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雑記ブログ

チベット、抵抗の50年(民族蜂起50周年記念イベント)

<2009年3月7日>

チベットの自由を求めるピースウォーク」後の夜19時からはチベット民族蜂起50周年記念イベント「チベット、抵抗の50年」に参加しました。

日本発上映のフィルム”Undercover in Tibet”(チベット潜入)の上映に続き、「チベット問題を考える議員連盟」代表世話人の牧野聖修さん、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のラクパ・ツォコさん、在日チベット人コミュニティ代表ケルサン・ドゥンドゥクさんからお言葉がありました。

牧野さんからは議員連盟の流れと現状のお話があり、
「私が国会に返り咲いたら議員連盟を200名以上にさせます!」
「日本からチベット問題を何とかしましょう!」
との力強いお言葉をいただきました。
(静岡1区の皆さん、ぜひとも牧野さんを再び国会に送り出してください)

ラクパさんからは
「チベット問題に関して日本は特殊な位置にある。日本は中国へのODAが第一位の国であり、日本のメディアは(中国の狡猾な戦略により)中国のプロパガンダ宣伝の担い手にされてしまっている」
(※jiro.siwakuさんからご指摘があり、加筆・修正しました)
「チベット族ではなく、チベット人」
という訴え、
「トイレの出入りまでチェックされている」
というチベット本土での厳しい監視体制の様子のお話などをいただきました。

ケルサンさんからは代表に指名されたことへの戸惑いながらもの決意、自分をインドに送り出してくれた父君への思いなどを語っていただきました。

チベットサポーター、チベット人双方の問題解決への意気込みと温かさが感じられました。

しかし、今回のイベントで特筆すべきは、何と言っても

“Undercover in Tibet”(チベット潜入)

イギリス籍のチベット人が、チベット本土に潜入して撮影したこのフィルムです。

厳しい監視の下、撮影は困難を極め、カメラを隠しながらの撮影、検問での緊張感、パトカーへの警戒、安全な場所でのインタビューとその場所に無事に到着できた時の安堵感、顔を隠してのインタビュー、インタビュー拒否――チベット本土での統制の厳しさが全編を通して伝わってきます。

いろいろなインタビューがありましたが、特に強烈だったのが
「遊牧民への定住強制」
「不妊手術」
に関する証言。
いずれもそういうことが行われているということ自体は知っていました(拙サイト「チベット問題とは」でも簡単に触れています)が、これほどまでにむごいものとは思っていませんでした。

「遊牧民への定住強制」については、「遊牧民に定住する場所を与えた」といえば聞こえはいいですが、その実は住居と土地を奪われ、粗末な家屋をコンクリートの壁で固く囲んだエリアに無理矢理住まわされているのです。居住区と言うより、その姿は強制収容所そのものでした。
そこに住む老婆は「牧草地のほうがいい」と悲しげに語っていました。

「不妊手術」については、3人以上の子どもを産んだ女性に対し、麻酔もせずに卵管を切除するという生々しい証言(特に女性の方にはそう感じられることでしょう)。
女性に対する冒涜というべき所業であり、チベット人が子孫を残すことに対する悪質な妨害行動です。
インタビューに応じた女性の下腹部に残った傷が、余りに痛々しかったです。

その他、ダム建設によって沈みゆく村落の様子や、吊るし上げ・水中での電気棒使用といった拷問の様子など、目を覆いたくなるような証言・映像が続きます。

危険を冒してインタビューを敢行したチベット人・タシさんには敬意を表するばかりです。

フィルムは、次のような言葉(要約)で締められました。

「もし誰かが弱いものいじめをされていたらどうしますか?
死ぬまでそのままにさせますか?
それとも、いつか立ち上がって闘いますか?」

その答えはもはや、言うまでもないでしょう。

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祝・「雪の下の炎」重版!!

