私が参加している「100人100旅」のメンバーが「青」をテーマに作品を持ち寄って、「青の写真展」を開催しています。
期日と場所は以下の通りです。
2015年4月:東京新宿区新宿2-5-9(終了)
TULLY’S COFFE(タリーズコーヒー)新宿二丁目店2階禁煙席ギャラリー
2015年5月:エスニックレストラン ショートトリップ(横浜中華街)(終了)
2015年9月 名古屋市星が丘駅ギャラリー(終了)
2016年2月 エミフルMASAKIギャラリー(終了)
GWの旅行は、インド・デリーを経由してスリランカへ、ということに決まった。
インドは最終日に半日ほどデリーの街中に出るだけなのだが、それでもビザは必要。初めはトランジット(通過)ビザも考えていたのだが、有効期限が申請日から15日と、9日間の日程でデリーを出入りする私にとっては微妙で余りにギリギリすぎる。ということで、ちょっと勿体無い気はするが、どっちにせよ行きと帰りで計2回インドを出入国する必要があるので、ここは普通に6か月間有効のマルチツーリストビザを取ることにした。
さて、インドビザ申請センターは土曜午前もやっている。行くのは1か月先なのでちょっと早いが、何のアクシデントがあるか分からない。次週の土曜午前が一番いいタイミングなのだが生憎別件の用事があるので、先日オンラインで作成した申請書を持参して、4/4のうちに申請することにした。
申請場所は、東京・茗荷谷のインドビザ申請センター。最寄りの川崎駅から東海道線で東京駅まで出て、そこから地下鉄丸ノ内線で茗荷谷に行く。窓口開始時間の9時より前に着くことができたが…
インドビザ申請センターは4月1日に
下記住所に移転しました。
東京都港区芝3-40-4 三田シティプラザ1階
おいおい、三田(田町)ならここまで来る途中に通った定期券で行ける範囲内だぞ。わざわざ茗荷谷くんだりまで来る必要なかったじゃないか!
そして張り紙には、
詳しくはホームページでご確認下さい。
www.indiavisajapan.com/
と書かれているが、多くの人は
http://www.indianvisaatjapan.co.jp/
こっちを見るのではないか。こっちには移転のことも新住所のことも書かれてない。また、張り紙にあったリンク先を見ても、確かに新住所は書いてあったが、「移転しました」というアラートは一切書かれていない。
一瞬、質の悪いエープリルフールかとも思ったが、どうやら本当らしい。ビザを申請する前からインドのいい加減さに振り回されてしまった。
丸ノ内線と三田線を乗り継いで三田まで引き返し、今度こそJR田町駅の西側にあるインドビザ申請センターに着くことができた。しかし、窓口開始時間の9時を過ぎているというのに、
本日の受付は終了しました
の札。おいおい…
しかし、中から申請者と思われる日本人が出てきたので訪ねてみると、どうやら受け付けているらしいので、中に入ってみた。ところが今度は、商用ビザの窓口は開いているが観光ビザの窓口が開いていない。暫く椅子に座って観光ビザの窓口が開くのを待っていたら、別の観光ビザ申請者とおぼしき日本人が商用ビザの窓口に申請書を提出していたのでその後ろに並んでみたら、観光ビザの申請書をあっさりと提出することができた。
[本当、インドは役所仕事もアバウトだな…]
そう思い始めていたが、ここから先が緻密だった。
暫くして名前を呼ばれたので窓口に行ってみると
「パスポートの発行場所が東京になっていますけど、神奈川ですね」
「前回使用したインドビザの種類がTOURIST VISA TRANSFERになっていますけど、TOURIST VISAの間違いですね」
「職業がENGINEERとなっていますが、職位の部分が空欄ですね。どのようなエンジニアですか?――Webのエンジニアですか。ではここにIT ENGINEERと記入して下さい」
そして、
「印刷が切れていますね。1ページ目の下にあるバーコードの下にあなたの名前があるはずなのですが、印刷されていません」
