東北・西北海道100名城(9)―志苔館
2023年5月4日
木古内から道南いさりび鉄道で函館に戻る。この日で函館から羽田に戻り、旅は終わりになる予定だが、まだ時間は割と残っている。せっかくなので函館の元町あたりをぶらり散策。
旧函館区公会堂
函館ハリストス正教会
赤レンガ倉庫15時30分、函館駅からリムジンバスに乗り込み、15時50分、函館空港に到着。
このまま飛行機に乗って、今回の旅は終了。
――ではない。
実はもう一つ、ここを拠点に目指す場所があるのだった。
函館空港内のコインロッカーにボストンバッグを預け、再びバスを降りた場所に戻る。そこから右手に延びる道を歩き、突き当りを右に曲がり、空港駐機場を横目に見ながら南へ進む。空港の敷地(滑走路)に突き当たったところに、車1台がやっと通れそうな車道(でありながら一方通行ではない)と歩道の細いトンネルがある。そのトンネルを歩いて抜けると、出た先は海に近い空港反対側だ。トンネルを抜けた先の突き当りの道を左へ少し進むと右手に、海がもうすぐそこの平地に、明らかに人造のものである土塁のような構造物が盛り上がるようにして見える。それを目指して右に曲がるとすぐ、目的地に到着。空港から歩いて僅か20分の距離だった。
志苔館入り口の石碑と案内板
志苔館の土塁と空堀この構造物は、志苔館(続100名城 No.101)。中世に和人の領主である小林氏によって築かれた館の跡で、松前藩の歴史を記した「新羅之記録」に記述のある「道南十二館」の1つだ。同書には、1457年に起きた和人に対するアイヌの武装蜂起・コシャマインの戦いで陥落した、との記録が残っている。
石碑と案内板が立つ入り口から少し歩くと、空堀と土塁の間に抜かれた門があり、そこを抜けると土塁で囲まれた約4000平方mの広々とした主郭が広がっている。主郭の北側には建物跡が3つ並んでいて、往時の姿をしのばせる。
土塁の上から望む志苔館の主郭主郭の内部を散策した後、昨日訪れた五稜郭同様「この城は土塁の上を歩いて回るのが面白いな」と感じたので、土塁の上に上がってみる。
土塁の上からは、まず主郭の内部を俯瞰することができ、同じ目線の高さで歩いただけでもあれこれ巡らせることができた建物跡に対する想像力が一層かき立てられる。
そして、海が見える景色がいい。一昨日の夜に函館の夜景を見に上り、そして先程まで麓を散策していた函館山も海の向こうによく見える。この城が函館の海に対して睨みを利かせる拠点であったことが一目で分かる光景だ。
ただ、この時の天気が、海からの強烈な風(体感的に風速20m越え)。足場の狭い土塁の上に居ることに時折身の危険を感じる程だった。
志苔館のあずまや主郭を出て、西側の一段下がった場所にあるあずまやへ。このあずまやの片隅に設置されたポストが、志苔館の続100名城スタンプの置き場所だ。今回の旅最後のスタンプをここで頂く。
もう見落としている場所は無いか?と、出口近くの案内板を見ると、土塁の外側に「散策路」が設けれていることが分かった。ここはまだ巡っていない。時間はまだ十分あることだし、歩いてみよう。
散策路を歩きつつ、先程内側から見て、その上を歩いた土塁を、今度は外側から見る――即ち、攻める側=アイヌ陣営の目線でこの土塁を見る形になる。
土塁は急峻で高く、攻めるに堅そうだ。よじ登るのに手間取っている間に上から守備側の攻撃を受けてしまう図式が容易に想像できる。コシャマインの戦いでこの城を陥落させたアイヌ人は、一体どうやって落としたというのだろうか?
志苔館の土塁の外側を巡る散策路外周を回った後、時間が許す限り飽きる程までという気持ちで、もう一度土塁を歩いて回り、満足したところで、来た道を辿って函館空港に戻る。
今度こそ、これで今回の城巡りの旅は終了。羽田行きの航空機に身を委ねて帰路に就く。
※
今回の旅で、東北・北海道の100名城を6城、続100名城をやはり6城、攻城することができた。
しかし実は、今回の旅ではコースから外れすぎていて攻城を見送った100名城が、北海道にはまだ1つ残っていたのだった。
その城は北海道の最果ての地にあり、100名城の中でも特に攻城が困難だといわれる城なのである。
その残り1つを攻める日は、いつ来るだろうか?
――とその時は思っていたのだが、その日は思いの外、早く来ることになるのだった。
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