以前、このブログで紹介した、無実の罪で中共当局に31年もの間拘束され、拷問され続けてきた不屈のチベット僧パルデン・ギャツォ氏の「雪の下の炎」。
一度は絶版になりながら今年復活(復刊)し、私も微力ながらこのサイトで宣伝活動などさせていただきましたが・・・。

本日、復刊を実現させてくれた「復刊ドットコム」様からこんなメールが届きました。

===============
復刊ドットコムで171票ものリクエスト投票を集め、先ごろ復刊が実現
した『雪の下の炎』。好評により早くも重版決定です!
http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68310729&tr=s

本書『雪の下の炎』は、28歳の時に身に覚えのない容疑で中国政府に逮
捕されて以来、実に33年もの長きに渡り、過酷な投獄生活を強いられた
チベット僧パルデン・ギャツオによる、偽らざる真実の記録です。

復刊後の反響も著しい本書ですが、本書をもとに昨年制作されたドキュメ
ンタリー映画『雪の下の炎』(監督:楽真琴)が、この度待望の国内公開
決定! 4月11日(土)渋谷アップリンクを皮切りに、全国で順次公開
される予定です。
===============

重版!!

一度は絶版になった本が復刊から2か月(復刊ドットコムで予約した方への発送から数えて)で、重版を達成するとは・・・。

復刊ドットコムで予約した当初、私はいち購買者に過ぎませんでしたが、読んで以降は「ノーモア・絶版」を目標に、アマゾンのレビューで一番乗りするなど、気持ちはすっかり普及させる側。
同書を買っていただいた皆様には、感謝の言葉を述べたいぐらいです。

同書が最初に出版されたのは1998年。しかし、当時は今ほどチベット問題が注目されていなかったことが絶版という残念な結果に繋がってしまったのでしょう。
しかし今回は、昨年3月のチベット蜂起でにわかにチベット問題が注目を浴び、もはや同問題は日本人にとってマニアックな海の向こうでの出来事ではなくなりました。こうした時の背景が、一度は絶版になった同書を重版にまで後押ししてくれたと言えそうです。

しかし、やはり一番の要因は同書の内容の素晴らしさであると確信しています。

ただ、同書が売れた理由には、「復刊」「準新刊」という話題性があったことも間違いないでしょう。
今後、この流れを一過性のものとせず、ロングランにさせるためにも、当サイトでは引き続き、同書を推奨していきたく存じます。

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書評「雪の下の炎」(パルデン・ギャツォ)

31年――何の年月かによってそれが長いのか短いのかは変わろうが、それが「獄中にいた期間」となると、「長い」ということになるだろう。しかもその人物は政府の思想に従わないという理由で拘束され、服役期間を度々延長され、釈放されたかと思うとまた拘束されてきた”良心の囚人”だった。それを考えると余りに長すぎると言わざるを得ない。

彼の名は、パルデン・ギャツォ。チベット・ラサ近郊のデプン僧院で仏教を学んでいた僧侶である。

自分の師がインドのスパイと疑われたこと、1959年3月10日、ラサで「チベット騒乱」の発端となった群衆行為が発生した際にたまたまラサに来ていて現場を通りかかったことが、彼の人生を狂わせた。獄中に繋がれた彼は、富裕層の家に生まれたこともあって、侵略国当局の執拗な拷問を受け、”思想改造”を迫られる。手枷足枷をはめられたまま殴る蹴るの暴行を受け、電気棒を口に押し込まれて歯をほぼ全て失ってしまう。
拷問を行った者の中には時として洗脳されたチベット人も含まれていた。また「タムジン」で同じ(そうすることを強要された)チベット人囚人たちから吊るし上げを受けることもあり、同胞が同胞を虐げるという悲劇さえ繰り返された。
同書には彼のみならず、その他チベット人の”良心の囚人”の悲劇が幾つも記されている。

しかし、彼の思想は決して”改造”させられることはなかった。

「人間の肉体ははかりしれないほどの苦痛にも耐えることができ、しかも回復する。傷は癒える。だが、精神が挫けてしまったら、すべては壊れてしまうのだ」

鋼のような強靭な精神力――これが彼に生きる力を与えてくれていた。彼だけではない。侵略国当局が抑圧すればするほど、チベット人を分断しようとすればするほど、政治囚たちは反発を強め、団結を固めていく。力と脅しによる抑圧で仮に土地を支配できたとしても、人の心と誇りは支配できないのである。