と、数々のダメ出しを受けて却下。今日中に申請を済ませたかったので、インターネットカフェで申請書を作りなおすことにした。ところが、田町駅周辺で探してみたところ、意外に見つからない。ようやくJR田町駅東口側に1軒、ゲラゲラ田町店を見つけることができた。
前回の申請書作成では「振り出しに戻る」を2度も食らって2時間かかってしまったが、今回は突き返された申請書がある上に修正ポイントまで書いてもらっていたので、ものの30分で記入完了した。今度は切れないように倍率を指定してプリントアウトする。1ページ目下のバーコードを見てみると、確かに、仁丹よりも小さな文字で私の名前が書かれていた。
午前の申請時間内に申請センターに戻って再提出。暫く座って待っていたが、私同様にダメ出しを受けて作り直しを命じられる人が結構いる。中には、
「明日ビザを受け取ることはできますか? あさっての飛行機に乗るのですが…」
という人が。おいおい、申請センターのサイトを見ていないのか? 確かに、2011年の頃は翌日には発行してくれていたが、今では最低4営業日は必要になってしまっているぞ。
暫くして、名前を呼ばれた。今度は大丈夫だったようで、申請料金1890円を支払い、受取証が発行された。
えらい遠回りをさせられたが、どうにか申請完了。移転で一気に私の職場から近くになったので、休憩時間を昼すぎに充てて受け取りに来ることにしよう。
※<追記>
大阪の申請センターも下記の場所に移転したとのことです。
大阪市中央区淡路町1-2-10 RRビル6階
GWの旅先(メインではないと思われるが)に決まったインドのビザの申請用紙を自らオンラインで記入してみた。
インドのビザオンライン申請のサイトはこちら。
https://www.india-visa-online.org/ja/visa/
過去10年に行った国だの前のインド行きの宿泊先やその時のビザ番号、過去3年に南アジアの国(ネパール、パキスタン、バングラデシュ、スリランカなど)に行ったかどうか(私は2012年にネパールに行ったのでそれについて記入)、父母の情報(他界していても必要。ちなみに私は父と死別している)など、とにかく記入項目が多い上に、
「振り出しに戻る」
を2度も食らってしまった。実に2時間の悪戦苦闘で、ようやく記入完了…
とにかく面倒くさかった~。本当、行く前から面倒くさい国だな。
しかしこの後、東京・茗荷谷のビザ申請センターに行って申請するという「面倒」が更に待っているのだった。
JALマイルが38000に到達した。
これだけあれば、繁忙期でも東南アジアやインドに行くことができる。
今年の秋には期限が来る。5月か9月の大型連休に利用するか、と思ってJALの空席照会をチェックしてみたが、みんなが旅行に行きたがる時期なのでさすがに残り座席は少ない。
しかし、そんな中、3日有給休暇を申請するだけで9日間休める4月28日発・5月7日早朝帰着というなかなかの組み合わせで空席が見つかった。しかも帰りの便は残り1座席というギリギリのタイミングで…
という訳で、今年のGWの、取りあえずの行き先は決まった。
インドのデリーだ。
なぜ「取りあえず」の行き先なのか…
それは、デリーに到着してからどこに行くかがまだ決まっていないのだ。
今のところ考えている候補は、
・ラジャスターン
・ラダック(2度目)
・ダラムサラ(3度目)とマナーリー
・スリランカ
スリランカだけはインドではなく、デリーから更に別に国際線のチケットを買って行かなければならないのだが、今一番行ってみたいのはスリランカだったりする。
しかし、スリランカの4月、5月はもろ雨季らしい…。
どうしようかな。
さて、平等院を参観し終わったところで、あとは神奈川への帰途に就くばかりだ。
京都駅を14時に出発する新快速に乗れれば理想的だが、どうやら余裕を持って間に合いそう――
だったはずなのだが、宇治駅に着くと列車遅延のアナウンス
遅延の理由は・・・
無謀横断で安全確認のため…
ふ ざ け る な
自然現象やら急病人救助とかなら諦めもつくが、どこの馬鹿だか知らないが、たった1人のエゴのために何でこんなに大勢の無関係な人たちが巻き込まれなければならないのだ?
