奈良の朝7時。
元日は過ぎたとはいえまだ正月2日。奈良で一番のお寺は込むだろうと考えて、早めに行動を起こした。
近鉄奈良駅近くのゲストハウスからぶらぶらと歩いて、まずお目にかかったのが・・・
奈良公園の住人。
ハイ、またしてもまずは、ゆるキャラから入らせて頂きました。
そこから歩いてすぐの場所にある、奈良で一番のお寺といえば、言うまでもなく、
東大寺。
込むだろうと思って気合を入れて出向いたのだが、元日を過ぎると驚くほど人出は少なかった。
二月堂(上の写真)や三月堂も訪れたが、中でも一番の目当ては、勿論、
小学校の修学旅行以来の、大仏様。
チベットで仏教にインパクトを受けて以来、チベットやラダックを中心に幾多の仏像を見てきたが、あちらの金ピカ仏様もいいけれど、やはり日本人の心にはこうした青銅の方がしっくりとくる。
そして、動物たちへの慈悲の心もまた仏道と、東大寺の南大門外で鹿せんべいを鹿たちに振る舞う。
「ちょ~だい♪」
と集まってくる鹿たちは一見かわいいですが、中にはギャングみたいな奴もいて、私のダウンの裾にかみついて引っ張ってくる。引きちぎられはしなかったものの、ダウンは鹿のよだれまみれ。
ビシッ!
次の瞬間、私のビンタがその鹿のおでこを直撃。
「お前にはやらん!」
オイオイ、慈悲の心と仏道はどこへ行った?
*
青春18きっぷはあと1回分だけ。この日で神奈川に帰らなければならない。
とはいえ、奈良からの帰りは京都にも立ち寄るコースになる。せっかくだからJRでの交通の便がいい中でまだ行ったことない、東寺(京都駅から近い)あたりに立ち寄りたい。そのあたりも考慮して、この時間なら余裕をもって帰れるだろうという電車に間に合わせるように東大寺参詣を終えて、JR奈良駅へ。
ところが、奈良からJR奈良線で京都へ向かう途中、ある場所での車内アナウンスが私の心を動かした。
「次は、宇治、宇治~」
――そうだ。
JR駅から近い名所の中で、東寺よりもっと訪れてみたい場所があるではないか!
ということで、殆ど衝動的に宇治駅で途中下車。
宇治といえば行き先はあそこしかないだろう。
10円玉の模様にもなっている、平安時代の浄土信仰のシンボル・平等院だ。2012年から修復工事が行われていたが、約4か月前の2014年9月にそれが完了して全ての覆いが撤去されたのである。このタイミングで宇治を通りかかったのはもはや仏様のお導きとしか言いようがない。
導かれて中へ入ると、(両側の橋は除いて)これほどまでに見事なシンメトリー(左右対称)はタージ・マハル以外にないのではないかというくらい綺麗に均整のとれた左右対称の外観の鳳凰堂が、池にその姿を映しながらたたずんでいる。その名の由来となった屋根の上の鳳凰の像や、修復されて以前よりも鮮やかになったのであろう朱塗りの柱や壁が美しい。積雪で屋根瓦の色を見ることはできなかったが、これはこれで風情がある。
内部の参観には別料金が必要だが、それ以上に(正月だからか)参観希望者が多くて待ち時間が1時間以上になる。しかし、その間に外からお寺を見たりミュージアムをじっくり参観したりすれば時間は潰せるので、時間に余裕があればぜひ見ておきたい。私は帰りの電車の時間がやや気になったが、時刻表とにらめっこしたところ、まだ最終電車には十分間に合いそうだったので参観することにした。
案内された中央の部屋には、先ほどの東大寺大仏とは対照的に、木像に金箔を貼って造られた金色の阿弥陀如来像が座している。その周囲の壁にはその様式が9段階に分かれているという来迎図(仏様たちが死者をお迎えに来る様子を描いた絵)が、(1000年の時を経てかなりかすれてはいるが)描かれていて、当時の浄土信仰の様子を窺い知ることができる。
東大寺の大仏は三脚さえ使わなければ間近での撮影もOKだったが、ここは普通に撮影禁止だった。しかし、正面から鳳凰堂を見ると、中央部の入り口上に丸い覗き窓があって、外からでも阿弥陀様のご尊顔を捉えることができる仕組みになっている。(下の写真参照。写真をクリックすれば拡大できる)
この2日間で和歌山、奈良、京都のそれぞれ代表的な古刹で仏様のご利益を体いっぱいに受けてきた。これでこの1年、無事息災に過ごせますように。