同書はパルデン氏の悲劇の人生を描き、侵略国当局の悪逆非道さ、抑圧による人権無視の支配のむごたらしさと虚しさを訴えるものであると同時に、そうした数多くの”良心の囚人”たちの群像劇でもある。

1992年、59歳になった彼はようやく自由の身となった。しかし彼は故郷にとどまらず、亡命の道を選ぶ。彼の強く熱い心は、彼が受けた非道な行為を全世界に訴えることを決意させたのである。
ラサからシガツェ、ニャラム、ダムを経て、カトマンズへ――その道筋は奇しくも、私が2007年のアジア旅行で辿ったネパール行きの道筋とほぼ一致していた。私がオフロード車でチベットの景色を楽しみながら通った道は、パルデン氏にとっては自由への、そして世界に向けての訴えへの、決死の道だったのだ。

彼はインド・ダラムサラでダライ・ラマ14世との謁見を果たす。そしてついに1995年、国連人権委員会の会場で、侵略国代表も出席する目の前で証言を行う。力による抑圧に対する言葉による反撃が始まったのだ。同書を世に出したのもその一環である。

彼の闘いは、拷問と脅迫から解き放たれた今もなお、続いているのである。

先述したように、侵略国の抑圧に抗う”良心の囚人”は彼だけではない。彼が去った後の獄中でも、自由を求める闘いはなおも続いているだろう。”雪の国”チベットで自由を求める熱い思い――「雪の下の炎」は消えることはない。

※            ※           ※

同書は1998年に出版されたものの一度は絶版となった。2008年、mixiを中心に復刊運動が展開され、「復刊ドットコム」にリクエストが集まった結果同年12月、めでたく復刊が実現し、2009年1月には書店店頭にも並ぶに至った。

再び絶版とならないようにするためにも、このブログを読んでいる皆さんにもご協力お願いしたく存じます。右上にアマゾンのバナーが設置してあるので、そこから購入することができます。

※            ※           ※

尚、蛇足だが、パルデン氏が逮捕される前の1951年の出来事として、以下のような記述があった。

「中国側は、張経武の到着に際して集まったギャンツェの群衆という写真を発表した。その説明には『中国政府代表を歓迎するチベットの民衆』と書かれていた。とんでもない大嘘である。私たちは私たちの指導者であるダライ・ラマのお姿を一目見ようと集まったのだ。」

もしかするとその写真とは、私が「嘘八百 中国官製『チベットの50年』」でその信憑性に疑いの目を向けたあの写真と同じものかもしれない。

<追記>
『雪の下の炎』 を口コミで広めよう! - “Fire under the Snow” by Palden Gyatso –」にて当エントリーをご紹介いただきました。
http://www.palden.info/?p=356

「チベットチベット」キム監督らトークイベント

日曜日は「チベットを返せ!-Tibet for Tibetans-サイレントマーチ」に参加し、本日は映画「チベットチベット」観賞と、チベット漬けの2日となりました。


「チベットチベット」は先日も見てきたのですが、今回は映画以上に、mixiで交流のあった同映画のキム・スンヨン監督と「14人のダライ・ラマ」(グレン・H. ムリン)の訳者であり仏教学者である・田崎 國彦、渡邉 郁子両氏(別姓ですがこのお二方、ご夫妻です)のトークショーがお目当てでした。

上演前、キム監督とオフで初対面。「チベット問題は(オリンピックが終わった)これからが大事」という認識で一致しました。

19時、上演開始。(映画のレビューに関しては8月5日の記事をご参照ください)

上演後、そのままトークショーへとなだれ込みました。

ゲストのお二方が仏教学者とあって、話題は「ダライ・ラマとは」「中央アジアにおけるチベット仏教の広がり」「ダライ・ラマ制度の正と負」など、チベット仏教とダライ・ラマ法王の話がメーンで、その他には渡邉さんが遠慮がちにキム監督の在日韓国人としてのアイデンティティ、日本に帰化するか否か(これに関しては、キム監督が同じく在日韓国人と結婚し、子供[名前は『ラサ』ちゃんだそうです!]が生まれたことでちょっと複雑になっている様子)について尋ねられていました。