増してや、JR奈良線は基本、単線。片方が遅れればもう片方も線路が使えなくなるので遅れてしまう。
そんな訳で、京都駅に到着したのは14時を数分過ぎた後だった。たったそれだけの遅れで目当ての列車に乗れなかったか…
と思いきや、
今度は雪の影響で、その新快速が20分遅れになっているという。
上にも書いたように、自然現象には文句は言えない。暫く待っているとその新快速がやって来たが、京都駅を発車したのは結局14時28分――次の14時30分の新快速に乗ったも同然だ。
米原で乗り換えた次の列車も、遅れた列車の乗り継ぎ客をさばくために出発が遅れてしまう。
天下分け目の関ヶ原も完全に雪に埋もれていた。
結局、この列車に乗っていれば間に合うはずだった大垣からの快速には乗れず、次の16:26発の快速に乗ることになった。
しかし、そこは時刻表とにらめっこして最適な乗り継ぎをアナログに検索。どうやらこの日のうちに川崎まで到着できそうだ。
その後は
18:03 豊橋
18:38 浜松
20:03 静岡
21:25 熱海
21:25 小田原
と乗り継いでいく。ここまでくるともう雪の影響も無い。
そして、22:45
川崎着。
これにて、青春18きっぷ旅終了。
列車に乗っている時間の方が長かったものの、4日間で石川、滋賀、大阪、和歌山、奈良、京都の6県を心の底から楽しむことができた。
思えば、自分にとっての旅の原点は学生時代の青春18きっぷの旅だった。この年になってあの頃と同じような体力勝負の旅ができるか、出発するまでは正直不安だったのだが、まだまだできそうだということが証明できた。
今年は「原点回帰」ということが私にとってキーワードの1つになりそう。
今年もいい旅しましょう!
奈良の朝7時。
元日は過ぎたとはいえまだ正月2日。奈良で一番のお寺は込むだろうと考えて、早めに行動を起こした。
近鉄奈良駅近くのゲストハウスからぶらぶらと歩いて、まずお目にかかったのが・・・
奈良公園の住人。
ハイ、またしてもまずは、ゆるキャラから入らせて頂きました。
そこから歩いてすぐの場所にある、奈良で一番のお寺といえば、言うまでもなく、
東大寺。
込むだろうと思って気合を入れて出向いたのだが、元日を過ぎると驚くほど人出は少なかった。
二月堂(上の写真)や三月堂も訪れたが、中でも一番の目当ては、勿論、
小学校の修学旅行以来の、大仏様。
チベットで仏教にインパクトを受けて以来、チベットやラダックを中心に幾多の仏像を見てきたが、あちらの金ピカ仏様もいいけれど、やはり日本人の心にはこうした青銅の方がしっくりとくる。
そして、動物たちへの慈悲の心もまた仏道と、東大寺の南大門外で鹿せんべいを鹿たちに振る舞う。
「ちょ~だい♪」
と集まってくる鹿たちは一見かわいいですが、中にはギャングみたいな奴もいて、私のダウンの裾にかみついて引っ張ってくる。引きちぎられはしなかったものの、ダウンは鹿のよだれまみれ。
ビシッ!
次の瞬間、私のビンタがその鹿のおでこを直撃。
「お前にはやらん!」
オイオイ、慈悲の心と仏道はどこへ行った?
*
青春18きっぷはあと1回分だけ。この日で神奈川に帰らなければならない。
とはいえ、奈良からの帰りは京都にも立ち寄るコースになる。せっかくだからJRでの交通の便がいい中でまだ行ったことない、東寺(京都駅から近い)あたりに立ち寄りたい。そのあたりも考慮して、この時間なら余裕をもって帰れるだろうという電車に間に合わせるように東大寺参詣を終えて、JR奈良駅へ。
ところが、奈良からJR奈良線で京都へ向かう途中、ある場所での車内アナウンスが私の心を動かした。
「次は、宇治、宇治~」
――そうだ。
JR駅から近い名所の中で、東寺よりもっと訪れてみたい場所があるではないか!
