大和郡山城
やまとこおりやまじょう
続日本100名城 No.165
- 場所
- 奈良県大和郡山市城内町(地図)
- 築城時期
- 鎌倉時代(1162年)、安土・桃山時代(1580年)
- 築城主
- 郡山衆、筒井順慶
- 主な城主
- 筒井氏、豊臣氏、水野氏、本多氏、柳沢氏
- 分類
- 輪郭式平山城
- 遺構
- 石垣、天守台、堀
- 概要
-
鎌倉時代の1162年に郡山衆が雁陣之城を築いたというのが最も古い記録として残る。戦国時代には織田信長に臣従した筒井順慶軍の拠点となり、1580年に信長から大和国では一城のみとする破城令が発せられたことから、順慶は従来の本城だった筒井城から郡山城に拠点を移して改修を行い、1583年には天守も完成する(現存・復元せず)。順慶の死後は豊臣秀吉の弟・秀長が城主となって再び改修を行い、その後五奉行の一人・増田長盛が城主となった時代には外堀普請が行われ、惣構えによる城郭都市へと発展する。関ヶ原の戦いで西軍について敗れた長盛が高野山に追放されると、郡山城の建築物は殆ど徳川家康により伏見城に移築され、天守は二条城に移され、一時廃城となる。江戸時代、水野勝成が入封した後に徳川幕府により建造物を取り戻すなどして改修され、以後水野氏、本多氏、柳沢氏が城主を務める。
明治に入り廃城となるが、内堀や石垣が良好に残り、第2次大戦後、追手門(梅林門)、追手東隅櫓、多聞櫓、追手向櫓、極楽橋が復元され、天守台が修復される。1960年、本丸・毘沙門郭・法院郭・陣甫郭・玄武郭などが奈良県指定文化財に指定され、2022年、国の史跡に指定される。
- 公共交通機関による
アクセス - 近鉄橿原線郡山駅から徒歩10分。
JR郡山駅から徒歩17分。
- 100名城スタンプ
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柳澤文庫(地図)
- 探訪記の該当部分
- 関西中部100名城(1)―大和郡山城ほか
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