が比較的長かったので昼食休憩をとった後、磐越東線で三春へ向かう。
三春駅から次の城までは2km強の道程だが、駅内のばんとうプラザでレンタサイクルをやっていたので、これで往復することにした。
城まであと少しの三春町保健センターに到着したところで、自転車を下りて残りは徒歩で向かう。ここから延びていたのは「お城坂」と呼ばれる、シティサイクルで上るには少々厳しい急坂だったのだ。
この坂の先の山上にあるのが、三春城(続100名城 No.110)。室町中期に田村義顕が築き、豊臣秀吉の奥州仕置の後は伊達氏、上杉氏、蒲生氏、松下氏の支配下となり、江戸時代には秋田氏が幕末まで三春藩主として治めた城だ。
二の門の登城口から山道を登ると、10分足らずで石垣が見えてきた。この上にあるのが本丸となる。 三春城の石垣
三春城の石垣
三春城の本丸広場
三春城の本丸広場。東屋に続100名城スタンプがある
三春城の本丸は2段になっていて、広々とした下段の本丸広場(戦国時代には二の丸だったことから、柱標には『二の丸』と書かれている)には三階櫓や長屋が建てられていたという。南東端に建てられた東屋で続100名城のスタンプを頂く。 三春城の本丸上段に入る虎口
三春城の本丸上段に入る虎口
下段から少し坂を上ると、本丸上段に入る虎口に辿り着く。ここにはかつて、広間、台所、御座間、風呂屋があったとされる。 三春城本丸上段の大広間跡
三春城本丸上段の大広間跡
広い大広間跡の奥まで行ってみると、台座のような低い石垣があり、その一番奥には小さな石碑があり「秋田家祖先尊霊」と刻まれている。石垣・慰霊碑とも明治初期に造られたとのことだ。 「秋田家祖先尊霊」の碑が置かれた石垣
「秋田家祖先尊霊」の碑が置かれた石垣
明治戊辰役三春藩士烈士碑
明治戊辰役三春藩士烈士碑
更に石垣の傍らには「明治戊辰役三春藩士烈士碑」と刻まれた石碑が立っていた。
「戊辰役」というのは明治初期に新政府軍と旧幕府軍が争った戊辰戦争のこと。東北諸藩は奥羽列藩同盟を結んで旧幕府軍に与するが、新政府軍の兵力の前に敗戦を続ける。三春藩も奥羽列藩同盟に参加していたが、官軍の攻撃を受ける前に降伏して無血開城する。よって、この城で戦死した三春藩士はいないのだが、同盟本体に出向していた4人の藩士がいて、彼らは三春藩の離脱を受けて切腹を余儀なくされる。この碑は彼らを慰霊するために建てられたものだ。
無血開城した三春城だったが、その裏でこうした悲劇があったことは、歴史に、人々の記憶に残されていくべきものだろう。

三春駅から再び郡山へ。磐越西線に乗り換えて、会津若松に到着。この街にも言わずと知れた名城など2つの城跡があるのだが、この日は時間切れ。明日に回して会津若松駅前の宿で1泊する。

この日の城巡りでは、2つの重要ワードに接した。
「東日本大震災」
「戊辰戦争」
これらのワードには、明日も接することになる。

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