ということで、殆ど衝動的に宇治駅で途中下車。
宇治といえば行き先はあそこしかないだろう。
10円玉の模様にもなっている、平安時代の浄土信仰のシンボル・平等院だ。2012年から修復工事が行われていたが、約4か月前の2014年9月にそれが完了して全ての覆いが撤去されたのである。このタイミングで宇治を通りかかったのはもはや仏様のお導きとしか言いようがない。
導かれて中へ入ると、(両側の橋は除いて)これほどまでに見事なシンメトリー(左右対称)はタージ・マハル以外にないのではないかというくらい綺麗に均整のとれた左右対称の外観の鳳凰堂が、池にその姿を映しながらたたずんでいる。その名の由来となった屋根の上の鳳凰の像や、修復されて以前よりも鮮やかになったのであろう朱塗りの柱や壁が美しい。積雪で屋根瓦の色を見ることはできなかったが、これはこれで風情がある。
内部の参観には別料金が必要だが、それ以上に(正月だからか)参観希望者が多くて待ち時間が1時間以上になる。しかし、その間に外からお寺を見たりミュージアムをじっくり参観したりすれば時間は潰せるので、時間に余裕があればぜひ見ておきたい。私は帰りの電車の時間がやや気になったが、時刻表とにらめっこしたところ、まだ最終電車には十分間に合いそうだったので参観することにした。
案内された中央の部屋には、先ほどの東大寺大仏とは対照的に、木像に金箔を貼って造られた金色の阿弥陀如来像が座している。その周囲の壁にはその様式が9段階に分かれているという来迎図(仏様たちが死者をお迎えに来る様子を描いた絵)が、(1000年の時を経てかなりかすれてはいるが)描かれていて、当時の浄土信仰の様子を窺い知ることができる。
東大寺の大仏は三脚さえ使わなければ間近での撮影もOKだったが、ここは普通に撮影禁止だった。しかし、正面から鳳凰堂を見ると、中央部の入り口上に丸い覗き窓があって、外からでも阿弥陀様のご尊顔を捉えることができる仕組みになっている。(下の写真参照。写真をクリックすれば拡大できる)
この2日間で和歌山、奈良、京都のそれぞれ代表的な古刹で仏様のご利益を体いっぱいに受けてきた。これでこの1年、無事息災に過ごせますように。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
2015年元旦
という訳で、今年の初日の出は大阪城にて。
初日の出をカメラに収めたらすぐに移動。阪和線で和歌山へ。小学生時代の大部分を過ごした街だが、今回は懐かしの場所ではなく、当時は無かった新名所へ向かった。
和歌山駅でJRから和歌山電鐵貴志川線に乗り換え。
※この電車に乗った訳ではないのだが、この路線を象徴する車体なのでこの写真を選択した。
目当ては終点の貴志駅に――と思っていたのだが、この日はそちらではなく終点手前の伊太祈曽駅となった。
そこで詣でたのが・・・
三毛猫のニタマ駅長。
――ハイ。
前日に続いてまた、本命の前に癒し系詣でです(笑)。
この日の本命は、もう少し東。和歌山から再びJRに乗り換えて、和歌山線でまず橋本へ。そこから南海線とケーブルカーを乗り継いで・・・
今年が開創1200年という、伝統の仏教聖山・高野山へ。
橋本駅で買った高野山バス乗り放題のチケットも駆使して、
