高取城
たかとりじょう
日本100名城 No.61
- 場所
- 奈良県高市郡高取町高取(地図)
- 築城時期
- 鎌倉時代末期(1332年)
- 築城主
- 越智邦澄
- 主な城主
- 越智氏、筒井氏、本多氏、小出氏、植村氏
- 分類
- 連郭式山城(比高390m)
- 遺構
- 石垣、堀、井戸など
- 概要
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標高584mの高取山の頂に築かれた山城。岡山の備中松山城、岐阜の美濃岩村城に並ぶ日本三大山城の一つに数えられ、麓から本丸までの高低差(比高)は390mと日本一である。
南北朝時代、南朝方の越智邦澄が築城したのが始まり。戦国時代、証如軍(一向一揆衆)に攻められるが筒井軍に破られる。織田信長により大和国内の城が大和郡山城一城と定められたため一旦廃城となるが、信長の死後、筒井順慶により郡山城の詰城として再建が始まる。1585年、筒井氏が伊賀国上野に転封され、羽柴秀長の配下となった後は本多利久が城主となり、近世的城郭へと整備・拡張が行われ、天守も築かれる。関ヶ原の戦い前に石田三成に攻められるが強固な要害に守られる。江戸時代に本多氏が絶えた後は小出氏、植村氏が城主となる。
明治の廃城令の後、殆どの建物は失われたが、人里離れているために石垣などの遺構はほぼ完全な状態をとどめた。
1953年、国の史跡に指定される。
芙蓉城、鷹取城、高取山城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - 近鉄吉野線壺阪山駅から夢創館、高取城黒門跡を経て本丸まで徒歩2時間。
壺阪山駅から奈良交通20系統バスで壷阪寺前下車、五百羅漢を経て徒歩1時間。
往復で両方のルートを周回することを推奨。
- 100名城スタンプ
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夢創館(地図)
- 探訪記の該当部分
- 関西中部100名城(2)―高取城ほか・1、関西中部100名城(3)―高取城ほか・2
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