宮古からバスで盛岡に到着し、JR東北本線から釜石線へと乗り入れる列車に乗車。
13時すぎ、こんな素敵な列車(SL銀河号)が出発を待つ駅に到着した。
辿り着いたのは、カッパ伝説もある民話の里…
遠野である。
駅に着いた時には生憎の雨だったが、雨ガッパ装備でカッパ伝説のある街を巡るのも一興(笑)と、駅前でレンタサイクルを借りる。やはりこの天気だと借りる人は少なく、この日は私で2人目だったという。しかし、雨はすぐにやんでくれて、雨ガッパはすぐにお役御免となった。
まず訪れたのが、駅から歩いてでも行ける場所にある、とおの物語の館。遠野ならではの民話の世界に浸るには欠かせない場所である。
座敷童子、河童淵、天狗など、遠野を代表する昔話の数々が、文字やイラスト、像や影絵などで分かりやすく解説されている。
こちらの劇場・遠野座では、地元の語り部が実際に昔話を語ってくれる。
遠野座での昔話の語りは1回20分ほど。タイミングが合えば欠かさず聞いておきたい。
上品な高齢の女性が、柔らかく、ユーモラスな口調で
「むがす あったずもな」
で語り始め、
「どんどはれ」
で話を結ぶ。全編遠野弁だが、そこは同じ日本語。だいたいのあらすじは逃すことなく聴くことができた。
今回は、有名な「河童淵」のお話の他、「オシラサマ」、動物たちが海の果てを見ようとリレーで旅をするお話、蟻のお腹にくびれができたお話などを聴かせていただいた。
次の目的に向かって自転車を走らせていると、道端に…
「かっぱ注意」の標識…
どうやら、震災からの復興を目指して結成された地元の団体「遠野かっぱ工事隊」が設置したものらしい。「観光で復興を」という心意気が伝わってくる。
その標識から20mほどの交差点を左折し、更に300mほど北へ進む。ここで自転車を下りて遊歩道を歩いた先にあったのが。
カッパ淵。
なるほど。先ほどの標識は「カッパの棲み家が近いですよ」という警告だった訳だ(笑)
極々狭くて浅い川なのだが、林に覆われて日陰になっており、妖怪が出ると言われると「かもしれないな」と思わず感じてしまう。
ちなみに「名人専用」らしい。うかつに触るとカッパに水に引き込まれるということだろうか? 浅い川だが、強い力でねじ伏せられたら溺死させることは十分に可能だろうから、ご注意を(笑)
続いて、カッパ淵の近くにある伝承園へ。「曲り家」などの遠野の伝統的家屋が立ち並ぶ中で民話の雰囲気を楽しむことができる。ここでも、語り部から民話を聴くことができる(但し要予約)。
「菊池家曲り家」に入り、奥に進むと「御蚕神堂(オシラ堂)」という祠に繋がる。先ほど物語の館でも聴いた民話「オシラサマ」ゆかりの場所だという。
「オシラサマ」は遠野の民話でも有名な話だそうだが、私は初めて聞いた。大体こんな話だ。
ある農家の娘が、馬と恋に落ちる。娘の父親はこれに怒り、馬を桑の木につるして殺してしまう。娘は馬の死体に泣きすがって離れようとせず、父親は更に怒って馬の首を切り落としてしまう。すると、馬の首が娘を乗せたまま昇天してしまい、娘はそれきり戻ってこなかった。
父は悔いて、馬をつるした桑の木を削って馬と娘の像を作り、赤い布を着せて祀ったという。
「どんどはれ」
御蚕神堂の真ん中にはその物語に登場する桑の木が立ち、壁際には、来訪者の願い事が書かれた布の服を着た像「オシラサマ」がびっしりと並んでる。
悲しい物語だが、娘の優しい心や、父親が最後に見せた慈しみの念に心打たれる。
更に北へ自転車を進めること5.5km。最後に訪れしは遠野ふるさと村だ。先ほど訪れた伝承園にもあった「曲り家」が幾つも並ぶ、日本の古き良き原風景が見られる場所である。
曲り家は、母屋と馬屋がL字形に繋がって一体になった建築様式だ。この村の馬屋ではリアルに馬が飼われている。
「オシラサマ」の物語で娘が恋をした馬もこんな感じだったのだろうか。
菜の花が真っ盛り。茅葺屋根の家と重ねて見ると実に日本的だ。
遠野の伝統を感じることができる素敵な場所である。但し、民話の要素は全く無いので、遠野に民話を求めて来る人には肩透かしに感じられるかもしれない。
遠野ふるさと村からはひたすら自転車をこいで遠野駅へとひた走る。自転車を返却し、ぎりぎりのタイミングで予定していた列車に乗ることができた。
新花巻に到着したところで、本日の旅は終了。駅近くのゲストハウスにチェックインして一息つく。
食事時になって、新幹線の駅まで行けば食べる所ぐらいいろいろあるだろうと思って新花巻駅まで行ったのだが…
立ち食いそばの店が1軒あるだけ。
駅前のわんこそば屋も6時前に閉店という寂しさ。
何とか駅から10分ぐらいの店で東北名物の冷麺を頂くことができたが、ここが開いてなかったらせっかくの旅のディナーがコンビニ飯になってしまうところだった。
宿の主人によると、開業当初の30年ほど前は「新幹線駅ができていずれ発展する」と考えて進出してきた人も多かったが、発展しないまま今に至っているという。