そして、高野山のお寺の中でも一番奥にある、その名も奥の院まで歩き、至る所で仏様と弘法大師のスピリットを浴びる。
しかし・・・雪がどんどん勢いを増してきた。
山を下りれば少しは収まるかと思いつつ下山したが、下界でも雪の状況は一向に変わらない。
雪が降り、風が吹きすさぶ中、JR在来線を乗り継いでこの日の最終目的地を目指すが、列車が駅で停車するたびに冷気が車内に入ってくるし、旧式の列車にはすきま風も吹き込んでくる。
気温が低下する中、携帯電話(スマートフォン)のバッテリーの目減りが早くなってきた。乾電池があれば充電できるのでどこかで買いたかったのだが、橋本駅から先、KIOSKも軒並み正月休みだし、駅の近くにコンビニの1つも無い。
「不便だな」と初めのうちは思っていたが、そうではない。365日24時間営業のコンビニが数百メートルおきにある都会の方が普通ではないのだ。
ローカル線の旅を久しくやらないうちに、私もいつしか「都会ボケ」をしていたようだ。
この日の最終目的地である奈良に到着。ようやく駅の外にコンビニを見つけて携帯を充電することができた。
宿は高天ゲストハウス。これもまた久々となるドミトリーだ。
ローカル線にゲストハウス――今年の私のテーマの1つに「原点に返る」ということが挙げられるかもしれない。
青春18きっぷの旅2日目。この日の最終目的地は、
大阪。
2014年の大晦日をここで過ごすことを軸に、今回の旅の計画は始まった。そして今宵、今回の旅で最大のイベントが行われる
大阪城のカウントダウンイベントだ。
この時期、大阪城では3Dマッピングスーパーイルミネーションというのをやっていて、西の丸庭園が鮮やかな電飾で彩られている。
しかも、ただ単に普通の光で照らすばかりではない。大阪城をスクリーンにして、その名の通り3Dの映像を上映する。時には大阪城を龍が舞い、時には大阪城がいびつに歪む。
見応えのある、素晴らしい演出だったが、私がここに来たお目当てはそこではない。ストリートの時代から応援しているミュージシャンがゲスト出演していたのだ。
5年前に渋谷の路上で彼女を初めて知った時から「この子はストリートじゃ終わらない」と直感してましたが、まさかこんなビッグイベントに呼ばれるまでになるとは…驚くべき飛躍。
私は、今年は雌伏の年になってしまったので、来年はそこまで大げさでなくていいから飛躍の年にしたい。
※ライブの間は撮影禁止だったので画像なし
森恵のライブが終わった後も、カウントダウンまで付き合う。
実は、カウントダウンイベントというものに参加するのは初めてだったので、これも楽しみにしていたのだ。
5、4、3、2、1・・・
と、大阪城にカウントダウンの数字が表示される。
そして・・・
0!!!
さあ、2015年だ。気持ちを新たに、またスタートだ。
金沢で朝を迎える。
石川県には、来たことはあるものの肝心の金沢はスルーしてしまっていた。
この旅に出る前に、鉄道マニア(乗り鉄)の知人に青春18きっぷの使い道について話を聞いたところ、
「西を目指すなら、東海道線じゃつまらないから、日本海経由で金沢とか立ち寄れば?」
とのお言葉をいただいた。
[そうか、今こそ金沢を目指す時だ!]
