2022年10月10日
出石城を訪れた後、まずバスでコウノトリの里として有名な豊岡へ。かなり日本海に近づき、兵庫県縦断も間近だったが、ここで再び南へと針路を変える。
JR山陰線の特急こうのとりで、一旦京都府に入り、福知山へ。ここには続100名城No.158・福知山城があるが、福知山城は2019年に訪れたことがあるので今回は素通り。そのままJR福知山線に乗り継いで次に向かう。
再び兵庫県に入り、下車したのは、丹波市の黒井駅。ここにあるのは黒井城(続日本100名城 No.163)(別名保月城、保築城)だ。駅にはコインロッカーが無かったので、続100名城スタンプが置かれている春日住民センターに大きな荷物を置かせてもらい(『預けてもらい』ではなく、ただ単に置くだけ)、いざ城跡へと向かう。
城山。この山頂に黒井城跡がある黒井城は城山(標高356m)の山頂に築かれた山城だ。14世紀前半に赤松貞範によって築城され、戦国時代には赤松直正と明智光秀(先程素通りした福知山城の城主)が攻防戦を繰り広げ、光秀が攻め落とした歴史を持つ。
山城なので当然山登りになる。低い山とはいえ結構急峻だ。「ゆるやかコース」と「健脚コース」があり、登りはゆるやかコースを歩いたが、それでもかなりの急勾配である。しかも、入ってすぐの地点と、山頂手前の地点の2箇所に、熊よけの扉がある。少し緊張感を持って山道を進んだ。
20分ほどで山頂に到着。まずは東曲輪跡の石垣が出迎える。
黒井城東曲輪跡
黒井城三の丸跡更に三の丸、二の丸と突き進む。この山を麓から見ると山頂がテーブルのように平らになっているのが印象的なのだが、歩いてみると実に、小山の上の城にしては広い敷地面積になっている。
黒井城本丸そして本丸に到着。360度見渡せる眺望が見事だ。ここから赤松直正が明智光秀を迎えたのかと、想像力がかき立てられる。
一番奥には「保月城跡」の石碑が、山頂の城跡全体と城下を見渡すようにたたずんでいた。
黒井城本丸の「保月城跡」石碑帰りは「健脚コース」を歩いて急いで下山。荷物をピックアップして再びJR福知山線に乗り込んで南へ。
16時、篠山口駅に到着。次の城は16時30分で入場が終わる。大事を取ってタクシーを利用したが、10分ほどで入場口前に到着することができた。
この地の名城は、篠山城(日本100名城 No.57)。関ヶ原の戦いの後の江戸時代初期、豊臣氏や西国の外様大名に対する備えに、徳川家康が池田輝政や藤堂高虎らに築かせた城だ。東南隅に天守台はあるものの、余りに強固に出来すぎたために不要ということになり、天守閣は築かれなかったという(諸説あり)。
篠山城大書院天守閣の代わりに篠山城を象徴するのが大書院(復元)。一層建てながら三角屋根が印象的な堂々としたその姿は、どこか京都の二条城を思わせる。
篠山城大書院内部
篠山城の石垣と堀大書院内部の参観と城跡巡りを終えて再び城外に出る。あらためて石垣や堀に注目してみると、先述した「強固すぎて天守閣が建てられなかった」というエピソードがさもありなんと思えてくる。
本日の城巡りはこれで終了。篠山口駅から福知山線で一気に尼崎まで出て、東海道・山陽本線に乗り継いで3日間巡ってきた兵庫県に別れを告げて、大阪府に入る。
この日は、高槻で一泊。次の日も朝一番で城巡りだ。
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