チベット問題を主題とした映画のイベントでありながら中国に対する非難は一切無く、それどころか「最終的には、チベット人、ウイグル人、漢人の共存という形で解決すべきだ」(田崎氏)という言葉もあったほどで、一口にチベット問題と言ってもいろいろな考え方、アプローチのし方があるのだな、と目から鱗が落ちた思いでした。

それにしても、キム監督は制作者としては少々変わっています。

トークショーで「この映画の海賊版が中国で出回ってほしい」と発言したり、昨年11月に法王が横浜に訪れた際に映画のDVDを無料で配布していた(この日のイベントで知り合った方の証言)など、制作者としては異端とも思える言動があります。

しかしそれは、映画による儲けよりも「チベット問題をより多くの人に知ってもらいたい」という高潔な思いの表れなのでしょう。

【レビュー】映画「チベットチベット」(キム・スンヨン 監督)

チベットチベット
職場(東京・渋谷)近くで上映されていた映画「チベットチベット」を見てきました。

在日コリアン3世の監督キム・スンヨン氏がビデオカメラを片手に2年に及ぶ世界一周旅行をした際、モンゴルのゲルで偶然ダライ・ラマ14世の写真
を見かけたのを機に、インド・ダラムサラで法王の密着取材を実現させ、チベットに渡って現地の複雑な現状を目の当たりにした過程を綴ったドキュメンタリー
映画です。

最大のテーマは、コリアンでありながら日本に親近感を持ち”祖国”であるはずの韓国を嫌っていたキム氏がチベット問題をフィルターに自らのアイデ
ンティティを見直す”自分探し”だったような印象を受けましたが、チベット問題に対する認識を深めさせてくれる作品だったことは勿論言うまでもありませ
ん。

本格的な機材を使っての撮影ではなかったのですが、超ミニシアターでスクリーンが小さかったこともあって、画質は気になりませんでした。

冒頭からヤムドク湖、ダラムサラ、ジョカン、セラ寺での僧侶の問答、ポタラ宮など、私が昨年訪れた場所が次々と映し出されて、懐かしさから興奮気味に見入ってしまいました。

中でも彼が密着取材した、私が歴史上の人物の中で最も尊敬するダライ・ラマ法王のお姿とお声には感動するしかありませんでした。慈悲と力強さと
ユーモアあふれる法王の口調は昨年ダラムサラで拝聴したティーチングの時と同じでしたが、ティーチングの時の小難しい仏教の法話と比べ、この映画でお話に
なっていたことは非常に解り易く、より親近感と敬意を抱くことができました。

そして、チベット人の受難についてもよりリアルに感じることができました。中国当局から拷問を受けたチベット人のインタビューは活字では幾つも読
みましたが、映像と音声を伴うと重みが違ってきます。インドに亡命してきた女性が拷問の後遺症に苦しみながら涙ながらに「外国人のあなたにこの話ができて
本当に嬉しい」と訴える姿など、痛々しくて仕方ありませんでした。

命がけでチベットからネパールに逃れてきて法王と謁見した亡命者たちが法王のお言葉に涙していたのも印象に残っています。

その他に印象に残ったのが、ラサで現地の子どもに案内された寺院廃墟のシーン。劇中ではなぜこのように破壊されたのかは明言されていませんでしたが、宗教を否定する中共の破壊工作によるものであることは容易に分かります。

私がこの映画のことを知ったのは「環境goo」でのキム氏のインタビュー記事がきっかけでした。

http://eco.goo.ne.jp/life/lohas/earth/1601.html

その記事の中に、こんなくだりがありました。

「『チベットチベット』をつくったからといって、決して中国そのものが嫌いというわけではありませんからね。念のため。(笑)」

最初、この言葉が理解できませんでした。チベットの現状を知れば中国を嫌いになるのは当たり前だと思っていましたから。

しかし、この映画の中でダライ・ラマ法王がおっしゃっていたことにそれを理解するヒントがありました。

「チベット人と中国人を分けて考えてはいけません。”中道”の精神が大切なのです」

これを聞いた瞬間、キム氏がいかに法王のお考えを理解しているのか、また私の考えがまだまだ浅いものだということを痛感しました。

ともかく、この映画は必見です。

以下のページに上映予定が掲載されていますので、ぜひご覧下さい。

http://www.tibettibet.jp/schedule.html

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