という訳で、ベタではあるが、この日は朝から金沢街巡り。(名所に行きやすいよう、宿は香林坊に選んでいた)
まず、
金沢城
さすがは前田加賀百万石。復元とはいえ、想像していた以上に立派なお城だった。
しかし、ここで突然の雨。
――いや、
氷の粒になったぞ。
あられだ。
あられになったのは一瞬だけだったが、その後も雨は続いた。どうやら金沢は「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるくらい雨が多い土地柄らしい。
そして、金沢と言えばやはり
兼六園。
この日はいい具合に、入場料無料だった。
数日前に旅友が「雪つり綺麗だった」とFacebookに書いていたので期待していたのだが、松の木に張られた綱に、雪はひとかけらも貼り付いていない――この雨が雪に変わらないのだから、やはりこれでも暖かいのだろう。
とはいえ、兼六園は雨でも、いや雨だからこそなのかもしれないが、古式ゆかしい風情に満ちている。日本人の心の源泉とでもいうのか、そこには「侘びさび」の精神が具現化されているようにも思われる、心洗われる落ち着きがあった。
一回りしているうちに、雨はやみ、晴れ間も顔を見せるようになった。
先程までは「雨だからこそ風情がある」とか思っていたが、やはり太陽を求めるのが人間の本能なのか、陽の光が降り注いで明るく映える兼六園もやはり美しく感じられる。
そうこうしているうちに、出発を想定していた時間(10時)が近づいてきた。この電車を逃すと1時間待たなければならないので駅までのバスが渋滞に巻き込まれでもしないかとちょっとハラハラしたが、割と余裕をもって乗ることができた。
再び青春18きっぷで、鈍行の旅。
福井
敦賀
で電車を乗り継ぐ。敦賀からの新快速にそのまま乗っていけば、湖西線経由でこの日の最終目的地に最速で到着できるが、その間にも行きたい場所はある。せっかくの乗り降り自由な青春18きっぷなのだから、最速で行ってしまっては勿体無い。
そして、その行きたい場所は湖西線ではなく北陸本線・東海道線の沿線だ。私は敦賀で乗った列車を僅か2つ目の近江塩津で下り、湖東回りの新快速に乗り換えた。
50分後、私が下り立ったのは、彦根。井伊家の下で栄えた城下町だ。
――じゃない。ひこにゃんにお目にかかれたのも嬉しいが、もっと大切なものがある。
言うまでもなく、
彦根城。復元されつつある天守閣の無い金沢城に対し、こちらは江戸時代の天守閣が現存する国宝の城だ。
規模は小さいながら重厚ないでたちで、存在感は抜群だ。
天守からは琵琶湖を見下ろすことができる。この風景を見ていると、同じく琵琶湖沿岸に安土城を築いた織田信長が琵琶湖を見下ろしながら天下を目指した気持ちが少し分かるような気もした。
彦根城で予定よりも若干長い時間を過ごしてしまったが、ここまで来たら列車の便数も多い。彦根から新快速で一気に、この日の目的地へ向かった。
2014年の年末年始は、早々に海外を断念して国内で過ごすことが決まっていた。
ちょうど大阪に行きたい用事ができたので、せっかく行くのだったら鈍行列車の旅をしよう!ということで…
久々に青春18きっぷと紙の時刻表を手に旅立ち!
地元・神奈川県川崎から、まずは東海道線と京浜東北線を乗り継いで、
群馬県高崎へ。ここで上越線に乗り換え。
水上で電車を乗り換え、六日町駅で人生初の新潟県上陸。ここで、
北越急行(ほくほく線)に乗り換え。この路線はJRではないので青春18きっぷは使えず別料金になるが、直江津までの時間を1時間短縮できる。何よりシートの座り心地がJR在来線より遥かにいい。
再びJRに戻り、北陸線を西へ。
ここらへんで本日の宿泊地を確定し、ネット(スマホ)で予約しようとしたのだが、この路線、やたらとトンネルが多く、その度にネットワークが切断されて宿の検索もままならない。
すいぶん前に天橋立を見に行って以来、久々の日本海(日本海沿岸にはその間にも何度か行っているのだが、海にはお目にかかっていなかった)。しかしこの日の日本海は荒天でかなり機嫌が悪そうだった。
富山駅着。
富山は私が生まれ、幼少期を過ごした場所なのだが、今回はパス。
またいつかじっくりと訪れます!
そして、本日の鉄道旅は、
石川県・金沢で打ち止め。
石川県には来たことがあるが、金沢は初めて。翌朝名所を巡るのに便利なように、中心街の香林坊に宿をとる。
そして夜は、近所の料理屋で、今回の旅一番の贅沢(←既に確定)。
加賀野菜の天ぷら。
結構な値段になったが、青春18きっぷで電車代をかなり浮かせたので、まあ1回ぐらいいいことにしよう。
初日の電車旅は、
7時50分発
で、
18時16分着。
しめて10時間半。
走行距離478.8km。
しかも寄り道なし。
久々の鈍行長距離旅だというのに結構な距離になったが、意外に体へのダメージは少ない。
明日はもうちょっと時間に余裕のある鉄道旅になりそう。
そして、夜には今回のメーンイベントが待っている。
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