関西中部100名城(2)―高取城ほか・1
2024年3月29日
11時10分、飛鳥駅から近鉄吉野線で1つ南の壺阪山駅へ。
次に向かう城は、高取城(100名城 No.61)。岡山の備中松山城、岐阜の美濃岩村城に並ぶ日本三大山城の一つに数えられる、標高584mの高取山の山頂に築かれた山城だ。麓から本丸までの高低差(比高)は390mと日本一である。戦国時代、織田信長の死後に筒井順慶によって郡山城の詰城として再建が開始され、筒井氏が伊賀国上野に転封された後は本多利久が城主となり、近世的城郭へと整備・拡張が行われた。
壺阪山駅からの行き方は2つある。
- 夢創館(100名城スタンプ設置場所)、土佐街道、上子島砂防公園、高取城黒門跡(この先山道)、猿石などを経て本丸まで2時間程ひたすら歩くルート
- 壷阪寺までバスで行って五百羅漢ハイキングコース経由で本丸まで1時間程歩く(途中まで自動車で行くこともできる)ルート
どちらも見どころがあるので行き帰りで両方辿るべきルートだが、今回はスケジュールを組んでいて、ちょうど往路で壺阪山駅から壷阪寺まで行くバスに乗り継ぐことができるタイミングになったので、 2. で上って 1. で下ることにした。
11時30分、壺阪山駅からのバスで壷阪寺に到着。せっかくなので大仏(大釈迦如来石像)と大勢のお雛様が並べられた「天段の雛」だけ拝んでいく。
壷阪寺の天竺渡来 大釈迦如来石像
壷阪寺の天竺渡来大観音石像11時40分、巨大な観音様(天竺渡来大観音石像)に見守られて壷阪寺を出発。上りの舗装道路を7分ほど歩いたところで登山道入り口に到着。ここから本格的な山歩きだ。
高取城への登山道入り口
岩肌に彫られた五百羅漢このハイキングコースの途中には、コースの名前にも冠されている五百羅漢という石仏群がある。山道を歩き始めて5分ほどで真新しい仏像がずらりと並んでいるが、こちらは近年になって設置されたものだ。江戸時代初期頃に造られたという本物はもう5分ほど奥に歩いた場所にあり、岩肌に仏様が幾つも刻まれているのを見ることができる。
五百羅漢から15分ほど山道を登ると、「史蹟 高取城址」と書かれた石碑に行き着いた。そろそろ、城域に差し掛かってきたようだ。
「史蹟 高取城址」の石碑
高取城縄張への入り口登山口から山道を歩くこと26分、高取城の案内板などが設置された舗装道路に出た(自動車でここまでアクセス・駐車可能)。数m歩くとまたすぐに山道が延びており、これが城の入り口である壺阪口門へと向かう道だ。
高取城の石垣
再び山道を歩きだすとすぐに、最初の石垣が見えてきた。
[いよいよ城だ...]
否が応でも高揚感がわき上がってくる。
高取城壺阪口門跡
高取城大手門跡最初の門である壺阪口門をくぐると急な木段があり、更に上へと登らされる。その後も壺阪口中門、大手門、十三間多門と、石垣で造られた幾つもの門があって守りを固めている。
そして二の丸に入る。行く先には太鼓櫓跡の立派な石垣が来る者を出迎えてくれる。
高取城太鼓櫓跡の石垣その石垣に開けられた十五間多門をくぐって石垣の上に出ると、そこは本丸下郭だ。そして左側に目を向けると、一際立派な石垣が見えた。天守台下の高石垣である。
「高取城」と刻まれた小さな石碑を脇に従え、高さは10mにもなろうか。苔むしてはいるが保存状態は当時のままと思われるほど良く、圧倒的な存在感を放っている。
高取城天守台下の高石垣先にも書いたように、高取城は麓から本丸までの高低差が390mもある。このような地に、このように立派な曲輪群を構える敷地を確保し、建材を運んでここまで立派な建造物を築くということは並大抵ではない。相当の苦労があったに違いない。
そしてこの390mという比高は、城の石垣が極めて良好な状態で残されていることに寄与していた。普通なら明治の廃城令で解体されていたところを、この高低差では解体工事を行うのもままならないということで生き残った、とのことだという。
「本丸」の案内札を持つ熊の像と高取城本丸の石垣石垣の脇に回り込むと、ユーモラスで可愛らしい木彫りの熊が「本丸→」と書かれた木札を掲げてたたずんでいる。
その矢印が指す方向の通路を歩いた先が、いよいよ高取城の本丸跡、そして天守台跡だ。
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